留学日記#14: 「やりたいこと」が見つからなくても
「やりたいことが見つからない」?
大学生になってから、これから人生どうしていこう?自分はなんのために勉強してるんだろう?なんで生きてるんだろう?みたいなことを漠然と、ぼーっと考える機会が多くあります。就活で自己分析をしている人や、そうでなくても、なんとなく思索にふけることが多い人もいるのではないでしょうか。
学生の悩みの中でも特に多いのが、「やりたいことがわからない」という悩み。私もやりたいことがわからないので、ときどき困っています。それでも、大学の出願の時や、留学の出願、就活の時には、「やりたいこと」を暫定的にでもいいから書かなきゃいけないので、すごく頭を悩ませます。
しかも、毎日毎日やらなきゃいけないことがたくさんある人はなおさら、のんびり時間を取って「やりたいこと」が何かを考える暇がない、そんなことを考える間もなく時間が過ぎていく、という人も多いかもしれませんし、自分もそういう時期があったように思います。そうなると、「このままで、大丈夫かな」という漠然とした不安に襲われる夜もあるかもしれません。
その中で、自己分析をしてみたり、誰か親しい人と話をしてみたりして、なんとかして「やりたいこと」を見つけようとする人、あるいはそういう人をサポートしようとしている人がたくさんいらっしゃることは、承知しています。今日はあえて、「やりたいこと」が見つからなくても大丈夫、いやむしろ、「やりたいこと」をやらないほうが人生うまくいくときもあるんじゃないの?っていうお話をしてみたいと思います。
「やりたい」を選ばなかったけれど
最初に私の話をしておきます。私はコツコツ努力することはそこまで苦手なほうではないんですが、何か一つの目標を定めてそれに向かって頑張る、ということがとても苦手です。というより、目標を定めたり、やりたいことを見つけるのが苦手ですが、それが分からないなりにも、好きなことややらなきゃいけないことをコツコツやるのはできる、というちょっと変わったタイプの人間かもしれません。
そんな私の人生を振り返ると、常に「やりたいこと」を見つけて、それに向かって頑張ってきた、という人生では決してなかったように思います。そうではなく、やりたいことはわからないけれど、とりあえず目の前にあることに取り組んできた、あるいは流れに身を任せてきた、そういう瞬間も少なからずあったと思います。
例えば課外活動にしても、留学にしても、同じことが言えると思います。高校を卒業した時には、まさかまた自分が母校に戻って後輩たちの指導をすることになるとは思わなかった。けれど、先生に頼まれ、後輩たちに催促されているうちに、いつの間にか学校に足を運んでいて、いつの間にか引き受けていました。コロナ禍になってからは大学がなくなったことをいいことに、週に3回も行くようになっていました。これも、半分はやりたかったことだけれど、半分は成り行きでなったことです。
今のトライアスロン部でマネージャーをやっているのも90%以上成り行きです。最終的にそれが「やりたい」にはなったけれど、それをやり始めるきっかけは本当に偶然で、成り行きで始めたことでした。気がついたらなっていた。あの時もし自分が「やりたい」を追求していたら、きっと僕は部を辞めていたと思います。もう、僕には競技を続けるだけの体力と気力がなかったので・・・。
留学にしても、なんとなく興味はあったけれど、コロナ禍のなかで状況が好転しない中で、本当に心から「行きたい!」と思えたことは、正直一度もありませんでした。むしろそれよりも不安、憂鬱の気持ちの方が大きかった。そんな中で、コロナ禍を言い訳に一度は辞退して、逃げるように日本の活動に集中しました。
それから数ヶ月した秋頃に、大学から半期だけでも行きませんか?と言われて、なんとなく返事を後回しにしているうちに、いつの間にか、行くのもアリかもしれない、という気持ちになっていました。結局、その後のことも何も考えないままなんとなくアプライしましたが、最後まで不安は抜け切らないまま。初めての海外なのに、ちょうど出発がオミクロン株の拡大と重なり、出発前日まで「行きたくない」という気持ちが結構ありました。飛行機に乗ってアムステルダムについても、「来たー!」という気持ちよりも「来ちゃった」という感じ。来たというよりも連れてこられたような心持ちでした。
今までの人生を振り返ると、それが全て「やりたい」を選んでいたわけではなかったと思います。むしろ、その場での「やりたい」を選んでいたら、もしかしたら母校にも行っていなかったかもしれないし、留学にはきていなかったかもしれない。トライアスロン部も辞めてしまっていたかもしれない。
私の人生は、「やりたい」と思ったことを思う存分すること、それと、「人生の流れに任せる」こと、その2つが半分半分くらいずつで成り立ってきたような気がします。けれど、それでも今振り返ってみれば、自分の人生の中に、完全ではないけれど一貫した方向性がきちんとあるように思います。だからきっとこれからもその方向性に沿って、進んでいくんじゃないかなぁと、なんとなく思っています。
人生の流れに任せるということ
やりたいこと、好きなことが見つかると、胸がドキドキして、ワクワクするでしょう。それを実際にやることができたら、とても幸せなことだと思います。逆に、やりたいことがわからずに、なんとなく毎日を生きている、そんな日々が続くと漠然とした不安に襲われることもあるかもしれません。
けれど、やりたいこと、好きなことは、そんなに簡単に見つけられるわけでもないし、常に見出し続けられるものでもないのだとも思うのです。時には、自分のやっていることが本当に正しいのかと迷ったり、進むべき道が見えなくなったりすることもある。そういう時に、例えば自分と向き合って想いを言語化したり、誰かと話したりカウンセリングをしたりして、自分の「本当にやりたいこと」を見つける、それも1つの手段かもしれない。けれど、そうやったとしても見つけられないことだって、あると思う。というより、そうやってやりたいことが見つかる、というのは、なんだか嘘っぽい。
人生の主人公は自分ですが、人生は主人公だけで成り立つものではない。自分の人生は自分だけで作れるものではありません。自分の周りの人との出会いや縁が、自分を作ってくれることだってあるし、むしろそっちの方が大きいかもしれない。その出会いや縁を信じて、それに身を任せることで、意図せずに勝手に道が開けてくることもあります。
そういう時には、無理をして、見つけられるのかもわからない「やりたいこと」を見つけようと頑張る必要は、ないのかもしれません。むしろ、今自分が持っているものや、人との出会いや縁を大切にして、目の前にあるものに真摯に取り組む。そういう時期があってもいいのだろうと思います。それでも、後から振り返れば、きちんとした方向性を持って、進んでいることがわかる。
やりたいことがはっきりしているなら、その方向に進めばいい。けれど、それが見えないなら、無理して探す必要はない。とりあえず今目の前にあることを、真摯に取り組めばいい。いずれ道が開ける日が来るから。
というのが、今回の留学を通して思ったことでした。今回の1番伝えたかったメッセージはこんな感じです。ではまた。
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