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マナブ
台風19号が残した爪痕
東京に住む我々もまったくヒトごとじゃない
自主避難で近くの中学の体育館が避難所として開かれその後避難勧告に
翌朝の避難所の片付けをおやじ倶楽部の仲間達と
行って感じたことがある
もっと地域として機能させなきゃと
そんな中、スラックラインや、今ではスラックレールと言う自社製品の製造でお世話になっている
長野県小布施町にも被害が及んだ
浄光寺副住職であり、一月前に小布施町でワールドカップを開催し成功に導いたスラックライン推進機構代表でもある林映寿さんが動いた
元々、宗派で準備して来ていた食品メーカー、キャンピングカーレンタル、ヘリサービスの会社との災害協定を発動、そして、町のまだ手の届かない場所などに陣頭指揮とり続けた
自身の経験からマンパワーが一番復興には大切との思いからそのマンパワーを持続させるには
疲れ果て帰って来たボランティアの皆さんを
暖かいものなどでもてなし、少しでも気持ちを楽にして帰路についてもらったり、
ボランティアになかなか参加できない方達が、
ダイコンを切ったり少しでも何か関わり何もできないことに気を重くする必要のない
笑顔のホットステーションを立ち上げることに
幸いその立ち上げを手伝い、ボランティア帰りのみなさんにきのこ汁、おにぎりなどを提供させていただき安堵する表情を見ることができた
そして被災されたリンゴ畑に囲まれた、工場の
片付けにも参加したが、屋根まで上がった水、泥、あたり一帯のリンゴの木はもう切るしかないとのリンゴ農家さんの声と途方もない状況
工場の社長からも様々なお話を伺ったが
頭の中はいっぱいで放心状態と
16時のボランティアのお迎えの時間には
5人のチームで作業していたが
気づけば皆無口でこの途方もない作業をギリギリまで続けた
少しでもこの会社をきれいにしたいとの気持ちだったと思う僕らの帰った後も長い作業が残る
そして作業を終え、ホットステーションに
現場から戻って食べたきのこ汁が五臓六腑に染み渡る
そして一番学んだことは、この笑顔のホットステーションやボランティア活動、防災は全て、日々の暮らしの中で営まれて来た、コミュニケーションがあってはじめて大きく機能すると
ヒトとコミュニケーションをとるのが
苦手なヒトも得意なヒト
苦手になっちゃったヒトも
いろんなヒトがいる
災害は待ったなしのところまで来た
防災、命に関係のないヒトはいない
防災を日常に取り込める仕組みづくりに
小布施町での2日間で学んだことを糧に
生かしていこう
ヒトごとからジブンごとの時代への転換期かも
しれない
やれることをやりましょう