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酸っぱい葡萄なのかなんなのか

昨日の日記、なんかこう典型的な「酸っぱい葡萄」っぽいよなあ。金が無くて旅に出られないのがそんなに悔しいのか、オレは。んー、どうかな。どうなんだろうか。なんかこう、一晩寝かせるとまた違うことを考えるもんだなあ。人間って不思議だな。

なにもかも面倒くさくなりつつあるのは間違いないのでわざわざ何かをやろうという気力は湧いてきません。それは合理化とか防衛機制というよりも、なんだろうなあ、やっぱり軽めの鬱なんだろうか。

世の中には遊んだりお金を使ったりができないとダメになってしまう、まるで泳ぎ続けないと生きていられないカツオとかマグロのような人々がいることもわかってはいるのです。昨日の「ちょっと怖い」はそういう人々に対する気持ちなんだよなあ。なんというか倒れるなら前のめりでみたいな生き様そのものが自分には恐ろしく思えることがあるというか。

子供の頃、ニュースで「遊ぶ金欲しさに」みたいな犯行動機を聞く度に「大人なのにそんなに遊びたいのか」と疑問に思っていました。実はけっこういい年齢になるまで同じような素朴な感想を持っていました。「遊ぶ」が「飲む打つ買う」なんだと気がついたのはだいぶ経ってからですが、それでもそのために罪を犯してまでというのは理解できませんでした。お金を使わないと生きていけないもしくはお金を使わないと生きている意味がないと考えるヒトが世の中にはけっこうたくさんいるのだとわかったのは本当にかなりいい年齢になってからのことです。そこでようやく「遊ぶ金欲しさ」で犯罪に手を染めるヒトがいるという事実が腑に落ちました。お金ないんだったら使わなきゃいいじゃんは通用しないのです。お金は人生。お金が人生。法を侵すまで至らずともお金を使いたくて使いたくて身を持ち崩すヒトはたくさんいます。なんかそれって怖くないですか。どうなのかなあ。

お金があればあるだけ、無ければ借りてでも使いたいみたいな気持ちもやや病的なものだと思います。そういう意味では身の丈に見合ったお金の管理というのは精神の健康の証なのかもしれません。娘もお金の管理は無理です。カードとか持たせたら使える限り使い尽くすと思います。実際、短い大学生活でわけのわからない買い物をしたり意味なく他人に奢ったりもしていました。あれがずっと続いていたら大変だっただろうな。

今日は朝から通勤時に背負っているリュックを洗ったりもしました。背中に当たる部分が臭くなってやがったのです。昨日はエコバッグも洗いました。洗っていないエコバッグは雑菌だらけだそうです。恐ろしい。日中はしまむらに靴下を買いに行きました。先々週ぐらいから靴下にどんどん穴が空いていたのです。ついでに安いワンショルダーバッグを買いました。荷物が少ない日にリュックを背負うのは暑いので。背中も汗で臭くなるし。

帰宅後に帽子も洗いました。けっこう汚れてんなあ。もっとまめに洗ったほうがよさそうだ。風呂も早めで長めに。昨日は病院に行く予定だったのに娘がどうしてもイヤだというので見送りました。鉄剤の結果の血液検査してもらわないといけないんだよ。そんなこと言ってもダメな時はダメなのでしょうがないです。


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