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未踏の近所
死ぬまでに一度は訪れてみたい場所というのは私にもあります。けれど、どこに行くにも目ん玉が飛び出るような金額がかかるわけで、そこまで金をかけてでも行きたいかと言われるとどうかなあ。いやそんなにかからないよというご意見もあるとは思います。でもなんだか安く上げるために色々と調べたりすんのも面倒なんだよ。そこまでがんばる気力もないというか。大抵のことは「もっと安く」が可能な世の中だとは思いますが、その「もっと安く」を実現するための努力や工夫が自分には面倒なのです。そういうことは多いです。食べ物とかもそうで「もっと工夫したら安くできるよ」と言われてもその工夫が面倒なんだよ。買い物とかもそう。あちこち底値を調べて一番安いところで買ってとか面倒すぎる。家電量販店で値切ってとかも無理です。そもそも値切るのが無理。仕事だと歯を食いしばって価格交渉もしますが、自分の買い物で値切ったりはしたくないです。小売もサービスも「現金掛け値なし」「エブリデーロープライス」を実現してくれるとありがたいです。知ってるヒトだけ得をするみたいな商売と関わらない人生を送りたいです。
死ぬまでに一度は訪れてみたい場所というのも、考えてみるとそんな場所は世界中に山ほどあって、そのすべてを訪れるなんてことはどう考えても不可能です。なのに飽くことなく旅を続ける方からは満たされない欲望みたいなものを感じることもあります。正直ちょっと怖い、かも。
結局、私はお金がかかることが嫌なんだろうなと、そう思います。有り得ない空想ですが、今よりもっとお金に余裕があったとしても使わないんだろうな。(元)妻には頻繁に「ドケチ野郎」と罵られました。その都度「ドケチなのではなく魂が貧乏なのだ(つまり貧乏根性が染みつきすぎてお金を使えないのだ)」とよく訂正していました。お金って使うと無くなるんだよ。
そんな私でも日々の生活の中で唐突に「知らないところに行きたい」という気持ちが湧いてくることがあります。見たことのない場所に身を置きたいとう気持ちです。
ヒトによるとは思うのですが、私は歩き慣れた道以外を歩かないタイプです。(元)妻もそうでした。ですが、(元)妻はポケGOを始めて変わりました。普段は通らない道を細かく回り倒した(元)妻はすっかりジモティーになっていました。まあ、それ以前にPTAでそこそこ近所を歩いていたというのも大きいとは思います。それと比べて私は会社と家の往復だけで近所をまったく知りません。それで特に困ることもないのと、お金を使いたくない気持ちは当然食事にも反映されるので外食をしないのです。なので近所のお店というのもまったく入ったことがありません。いや、それも本当にまったく困らないのですが。
そんな自分に湧いてくる「知らないところに行きたい」という気持ちを満たすために、最近は近所で歩いたことのない道を歩いています。特に最寄り駅の反対側とかだと「生まれて初めて通る道」というのがいまだに沢山あります。迷う感覚とも近い。「知らないところに行きたい」よりも「知らないところで迷いたい」のほうが近いのかもしれません。
今日は正午に普段使わない方の駅まで歩いてPASMOにチャージしてきました。その際に駅の近くの普段通らないあたりの道を歩いてみたのです。
全然わからない。
駅の近くの再開発されてないあたりは曲がりくねって行き止まりの道も多いので、普通に駅に向かう際は使いません。大きい通りやバスが走っている通りから行くほうが確実です。このあたりで暮らして四半世紀ですが、多分、今日歩いた道は初めて歩きました。
未踏の近所。
そんな言葉が浮かんできました。私にとって未踏の地というだけでそこには誰かの生活があるのです。でも、私にとっては間違いなく未踏の地。
もしかして、死ぬまでに一度は訪れたい場所って近所でもいいのでは。
なんかそんな気がしてきました。
炎天下、帽子はかぶっていてもサングラスはせずに歩いたせいで、帰宅して直ぐに頭が痛くなってきました。近所といっても未踏の地を探索するには装備が重要なんだなとかなんとか適当なことを思いながら頭痛薬を飲んで横になり、そのまま2時間ほど寝ました。
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