「悪天略図(あくてんりゃくず)」第3話
第3話
予兆
例の不文律のおかげでルネは地球での不法滞在を黙認されていた。
ただそれだけに「仕事」に注力する義務が生じ、早速視聴者から寄せられた、地球人の私生活、延いては地球の文化を知りたいというリクエストに応じて早朝、篤の登校を確認するなり彼の部屋に忍び込むのだった。
――漫画の批評を行っている最中に来客があった。まだ家にいる母が階下、玄関で応対しているのを聞くともなく聞けば、篤を訪ねて来たらしかった。
「今は学校に……」
と母が説明するなり来客は引き返したようで正体は知れなかった。気になって窓越しに戸外を見下ろしたが、姿は見えなかった。
さすがに普通の来客とは考えづらく、以前の少女と同類と推測された。そこでルネはAIに最近地球への渡航を申請した名義を検めさせた。しかし得られたのは、「該当なし」という結果だった。ならば密航者に違いなかった。
密航者
ルネは胸騒ぎがして、今度は全プラットフォームのうち、「現在地球から生配信を行っているチャンネル」という条件で検索させた。すると一件ヒットした。バルディという配信者である。
次いで彼の経歴を読み上げさせれば、このほど戦士を志望して各社のオーディションを受けたがことごとく落選し、これを不服として復権のための活動を始めたのだという。要するに自身の実力を示してスカウトの目に留まるつもりなのだ。
ただその活動というのも、合格が決まった候補から勝てそうな者を狙ってケンカを売ったり、人気の配信者に絡んで知名度を上げるといった酷い内容だった。
そんな悪行は当然同業者からも視聴者からも顰蹙を買い、苦情が絶えない状況である。無論運営も知るところで、よって本来なら利用禁止処置を受けるはずだが、一定の支持を集めているという理由で特例的にこれを保留されているらしかった。奇しくもルネと同じように。
凸
ともかくこの迷惑系配信者が篤を踏み台として利用するつもりなのは明白である。ルネは自船に飛び乗り、追跡を期した。行き先は分かりきっている。
――バルディの生配信はこちらもまた自船に乗じて学校へ向かう道すがら行われていた。彼はまず視聴者に、篤と対面した際に何をして欲しいかを募った。
その中にはかの少女のファンもおり、彼は率先してこう答えた。
「調子に乗ってるから殺してほしい」
こんな過激な意見に、他の視聴者は続々と同調した。社会性に欠け、退屈を持て余している彼らは多分に荒事を好む傾向があった。情勢は決し、バルディも合意した。
この顛末を見たルネは、
「やばい!」
と危険を感じ、すぐさま当局に通報する。
彼女たちの社会にも勢力圏内を管轄とし、その秩序を維持するための治安部隊が存在した。とはいえこの化外の地にまで出張ってくるには相当の時間を要することが予測される。つまりそれまでは自力でバルディの暴走を抑えなければならないのだ。ルネは実力を行使する覚悟を決めた。
襲撃
学校に先着したのはバルディだった。警備も無いことで彼は造作も無く敷地を侵し、事前に入手していた情報から篤が在籍する教室を、堂々と入口から侵すのだった。
この突然の闖入者に、授業を受けている生徒たちは一斉に息を呑んだ。
バルディは居並ぶ顔を一通り眺めた。しかし彼の目には全員同じに見えたため、
「オノウエアツシっての、手を挙げろ」
と選別を試みた。
出し抜けの言葉にも室内は依然沈黙に占められている。指名された篤はなおさら凝然の体だったが、級友を巻き込みかねない虞から無視するわけにもいかず、おずおずと従った。
これを認めたバルディはそこまで歩み寄ると顔を近づけ、
「ちょっと喧嘩しようや」
と言った。
生徒たちはもちろん教師すら依然身じろぎ一つできずにいた。大柄で、未知の様式に基づく風体の男が相手では誰も勇気の出しようがなかった。
衝突
室内の緊張が極まったところへルネが到着した。といって船から飛び降り、校舎の三階、ベランダ側から窓ガラスを割って乱入する形だった。そのまま身を挺してバルディを制止した彼女は、
「――通報したからな」
と警告を発した。
しかしバルディもまた警告を返した。
「警察に来られたら困るのはそっちも同じじゃないのか? ――それに、こんなところまで来るにはかなり時間が掛かるだろう。どうせそれまでには済む」
そこまで言うとバルディは目の色を変えて、
「いやそれより、お互い有名になりたいって動機も同じなんだ。だから俺と組まないか? 実はそっちのほうの配信もやっててな。あんたとなら人気が出ると思う。ああ心配ない。すぐに済むから」
この下卑た提案には視聴者も盛り上がり、賛同する者が相次いだ。
ルネは侮辱に耐えかね、また当局の到着まで無辜の人々の安全を確保する責任を負って、
「篤、皆を逃がせ」
と指示した。当惑するだけの篤に、ルネはさらに語気を強めた。
「早くしろ! ここにいたら人質にされる」
最初にこれに便乗したのは教師だった。生徒たちも三々五々動き出した。
――バルディが一瞬それに気を取られなくともルネの攻撃は彼に悟られずその周囲を飛んでいたカメラ付きドローンを破壊しただろう。続けざま、強烈な一蹴を加えてバルディを校庭に落下させた。体育の授業を受けていた生徒たちは泡を食って四散した。
ルネは追って窓から飛び降りつつ、どこからともなく両刃の剣を現してバルディへ振り下した。刀身は確実に相手を捉えた。が、ある障壁に阻まれた。それは本来、戦士にしか与えられない力だった。
マデュラ
その力とは、「マデュラ」という群体をとる極小の生物である。
戦士たちはその資格を得ると特殊な手術によってマデュラを体内に注入されてその宿主となり、共生関係を築くのである。
通常は宿主の体内に潜在しているが、宿主が望めば体表を被覆する形で顕現し、透明かつ稀薄な、しかし堅牢無比の装甲となる。というのも常態では柔軟性に富むのだが、衝撃を受けると当該の部位が衝撃に応じた硬度に硬化するという特性を持つためだ。
他にも自己複製、自己増殖能力を持ち、たとえ欠損しても即座にその部分を補填することができた。
ただしこれらの能力を安定して維持させるには安定した動力を供給し続ける必要があった。それは接触している外界の光、熱、気流、あるいは相手からの攻撃にも由来するが、基幹となるのは飽くまで内在の力、すなわち宿主の生命活動、とりわけ呼吸である。
――驚いているのはバルディも同様だった。ルネの武装はマデュラを発展させたものに違いなかった。
彼は口早に質した。
「お前、どこでその力を……」
しかしルネは、
「『力』? そんなニセモノと一緒にするな」
と吐き捨てるだけだった。
二人に宿る共生生物は同源でこそあれ、似て非なるものだった。それらが二つに別たれたのはある事件が原因だった。そしてその事件こそ、ルネが禁星の定住を志向した原因だった。
戦闘
バルディが身構えるのに先んじてルネは得物を薙いでいた。と思いきやそれは直撃の寸前に突如、無数の微粒子と化した。
その疑似的な煙幕に、ルネはいつの間にか復活していた刀身と自身の装甲とを擦り合わせることで火花を散らして着火。小規模な粉塵爆発を誘発するのだった。
このように彼女の武装は形状や質量はおろか性質さえ随意に変化させることができた。しかも再生すら自在である。
バルディが完全に視野を奪われた間隙に、ルネはなぜか飛び退っていた。そうではなかった。地面に突き立てた先端以外の刀身をゴムのように変質させ、これを伸長して限界まで引き絞っていたのである。間もなく解放した弾性による加速を得たルネの蹴撃は、ようやく視野の利いたバルディでは避けようも無かった。
ルネの攻勢は止まず、次いでバルディと正対すると、機能上どうしても装甲を相対的に稀薄にせざるを得ないその関節部全てを目がけて神速の斬撃を見舞うのだった。
それはことごとくバルディの反射の機先を制し、かつ的確に急所を突いていた。衝撃は装甲を越えて肉体に伝わり、おのずと呼吸は乱れ、マデュラへのエネルギーの供給も滞った。
そうして装甲の厚薄が不安定になった好機をルネが逸するはずもなく、体積も質量も増加させた刀身を渾身の力で振り上げ、手薄になったバルディの下顎を叩くのだった。
励起形態
バルディは一瞬宙に浮いた後、あお向けに倒れ込んだ。しかし昏倒したわけではない。怒りに駆られた彼は立ち上がりざま、ある力を行使することを決意した。
マデュラには彼が現在装甲としている生起形態の他、より高次の形態が存在した。これを「励起形態」といい、宿主が定めた符牒を唱えることで解放される。
励起形態は宿主の本能に根差すため、万人不同の形状をとるのみならず、マデュラの能力に依存する割合も高まるため、生起形態よりも精妙なエネルギーの供給および制御が宿主に求められた。
しかし初めてこれを駆使するバルディはマデュラの増殖を制御しきれず、暴走を招いてしまうのだった。
巨大化する彼の肉体を目の前に、
「これだからニセモノは……」
とルネは嘆いた。
なおもマデュラの増殖は止まらず、このままでは環境そのものを食いつくすグレイ・グーになりかねない。ルネは危機を覚えた。
――そのとき、通報に応じた治安部隊がようやく到着した。
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