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回顧録04〜06年《懐かチラ・シリーズ〜オペラ編〜》

生の演奏機会をお待ち下さっている数少ない(コアなw)ファンの皆様に向けて、断捨離しながら出来ることは何か無いかなと考え、過去に出演した舞台チラシが大量に出てきたこともありwこの機会に簡単に振り返ってみようかなと。

もしお時間ありましたら、宜しければお付き合い下さい♪

まずは今から17年前、私が28歳の頃からオペラ歌手になって最初の三年間、2004〜2006年で出演させて頂いた舞台。


2004年
《アイーダ》伝令役(ノルトハウゼン歌劇場来日公演)
《後宮からの逃走》ぺドリロ役(日生劇場オペラ公演)

2005年
《ザザ》アウグスト&マルコ役(新国立劇場小劇場)
《レオノーレ》囚人役(新日本フィル定期公演オペラ)
《トリスタンとイゾルデ》メロート役(青いサカナ団)
《夕鶴》与ひょう役(メキシコ・セルバンティーノ国際音楽祭)

2006年
《セルセ》セルセ役(新国立劇場小劇場)
《火刑台上のジャンヌ・ダルク》伝令他4役(新日本フィル定期)
《道化師》ぺッぺ役カヴァー(新国立劇場)※本役;吉田浩之
《エリア》アハブ王役(サイトウキネン松本)
《イドメネオ》アルバーチェ役カヴァー(新国立劇場)※本役;経種康彦
《利口な女狐》ラパーク役(日生劇場オペラ公演)


〜2004年〜

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二期会会員になって最初のお仕事としての舞台が《アイーダ》伝令役でした。最初のオペラが歴史的名歌手F・コソットとの共演という幸せ。コソットさんが当時の古いカセットプレーヤーを舞台袖に置き、自身の演奏の録音をしている姿、あれほどのキャリアを積まれても尚、精進する姿に強く感銘を受けました。そして初めて受けた日生劇場のオーディションで選ばれ、《後宮からの逃走》ペドリッロ役で出演。

オーディション当日に名簿を見て、自分が学生時代に後ろから客席から眺めていた名の知れた先輩歌手たちがオーディションを受けている事実を知り、なんて大変な世界なんだ、こりゃ無理だ、と一気に気負いが抜けたおかげで選んで貰えた
のかなと今でも思っています。以後、もう一度同役を同劇場で歌える機会を得られるとは、、思い入れのある誰も死なないハッピーエンドな大好きなオペラです♪

〜2005年〜

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新国立劇場の試聴会で選んで頂き、最初のオペラ出演となったのが《ザザ》マルコ&アウグスト役。歌う出番は少ないながら、足を引きずるような癖を役に持たせるなどを考え、同プロダクションで人形師&マイムで出演されていた小川耕作さんにプライベートで動きの指導を受けたり、とても有意義な舞台経験となりました。たくさんの皆さんにお世話になりながら数小節に若いなりの精一杯、時間と魂を注いだ記憶に残る舞台でした。その後にも青いサカナ団《トリスタンとイゾルデ》メロート役オペラシンガーズの一員としても出演しながらの新日フィル《レオノーレ》囚人役、そしてこの年はやはりメキシコ・セルバンティーノ音楽祭での《夕鶴》与ひょう役が自分にとって忘れ得ぬ経験となりました。新国《ザザ》での頑張りを見ていた当時の小劇場プロデューサー竹中史子さんから「夕鶴の与ひょうやらない?」と声を掛けられ、「やりたいです!どこですか!?」と尋ねると「メキシコ。」と言われた時の衝撃は今でも鮮明に覚えています(笑)メリダという都市に二ヶ月間滞在し、現地のオケや指揮者と稽古を重ねて、メリダ・メキシコシティ・グァナファトの三都市で上演。初役なのと留学経験はあれど、慣れない南米での生活に心身共に疲労が蓄積し、一番大切な最後の本番で高熱を出してしまい、最後は苦い後味の残る舞台。でもここでの経験がその後の自身に大きな財産となりました。

メキシコ人とのダブル・キャストで、今では世界的テノールとして活躍している当時31歳のハビエル・カマレナと共に稽古を重ねられたのも、忘れ得ぬ思い出。同じホテルで毎日聴こえてくる彼の発声練習や歌声、素晴らしかった。

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〜2006年〜

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新国小劇場《ザザ》の際、当時の芸術監督ノヴォラツスキー氏に終演後に挨拶を受けた際、「機会があればもう少し歌う役がやりたいです」と言うと肩を叩きながら「OK。待ってなさい」と言われ、社交辞令だろなと思っていたらしばらく
して《セルセ》のセルセ役でのオファーが届き、驚きました。プロレスリングのように四方八方から見られる舞台で、とてもエキサイティングな想いで初の主役を精一杯、歌い演じました。この年は前年に引き続き新日フィルで今度はオネゲルの《火刑台上のジャンヌ・ダルク》で小さな役ながら4役を一人で歌う機会に恵まれ、イケメンマエストロのクリスティアン・アルミンクのエスプリ効いた素晴らしい音楽に浸れてとても幸せでした。

そして新国では、小劇場での実績が評価され、いよいよ大劇場でカヴァー歌手として《パリアッチ》《イドメネオ》に参加。一昔前は、それだけ新国大劇場の舞台に関わるには、試聴会での一回での演奏評価だけでは無く、小劇場での試用期
間のようなものがあり、そこである程度評価された者だけがピックアップされるような厳しさがありました。この時は、吉田浩之さん、経種康彦さんという当時の国内のスターテノールのカヴァーで、御二方の匠技の声と演技を全身で盗もう
と必死でした。吉田さんの唯一無二の誰も真似の出来ない透明感のある美声、素晴らしかった。経種さんには、この時とても可愛がって下さり、本役なのにカヴァー稽古にまで見学に来てくれて、「うん。まだ全然ダメだね。」と厳しいダメ出しを下さり(笑)激しく凹みましたが、稽古後に飲みに連れて行ってくれたり、いろんなお話を伺い、本当に夢のような時間を過ごさせて頂きました。

そしてこの年は小澤征爾監督サイトウ・キネンフェスティバルにて、メトヴォーカル・コーチ、ピエール・ヴァレー氏らのオーディションで選ばれ、メンデルスゾーンの宗教曲《エリア》をオペラとして演出付きで上演する際、バール崇拝の悪い王様、アハブ王役をさせて頂きました。この時の来日歌手がまた凄まじく、エリア役ホセ・ファンダム、アルトナタリー・シュトゥッツマンでした。彼らとドッペル・カルテットをさせて頂いたあの音色、空気感は今でも忘れられません。

日生劇場では、デビュー三年目にしてヤナーチェクのオペラ《利口な女狐》ラパークという犬役をやらせて頂きましたwこの時は手に犬のパペットを付けて歌うという演出で、パペット犬の扱い方を新国小劇場でお世話になった人形師小川耕作さんにお願いして、日生での稽古以外にプライベートで扱い方を習いました。

今思えば、兎に角、毎回の舞台、自分が出来得る限り時間と労力を注ぎ、ベストを尽くしていたつもりです。

それぞれ掘り下げればもっと想い出はありますが、それは心に留めて、さらっと振り返らせて頂きました。

次回、2007〜2009年を同じくチラシと共に、ちらっと振り返りたいと思います♪(笑)




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