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被害妄想のバリエーション

最近の娘は「誰かにいじめられてる」的なことを言わなくなりました。いい方向なのか悪い方向なのかと言われると間違いなくいい方向ではあるのですが、どうも信じきれません。私に言わないだけで「やられる」とか「いじめられてる」とか思ってそうな気もします。

娘の場合だけかもしれませんが、「いじめられてる」という被害妄想はなんだかとても奇妙です。近所のヒトや小学校中学校のクラスメイト、私や(元)妻、そしてテレビの中のアイドルなどなど、そうした人々に「いじめられてる」というのはまだわかります。わかると言うとおかしな話ですが、いじめてくる相手が人間なら被害妄想もわかりやすいという程度の「わかる」です。

実際にはいじめられていないので完全な妄想です。まさに被害妄想、酷いと叫んだりするので困ります。落ち着いていると減ります。なので、最近はそこそこ落ち着いているのだと思います。

残念なことに娘が寛解に向かう気配はありません。なので、落ち着いていると言っても一時的な状態なんでしょう。ちょっとずつでも良くなってくれるといいのですが、とりあえず無理そうです。

それはともかく、「誰か(人間)にいじめられる」は、まだこちらが理解できる範囲です。

理解できないのは、「空間にいじめられる」とか「言葉にいじめられる」とか、そういう人間ではないなにかにいじめられるという被害妄想です。一時期はこれが多発していました。私にはまったく理解できない状態です。

ただ、「空間にいじめられる」みたいな被害妄想は、やはりよくある妄想の類型である世界没落体験に通じる何かがあるようです。世界没落体験というのは、例えばまさに今、家の外の世界が破滅の危機に瀕しているみたいなけっこう劇的な妄想です。世界没落体験はヒトとは結びついていません。なので、「空間にいじめられる」といった被害妄想と共通したものを感じるわけです。

「言葉にいじめられる」というのはそれとはまた違いそうです。これはより直接的な幻聴と結びついている可能性を疑っています。幻聴は「本当に聞こえる」らしいのですが、その「本当に聞こえる」感覚が揺らいだ時に「言葉にいじめられる」みたいな被害妄想に変化しているのかもしれません。

ひとくちに被害妄想と言っても、少なくとも娘の場合は、上記のように「人間(生身の人間だけでなく霊的だったり超越的だったりする人格的存在も含むようです)から被害を受けているという妄想」と「人間ではないなにか(空間とか言葉とか)から被害を受けているという妄想」があります。細かく見るともっと分類されそうな気もしますが、ざっくり「人格のあるものとないもの」という区分だけでも充分に不思議なバリエーションになっています。

世の中には娘とはまたぜんぜん違うタイプの被害妄想を抱えている方も多いのだろうなと、たまに思います。猜疑心というのもある種の被害妄想のような気がします。あまりにひどい場合は病的な状態を疑ってみてもいいのかもしれません。

娘の絶叫にしても暴力にしても妄想にしても、原因はまったくわかっていないようです。なんか医者でもないのに適当なことを言うヒトもいないわけではないようですが、そんなの医者よりあてになんねえよ。

原因はわからずとも薬を飲んだら治まるはずだという前提で通院し投薬を続けているわけですが、なんだろうなあ、状況はまったく改善されてないんだよなあ。むしろ悪くなってる気がします。

とはいえ、他に方法もありませんから、このままずっと通い続けて薬も飲み続けていくつもりです。あまり希望はありませんが、いつの日か画期的な新薬や治療法が確立されることを願っています。

願ってはいますが、期待してはいないというのが正直な気持ちかなあ。

医学、AI使うでもなんでもいいから、もうちょっと頑張ってくれよ、頼むよ、なあ。

頼むよ。

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高島利行
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