未来は意志に宿る #未来のためにできること
伝統あるものを次の世代につなぐ。大切なことだな、と思えるのに、なぜつなげないのだろう。
私はその難しさを知っている。自身が営む和ろうそく屋も伝統を継いできた。デパートの実演販売で「貴重なお仕事ねー、残さないとねー」とだけ言って立ち去っていく人を何人も見てきた。だから余計に思うのだ。
伝統だけでは残らない。
私は110年続くろうそく屋を営んでいる。曾祖父から続くろうそく屋で、創業は大正3年。
ろうそく屋の傍ら、30代前半から市民活動である盆踊り保存会に参加し、地元の盆踊りの継承にも関わってきた。が、当初から保存会の先輩は余すことなくご高齢で、気力を感じたことはなかったし、静かに無くなるその日を待っているようにも感じた。
なんとなく大事だと思っていても残らないのだ。
ろうそく屋も同じ。代々続いてきたからという理由では、続けることは辛い。マーケティングの理屈だと、盆踊りもろうそく屋もいずれ無くなる。私もこのまま消えていくんだろうな、と思っていた。
そんな中、保存会の会長がなぜ盆踊りを残したいのか、自身の思いを話してくれた。
「ここは田舎だから、若い人は外に出ていってしまいます。それでもふるさとは帰ってくる場所ですやん。そのとき、ふるさとを感じられるものを残しておいてあげたいんです。」
「それができるのは、ここに残った者だけですよ」
私が20年もの間、盆踊りに関わり続けていられるのは、この言葉があったからだ。
盆踊りを続けるのは、若い人たちのため。 帰ってくる人に「おかえり」と言ってあげるため。そしての残った者の役割。これ以上の理由は必要なかった。
どうやって残すかではなく、なぜ残したいのか。それは需要などではない。未来への意志である。小手先のマーケティングの理屈などでは折れない意志。未来は意志に宿るのだと教えられた。
「死ぬまでにもういっぺんよーさん(たくさん)の人が踊る中で音頭とってみたいわ」と会長は夢を語る。
都会ではいま空前の盆踊りブームだ。一方で、地方に残る盆踊りは危機的な状況にある。担い手不足だけでなく、コロナ禍の自粛は消滅に向けて拍車をかけ、なくてもよかったんじゃね?という空気は、自粛が明けたとて、以前の姿を簡単には戻してくれない。
今すぐ櫓の建つ風景が戻ってくることはないだろう。それでも灯火のような意志を未来につなぐのだ。それが残った者の役割なのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?