死の話題が好きな連中
先日の姉からの電話の際、年老いた母の寝言がひどいという話題が出ました。深夜に叫びだすのです。
「一緒じゃん」
「いや、びっくりするっしょや」
姉も困っているとのこと。
寝言の内容ですが「死にたくない〜」と叫んでいるそうです。
そうなのか、死にたくないのか。85歳ぐらいだからなあ、こっちが考えるより死も身近なんだろうな。
それはともかく、です。
「それも一緒じゃん。娘は『死にたくない〜』じゃなくて『死ね〜』だけど。どっちも死の話。なんで死の話好きなのか全然わからないけど」
亡くなった父も最後は妄想がひどくて病院の医師に「家族(母と姉)に殺される~」と訴えたり、深夜に「殺される~」と暴れて看護師を殴って追い出されたりしていたそうです。やっぱり死の話題。皆そんなに死が好きか。なんだかわけわかんねえよ。
具体的な「死」というよりも、捕らえどころのない恐怖に「死」という具体性を与えているのかもしれません。まあ、あんまり素人が適当なことを抜かしてもしょうがありませんが。
見事なまでに皆が皆、死と対峙して叫んでいるのは一体どういうことなのか。本当に不思議です。
書いていて気がつきました。昨日、洗濯物を干そうとした時に急に襲ってきたどんよりとした恐怖と不快感。あの時の私は「死んでしまう(かも)」、もう少し具体的に書くと「このままではベランダから飛び降りてしまう自分を止められないかもしれない」という感情に溺れそうでした。無理にベランダに出ないでしばらく椅子に座っていたのは正解だったと思います。洗濯機の前は換気の問題もあって暑いのです。涼しい居間でじっとしているうちに衝動は消えていきました。
叫んでこそいませんが、昨日の私は「死んでしまう(かも)」という考えが込み上げてくるのをはっきりと感じました。
これって似てる、のかも。
なんだよ、オレも「死の話題が好きな連中」のひとりじゃないか。
もしかして皆そうなのかなあ。身近なところでこれだけ重なるとなんだかなあという気分です。ちょっといい加減にしてくんねえかなあ、オレも皆さんも。
一歩引いて見ると皆おかしいな。
「死ね〜」
「死にたくない〜」
「殺される〜」
「死んでしまう〜」
なんかでもそれぞれちょっと違うのが個性なのかな。そういうことじゃないか。
娘だけ明らかに加害側だな。父はだいぶ病院で暴れたようだけど、やられる前にやる、みたいなことなんだろうな。娘と同じグループか。娘もやられる前にやるという現実世界では一切不要の決まった覚悟みたいのがビンビンに伝わってくることけっこうあったからなあ。母と私はやり返さないというか誰かにやられるってことじゃないっぽいな。母も自発的な方向なのかなあ。それだと私と同じか。なんかもう、血縁というのは似なくていいところばかり似るんだな。
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