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ひとりで歌う夜。「妄想の森」の住民たち

昨夜、私が風呂に入っている最中、娘の部屋の独り言のボリュームがどんどん上がっていきました。危険な傾向なのかどうなのか、様子を伺い続けます。大丈夫か、大丈夫じゃないか。このあたりの判断は毎回かなり難しいところです。豹変する前に声をかけないと。

エスカレートしたまま絶叫につながるかと思った娘の独り言が歌に変わりました。歌か。怒気をはらんだ独り問答の危険度がMAXだとすると歌は危険度ゼロです。もちろん明るい方の躁状態ではあるのですが、とにかく危険度はゼロです。陽気に暮らすことを推奨する宗教がありますが、あれってなんかわかる気がするんだよな。度を越した陽気というのも病的な部分をはらんでいるのは間違いありません。

歌っているのは間違いないとして、何を歌っているのかまでは聞き取れません。私が知らない歌という可能性はほぼありません。娘の守備範囲は狭いので私はほとんどカバーできています。布団をかぶっているせいでしょうか、もごもごしていてよく聞き取れないのです。なに歌ってんだろ。

風呂から上がって身体を拭いて、さてアイスでも食べるかと出たところでまた娘の歌声が聞こえてきました。今度ははっきり聞こえる。速いテンポで『ハッピーバースデー』を歌っていました。なんだその底抜けにハッピーな感じは。

「ハピバースデーマーマーハピバースデーマーマーハピバースデーディアマーマーハピバースデーマーマー」

もんのすごい早口で幸せそうに歌っていたのは娘の母、私の(元)妻に向けての『ハッピーバースデー』だったのです。歌い終えたあと盛り上がってるよ。独りなのに大人数みたいな感じで盛り上がってるよ。

昨日は(元)妻の誕生日だったのです。特に連絡などは来ていません。こちらからも連絡していません。娘に「ママにお誕生日おめでとうって言う?」と聞いても「いい」と言うでしょう。実際、たまに私が電話で話している際に「ママとお話しする?」と聞いても「いい」と断られるのが常です。

えー、それなのにひとりでお祝いするんだ。謎だな。

多分、(元)妻は娘の妄想の中の住民になったのでしょう。「どうぶつの森」の住民と近いのかもしれません。娘の中の「妄想の森」の住民。(元)妻もそこに仲間入りしたから娘が妄想の中の大勢でお祝いしていたのでしょう。

わけわかんねえ。

ひょっとして、万が一、娘がママと話したいなどということがあるかもしれないと思った私は、時間が遅かったにも関わらず、そしてそんな遅い時間に電話をかけたら烈火の如く怒られが発生するのは承知のうえで、(元)妻に電話をかけてみたのです。

「この電話はただいま電源が入っていないか電波の届かない場所に……」

オーケーオーケー、了解です。つながったところで娘は出ないと言ったことでしょう。むしろつながらなくてよかった。

娘の過去の知り合いの一部は娘の「妄想の森」の住民として娘の「妄想の森」の中で日々暮らしています。楽しいことも悲しいこともあります。死ねとか死んでもらったとか言ってるのも住民の誰かです。(元)妻の仲間入りです。楽しく過ごすのでしょうか。それとも怒りモードで暴れるのでしょうか。

私が死んだら私も娘の「妄想の森」の住民となり妄想の中で生きながらえるのでしょうか。

なんかちょっとイヤかもしれない。

いや、明らかにイヤだな。

でもなあ、「パパが死んでも妄想の住民にしないでね」って言ったところで勝手にそうされちゃったら抵抗できないしなあ。

でも考えているとその時はもう死んでるから関係ないか。それもそうだな。

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高島利行
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