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人には馬鹿にされていろメンタル・真摯コミュニティ全盛期
私は今年で46歳。
学生の頃はバレーボールに打ち込みました。
今は週2回でサッカー(フットサル)にいそしみ、
総合格闘技ジムは休会してますが、ゴルフのレッスンに通い出しました。
サーフィンやサバゲーなど、面白そうだなと思った事はとりあえずやってみるのが好きです。
『人には馬鹿にされていろ』
私の座右の銘です。
年甲斐も無くいろんな事に挑戦する私の、やはり根幹にあるマインドはこれだと思います。
人に馬鹿にされる、というのはメンツのようなものが潰される事で、人によっては受け入れがたいマインドかも知れません。
私はどのような経緯でこの価値観を培ったのか。
そして、これによってどんな人生を生きているのか。
自分語りがやや多め。今回はそんなお話です。
私がサッカーを始めたのは14年前、32歳の時でした。
中田英寿氏が現役を引退した年齢(29歳)よりも後ですね。
会社の辞令で海外赴任しており、家族と一緒にドバイで暮らしていました。
その当時、未経験だったサッカーを始めた理由は二つあります。
学生時代に部活で多くの友人を作った成功体験から、ドバイでもスポーツコミュニティに属し友人を作りたかった事がひとつ。
それから、サッカー初心者だった私は同じくサッカーを始めた息子(当時は6歳)に何もアドバイスできず、どうせなら「上手くいかない気持ち」を共有しながら一緒に頑張ろうと思ったのがもうひとつの理由でした。
さて、サッカーは学校の体育でしか経験が無い程度の私。
ドバイの社会人サッカーチームに入るとそのレベルの高さに舌を巻きます。
学生時代にオーストラリアのプロ3部チームに所属していた人。
コロンビアで日本人初のプロ選手として活躍していた人。
Jリーグからオファーがあったけど安定を求めて大企業に就職した人。
さらに、
年配でも、ボールを止める蹴るなど足元の技術がしっかりでき、ベテランの動きでチームに貢献する人。
初心者とはいえ、若さ溢れる跳躍とスピードで眩しく活躍する人。
技術も体力も申し分ないバチバチの20代経験者。
私は、既に体力の衰えを感じ始める30代、サッカー経験無し。
セオリーとなるポジショニングも分からなければ、ボールを止める、蹴るなどもままなりません。
とはいえ、チームは日本人会から補助金を貰いながら運営される日本人のためのサークルです。来るものは拒まず、去る者は追わないそんな組織。
当然、若くも無い技術も無い私は辛酸をなめる事になります。
当時はドバイに赴任して2年ほど。
慣れない海外での仕事に悪戦苦闘しながら平日は仕事に忙殺されます。
6歳の息子に加え下の娘はまだ1歳。
異国の地で小さな子供達を一人で見なければいけない妻のストレスは相当でした。
そんな中、半日とはいえ私が週末のサッカーに出かける事を妻は快く思いません。
平日はほとんど家にいないんだから、土日は家にいて子ども達と遊んだり、
買い物に連れて行ったりして欲しい。
当然の反応です。
そんな逆風の中なんとか時間を捻出しサッカーの練習に参加しても、紅白戦では試合に出れない。試合に出てもパスももらえず、まともにボールに触る事もできない。ミスも多く、周りからは白い目で見られる。
と、散々でした。
『妻に負担をかけてまで練習に来て、俺は何をやってるんだろう。』
はじめてすぐは、ずっとそんな感情に支配されていました。
この話をするとだいたい皆口を揃えて「何で辞めなかったの?」と言われます。
しかし当時の私は、こんな確信がありました。
今はコートの外で上級者の試合を眺めているだけだが、チームに属しているというこの時間も意味がある。年齢問わず礼儀正しく人に接する。
練習には遅刻しない、練習を休む時はきちんと代表に連絡を入れる。
サッカーの動き(守備の仕方、相手の守備をはがす方法、パスをもらう動作など)が分からない時は積極的に質問する。
効果的な自主練のやり方を教えてもらい、一人でもできる事を続ける。
ひたすら真摯に活動に取り組めば、いつかチームに受け入れてもらえるという確信です。
そして、今のこのツライ経験こそが、やがて息子が直面する試練になる。
ならば今、私がこれを乗り越えよう。
頻繁に入れ替わるメンバーの多さは、駐在員で構成されるチームの宿命です。また、しっかり練習して強いチームを作ろうとするサッカー部の活動になじめず、「技術もあって若い」けど、そりが合わずにフェードアウトしていくメンバーも多かった。
そんな中、下手だけど礼儀正しく、きちんと練習に来てやる気を見せる私は、だんだんとチームに受け入れられていきました。
3年ほどが経ち、やがてチーム内で「初心者の星」と呼ばれるようになり、前線から泥臭くチェイシングを見せる事で「ドバイの岡崎真司」と呼ばれたり、副キャプテンを務めるようになりますが、ここでは詳細は割愛します。
ここで、幸運にも私は強烈な成功体験を得る事ができました。
それは次のようなものです。
新しい組織に属しようとした時、実力があればチームになじむのは時間はかからないでしょう。
自分が何者であるかをすぐに証明できる。
一方で、チームに示すべき実力が無い場合、時間はかかるが内面を分かってもらう必要がある。そして、内面を理解され受け入れてもらった時、すべての我慢の時間は信頼として昇華され、確固たる居場所を組織に築く事ができる。
前置きが長くなりました。
ここで、『人には馬鹿にされていろ』に戻ってきます。どういうことでしょうか。
新しい事に挑戦する時、当然ですが私達は素人です。
示すべき技術はほとんどありません。
そのスタートの瞬間、先方の期待には応えられないでしょう。
そもそも期待されていない事の方が多いかも知れません。
それでいいのです。
何も気にする必要は無い。
あなたはその期待に応えなくても良い。
「この人はまあ大した事ないな。」と馬鹿にされていればいいのです。
逆に、大事な事は何でしょうか。忘れてはいけない事は何か。
私が思うそれは、敬意をもって人に接し、その活動に真摯に取り組む姿勢を示し続ける事だと思います。
これは時間がかかる作業です。
あなたはきっと居心地の悪さを感じ続けるでしょう。でも、それでいい。
その時間はいつか、あなたに対する信頼に昇華されるはずなのです。
凄いと思われたい。
上手くできなくて、場違いだと思われるのが怖い。
新しい事にトライするあなたを躊躇せしめる感情だと思います。
そんな短期的な感情に支配されるのは勿体ないと気づきましょう。
居心地の悪さを感じている時は成長している時だと良く言われます。
別の言い方をすれば、コンフォートゾーンの外側に出る事で成長を促す、という事でしょう。実は、それだけでは見失いがちな事象も隠されている。
何か。
居心地の悪さの中で、自分の成長と同時に醸造されているものは、その活動と真摯に向き合うあなたへの周りからの信用と信頼です。
例え技術の上達が期待した程では無かったとしても、例え継続のわりにフォロワーが伸びなかったとしても、意識的、無意識的にかかわらず周りは見ている。
真摯に活動に取り組むあなたは、少しづつ彼ら彼女らの視界に居場所を作り始める。
まとめます。
新しい事に挑戦する時、あなたはあなた自身と向き合い、上手くいかなくてもいい、真摯に活動に取り組みましょう。
私は真面目に頑張ります、私はこんなに素晴らしい技術があります、というアピールは不要です。言葉で他人のマインドを変える事は出来ない。
だから、今のありのままの自分を『馬鹿にされてても構わない』。
現時点において、他人があなたに対しどのような評価をしようが、それは他人の意見であってあなたには何の関係も無いのです。
人には馬鹿にされていろ、真摯に活動と向き合えば必ずコミュニティに居場所は見つかるはず、というマインドを得た私は、帰国後にいろんな事に挑戦しています。
38歳で不動産の勉強を始め、
39歳で初めて築古のアパートを一棟買いました。
40歳でFP3級と簿記3級の資格取得を決意し勉強開始。
41歳で単身赴任をきっかけにゴルフとサーフィンを始めました。
冒頭にも書いたように、42歳にして人生で初めて総合格闘技を習いだし、サバゲ―にも挑戦。43歳でプログラミングスクールへ入塾し、今はUnityで年甲斐もなくゲームを作っています。
何も、やりたくない事を無理して続けようと言う気はありません。
ただただ苦痛に耐える事が美学だなどと言えば、時代錯誤と思われるでしょう。
それでも、と思うのです。
ちょっと興味あるな、やってみたいな、どんな感じなんだろうな、せっかくそう思えるモノに出会った時、上手くできないだろうな、恥をかきそうだな、というスタートの居心地の悪さを理由に敬遠するのは勿体ないのではないか。
実は将来にわたって楽しめる趣味となるかもしれない。良い友人との新しい出会いが待っているかもしれない。
今では、新しい挑戦に対する恐怖のようなものはだいぶ薄れました。
人の目を気にせず、真摯に継続する事で開ける未来を想像できるから。
そして、どの趣味がどう育っていくのか自分でもワクワクしています。
余談ですが、私が挑戦してみてこれは続けなくてもいいな、と思ったのは釣りです。どうしても生きた魚が触れなかった。
予測不能な動きをするソレを私の本能がどうしても怖がった。そういう事もあります。
以降、私の中から『釣りに挑戦してみたいな』という願望は早々にデリートされました。
子育てに忙殺される日々で、新しい挑戦どころでは無い。
そういう方も多いでしょう。
私もそうでした。子どもが小さい頃は、とても新しい挑戦どころではありません。
もちろん焦る必要は無いと思います。
人生はきっと、子育てが終わってからが長い。
いつか子供の手がかからなくなった時に、またここに戻って来ていただければと思います。
やがて巣立っていく子供達。
気が付けば、初老にさしかかろうという身体に、凝り固まった思考回路。
とても挑戦なんて、と多くの人は口を揃えるでしょう。
でもきっと、そこからの時間が圧倒的に長い。
そんな時に、他人の評価に囚われて、恥をかくのを恐れて新しい事に挑戦しないというのは人生の視界を狭めてしまう。
なので、是非覚えておいて欲しい。
人には馬鹿にされててもいいんです。
新しいコミュニティにも必ず居場所は作れます。
挑戦は心を若くし、若い心は身体を賦活します。
青春とは、決して年齢の事を言っているのではない。
挑戦し心が躍動する時、あなたはまさに青春を感じるはずです。
言い換えるなら、挑戦でなくても良い。
続くかどうか分からないけれど、趣味の種を蒔きましょう。
どれが育つか分かりませんが、もしかしたらそのうちの一つが小さな花を咲かせるかもしれません。
その時、あなたの人生にひとつ彩りが増える事でしょう。
なかなか上達しない格闘技、若い練習生には到底かないませんが、そんな時こそ上達できるチャンスです。
経験者が集まるフットサル、足元の技術は物足りないけど、走るかどうかは自分で決める事ができる。
人の評価を気にせず、人と比べる事を辞めた時に辿り着く圧倒的価値観とは、『自分は今がまさに全盛期である』という事です。
漫画の中のセリフではありません。
あなたもきっとそう思える日が来るのです。
何歳からでも挑戦できる。そんな体験を、今後もシェアしていけたらと思わずにはいられません。
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最後まで読んで頂きありがとうございます。
記事が面白かったと思えて頂けたら、是非スキを頂けると嬉しいです!