『竜とそばかすの姫』初日考察
細田守監督作品はぼくの個人的なスケジュールと妙に合っていて、ほとんどの作品を初日に映画館で見ています(初日以外だとすべて映画館で)。今回も──ここ最近もろもろ超忙しかったんですけど──この日は奇跡のように時間ができまして、近所の映画館で見ることができました。
では感想を書いてまいります!(事前情報は少ないほどいいという方は、見終わったあとぜひお読みください! ぼく自身そういう傾向があって初日に行くのかも。今作はネタバレという方向性はほとんどない作品だとは思いますけれど。)
なお『竜そば』検索で来られる方もいると思うので先回りして自己紹介をしておくと、ぼく高島雄哉は〈小説家+SF考証〉で、この記事はそういう人の感想です!
ストーリーについて
公式サイトに結構くわしいストーリーがあるので、ここではもう少し短いあらすじを書いておきます。
──主人公の内藤鈴(すず)は高知の高校生。歌を教えてくれた母が幼少期に事故死してしまい、二人暮らしの父にもまわりにも心を閉ざしがちに。そんなとき親友のヒロから世界最大の仮想空間〈U{ユー}〉に誘われて、アバター的自己キャラクター〈As{アズ}〉を作る。すずは自分のAsに鈴の英訳からベルと名付け、Uで歌い出す。ヒロの助力もあってベルはたちまち歌姫となり、竜に出会う。竜は他のAsに対する危険行為のため、正義を標榜するAsたちに追われ、さらに現実世界の本人情報をあばく〈アンベイル〉をおこなわれようとしていた。ベルは竜を救うことができるのか──という感じです。
以上、今回触れたいキーワードはすべて書いています。オチはぜひご自分でご確認ください。分析はもう少し下で。
『美女と野獣』との関係性について
監督がインタビューで話していたのは後で見たんですが、あちこちにこれまでの『美女と野獣』の映像モチーフが散りばめられていて、ベルの名前もヒントですが、多くの人は事前情報なしでもそれなりに早めに気づくと思います。
今回、略称は『竜そば』を使わせてもらうとして、作品比較をします。
まず『美女と野獣』では基本的に野獣だけが問題を抱えていたのに対して、『竜そば』ではベル/すずも、竜も、共に心を閉ざしています。
しかし仮想現実のベルと現実のすずはひとまずは別の存在です(『美女と野獣』にはもちろんそのような〈複数現実性〉はありません)。〈As〉は身体感覚もワイヤレスイヤホン的なデバイスで本人と強く共有されていますが、それでも〈As〉と本人は違います(なのでベルが〈U〉で歌い、バズったあとも、現実のすずは母の友人たちとの合唱でもうまく歌えません)。
これは、まずはベルとして/ベルによって救われつつあるすずが、ベルを通して竜を救おうとする/ベルでなければ救えない、そういう物語なのです。
この物語構造/人物設定/世界設定は本当に素晴らしいと思います。
なので評価をするとすれば
本作『竜そば』は細田監督作品の中で最高傑作だとぼくは思います。ぜひ良きタイミングでみなさん見ましょう。
他の細田監督作品においても、魅力的な要素はふんだんにあって、たとえば佳作『サマーウォーズ』では──〈U〉に似た──仮想世界〈OZ〉が設定されています。〈OZ〉は公共サービスと強く結び付けられていて、なので〈OZ〉乗っ取りが現実世界に影響あるというドラマは大変面白いものでした。今回の〈U〉はさらに深く、公共サービスとのリンクはなくても、アバターを介していても、誰かと会うことはできる/どうしても世界はつながりあってしまうというところにまでたどりついています。
仮想現実を描くために
仮想現実はこれからも様々な新しい形態で登場するのは間違いなく、ひとつの作品で描けるのは、そのうちせいぜい数個の可能性です。
という意味でいうと、〈OZ〉に多くの人々が集まるのは必然性があり、それは劇中で簡潔に説明されていて、こちらはこちらでエレガントな世界設定だと改めて思います。
一点、〈U〉が人気なことは前提になっていて、それはもうこの『竜そば』世界ではそういうものだと断言すればいいと思ったりしますが、〈OZ〉的な意味で、設定が物語に寄与することはあるので、なにか楽しい工夫があってもいいかもしれません。
映画『レディ・プレイヤー1』においては──どうもVRプラットフォームが〈オアシス〉ひとつきりみたいでしたが──様々なVRワールドを転戦していくので、世界の多様性については描いていたと思います。
ぼくがさっきから気にしているのは〈プラットフォームの複数性〉とでも呼ぶべきもので、実際今もネットというひとつのプラットフォームにいる気もするので、いちいち気にしなくてもいいようにも思いますが、これが将来的にもずっとリアリティを持っているかどうかは、ちょっと議論したいと考えているのでした。
たとえばぼくの最新作『青い砂漠のエチカ』では
ぼくは〈小説家+SF考証〉なので──拡張現実技術が超発展している2045年が舞台ですが、VRの〈ワールド〉は複数あって、それぞれすべてがネット上に存在しているという設定にしています。
おそらく『竜そば』も、完全にひとつのオープンワールドというよりは、街ワールドや城ワールドなど、ワールドが複数あってその総称として〈U〉があるように思われます。こういうワールド設定は2021年現在の最適解と言っていいように思います。
こちらぼくの小説『青い砂漠のエチカ』は2021年に書いた長編であり、今も〈リアリティライン〉とでも呼ぶべき常識は変わり続けているので、ネット上のVRワールドという設定も──2045年に実現するかもしれないし実現しないかもしれないし──今年中にもリアリティは変わっていくでしょう(リアルでないと思われるようになるかもしれないし、ますますリアルだと感じられていくようになるかもしれません)。すべてはリアルタイムのそのときその瞬間の試みなのです。
〈U〉の独特さと素晴らしさ
『竜そば』における〈U〉は──複数ワールド設定はあるものの──ワイヤレスイヤホン的なデバイスによって身体的に没入する、そして50億人以上が登録しているという意味で、「もうひとつの現実」であることが強調されています。
冒頭で述べたように、物語に美しく呼応する、非常に優れたものになっています。今のネットとは少し違う、物語上最適な距離感の、『竜そば』ならではの、たったひとつの仮想現実です。〈U〉がこれから成立するかどうかはほとんど問題になりません。
と書いてきて、〈U〉のような結構強めの試みは──だからこそ──その成立について語らない、そういう超人気の仮想現実ですと断言するという方法がアリ/最適かもと納得してきました。〈OZ〉では公共サービスとのかかわりについて説明していたわけですが、『竜そば』では真逆の方針が採用されている、ということです。ぼくが考えるその判断の理由をオチとしましょう。
今回のオチとしての〈U〉の説明とすずたちの心
ということで、他にも様々な新しい試みが『竜そば』においておこなわれていて、ぼくはそれらがおおむねきれいに成立していると思います。
〈U〉の説明をあれこれしないのは、親友のヒロによってすずはよくわからないままベルとなるから、です。すず/ベルにとって〈U〉はいつまでも違和感のある世界なのです。一方ですずは現実に対しては、心を閉ざしてはいるものの、違和感は持っていません。この状況を簡潔に示すためには、〈U〉がどうして圧倒的なシェアを誇るのかなどなどの情報は不要でしょう。
映像についても、これまでの細田監督作品における情報の積み方の試みが『竜そば』で結実しています。ベルの音楽にも衣装にも新人からベテランまで多士済々、魅力的なスタッフが参加しています。
ということで結構初めに書きましたが細田監督最高傑作はそれなりに根拠のある意見なのでした。ぜひみなさまご自身の目でご確認くださいませ! 今日は以上ですー
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