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❨856❩1974.1.2.水.曇/交通事故!アンカラの病院に担ぎこまれる/アンカラ→カイセリ→アンカラ:トルコ
イランのビザは、アフガニスタンのビザが初めに要るという事。アフガンの領事館へ行くと、7日まで休み。
仕方なく、5ドルと高い金を払って、ツーリスト・ビザを取る。
昼からアンカラを出る事にし、郊外まで3時間、ヒッチしながら歩いた。
車の風が身に沁みる。楽じゃネェ〜〜〜。
やっと止まった車は、40km先の家も何も無いカイセリの分岐点まで。小丘の続く所で、野山は真っ白。
薄暗くなり、車もほとんど通らず、こんな所でキャンプか…と思っていたら、自家用(普通)車が止まってくれた。
天の助け…と思って乗せてもらったが、甘かった。
じいさんばあさんの二人連れ。いたって運転 は下手で遅いが、カイセリまで行ってくれるという事で、ホッとした。
80kmも行くと暗くなった。
Bariという町を過ぎ、ウトウトしながら、前を見ていた時、カーブ(?)にさしかかり、大型トラックが前から来た。
入れ違い…と思ったところ、ガシャ〜ンという音と共に、強烈なショックを受けた。
正面衝突!
後ろに乗っていたが、衝撃で前後のドアーが開いて、自分が放り出されるのが分かった。
痛いもクソもなかった。
真っ暗な中で、道に立とうとしたら、何か、生温かいものが顔からボタボタ落ちて来た。
ーー切った!ーーと思い、ポケットの皮の手袋で顔を押さえて、道路脇へ走って、仰向けに寝た。
意識は普段と変わらず、唯、誰か一刻も早く、病院へ連れて行ってくれないかと祈るばかり。
寝ていて、フッと、戦争で傷つき死んでいってた人達の事を考えた。
同時に、ーー死ななくて良かった!…まだわからないのにーーと思った。
長い時間(15~30分?)、ガヤガヤ周囲の人の声を聞いていた。一台車が来たことが分かった。俺は動かなかった。
かつがれて、車に横に乗せられた。タクシーだったらしい。
そこで、俺の車のじいさんが、胸を打って声も出せない位でいるのが分かった。助手席のばあさんは、ケガーつしておらず驚いた。
車の中でも、こめかみの辺から血が流れ耳に入った。紙をくれ!と必至で頼んでも通じず。
途中、さっき通ったBariという村の診療所で降ろされ、応急手当。オキシフルの消毒と、包带をしてもらう。
その時は一人で歩いたが、体の力が抜けた感じで、やけに震えが来た。看護婦が手袋を取った時、顔を見て驚いていた。
その後、結局逆戻りして、アンカラの病院まで来た。こんな所でどんな手術をされるのか?と気が気でなかったが、先ず命を考えた。
病院の連中はノンビリしていやがって、着替えの時、「ツーリスタ? ジャポネ? カーボーイ?」などと勝手な事を話しかけて来る。
一人、タバコを口にくわえさせてくれたのは嬉しかった。
服、ズボンを 着替えさせられ、全て持ち物を預けさせられた。これはヤバイと思ったが、これまた、病人の弱味。寝台車で別棟に運ばい、手術となった。
まばゆいライトの下で、「サイホウ」が始まった。
オキシフルをブッカけられ、跳び上がりたい程だった。麻酔をしないのだ。痛いなんてもんじゃなかった。足だけバタバタしてやった。
ドクターは他人事と思って、鼻歌まじりでやっている。時々看護婦が、「アアッ」なんて小声をあげて笑う。失敗したときのようだ。
悲劇が喜劇のようでもあり、全く情けない思いでいた。兎に角、歯を食いしばる以外にはなかった。神経に触れると、脳にビリっとくる。オキシフルのしみるのが、何よりの痛み止めとなった。
ザッザッザッとごく簡単に顔を拭き、手術は終わった。時間は分からない。長かった。
部屋へ寝台車で運ばれると、車のじいさん、ばあさんが、ションボり座っていた。
じいさんは肋骨を折ったらしい。気の毒になあ。
寝ていると、ばあさんが笑顔を作って、ミカンを口の中へそっと入れてくれた。やっと半分程開いて、ゆっくり噛んだ。ーーアリガトウーー
全く、今夜俺は、悪夢をみたのか?
こんな夢、二度と見たくない。
新年よ、俺に幸あれ!
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赤:カイセリ