止まらない独り言
娘の一日は24時間のサイクルじゃないんだよなあ。しょっちゅう思い知らされます。私が働いている間に起きて私が帰ってきたら寝るというサイクルが理想なのに、どんどんずれて、気がつくと私が働いている間に寝て私が家にいると、特に私が寝ている夜中になると、目が覚めてウロウロするというサイクルに突入します。やめてくれ。
昨夜はクスリを飲んだあと間歇的に「シネエエエエエエエエ」と絶叫していました。暑くて疲れているのでわざわざ声をかけに行くのも面倒です。放置で。そのうち寝るでしょう。
寝たようです。さて、私も寝るか、と思ったら寝てなかった。叫んでるよ。やめてくれ。足音がする。トイレに行った。戻った。またやってきた。
部屋の扉が開けられました。
「なに?」
返事はありません。
「こっちで寝るの」
「んあ」
そうですか。では、移動します。
違った。それは一昨日の話だ。昨日は夜中に何度もトイレに行ったりキッチンで飲み物飲んだりで、7時頃にやってきたんだ。そのタイミングで寝場所を替われと無言で圧をかけてきたんだった。
調子がよくても悪くても、娘が説明的であった試しはありません。常に言葉は少なめです。面倒くさいだけでなく、自分の考えていることや気持ちを言語化するのが難しいのだと思います。クチにすると思っているのと違うことに変わってしまうのだという自覚はあると思います。
今朝も私が娘に用意しておいた食事を朝のうちに全部食べてしまおうとしていました。紙パックやペットボトルの飲み物を一気に飲みたいのと同様に、食べ物も残しておいて後から食べようという考えは一切浮かんで来ないようです。
用意しておいたぬか漬け、最初に箸を付けたらそれだけを一気に全部食べていました。漬物はちょこっとずつご飯の合間に食べるもんだろうが。そういう食べ方が本当に出来ません。なぜなんだ。コース料理じゃないとダメなのか。そういうことなのか。サラダを先に全部食べると痩せるという(元)妻の教えを守り続けているのか。そういうことなのか。キュウリのぬか漬けはサラダの扱いなのか。なんかアメリカ人が「ポテトは野菜だぜぇ」とか「トマトケチャップは野菜」とか言うのと似た現象なのか。
朝はそんな感じでした。
帰ってきたら居間のソファベッドでいびきをかいて寝ていました。キッチンに残された食器は朝のうちに食べた分だけ。炊飯器の中身も減っていません。飲み物だけは減っていました。これは朝からほとんど寝てるな。ということは、今日の夜もまた寝ないで叫んだりウロウロしたり飲み物をがぶ飲みしたりするんだな。
娘には他人の気持ちというのがわかりません。他者の人格という概念はありません。まあ、よくある話です。必然的に、私が眠れないことに対して遠慮するとか、そういうことはないです。
娘が謝っているのを見たことがありません。謝っているふりをしていたことはあります。謝るというのは他者を意識しないと不可能です。娘が謝ることはこれから先もないでしょう。
そんな娘であっても、初めてリスパダールコンスタを打った時の鎮静と「正気に返ったように見えた」状態は忘れられません。夢から覚めたような瞬間を私は確かに目撃しました。その後も何度かリスパダールコンスタを打っていますが、最初の時のあの感覚には二度と出会えません。あれは「治る?」みたいな気配を十二分に醸し出していました。常に寝ぼけているような状態から、本当に目を覚ましたような、ものすごく劇的な変化でした。
止まらない独り言を聞いていると、「寝言を喋り続けているのではないか」と思うことがあります。現実を把握できないのもどちらかというと寝ている状態だからなのではないか。そうも思えます。
目が覚めるクスリというのは難しいですが、電気ショックでわずかな瞬間だけ正気を取り戻す(ように見える)というのはもしかしたらあるのかもなあと思います。娘に電撃を食らわす気はありませんが、それぐらいやらないとダメなのかも。気持ちの問題ではまったく解決しないのはわかっているので、そうした物理的な刺激のほうが現実的な気がします。ただ、それも永続的なものではないですよね、きっと。それで一発で目が覚めて病気が治まるなんてことはないわけで。起きたとしても一瞬なんだろうな。
よりよく眠ることが大事なのは痛感しているのですが、「よりよく目覚める」は日頃の習慣や気持ちの持ちようでは無理です。睡眠も難しい問題ですが、覚醒も至難の業です。
つい最近、娘と同様にずっと喋り続けている中年にさしかかった男性に遭遇しました。娘に「喋るのやめて」というのと同じ気持ちで声をかけてしまいそうになりましたが、私が言ったところで、人前にいるのを理解した上でそれでも止まらない独り言が簡単に止まるはずもありません。
夢見てるみたいな感じなのかなあ。
独り言の問題を解決できたら他の問題も解決しそうな気がするよなあ。
どうなんだろうなあ。