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あの人の意見

オッサンになってくると楽になることも多いですね。特に試練をくぐってきた人の話なんかは、自分のことさえ他人事のように見えてる(客観的にみえてる)のかもしれないねーっという、引き込む力がありますよね。昨日、荒川洋治の最新詩集『北山十八間戸(Kitayama Juhachikenko)』なんか読んだんだけど、日本語にはそもそもしかし、井筒俊彦ばりの隠喩の世界が広がっていて、それがむしろニュアンス・ニュアンスの綱渡りをしているように見えます。パリっとしていない! 完全に翻訳不可能。僕の友人で有名な翻訳家が、荒川洋治の『見附のみどりに』という詩を翻訳しているときに、「意味がわからん。これ、嫌いです」と、隠喩がどこを指しているのか(メトニミーの範囲)を僕に聞いてきたことがあります。アクロバットなのが荒川洋治なのです、と言いましたが……。でも、その綱渡りも、もうワンパターンだなと思ったのが『北山十八間戸』。これなら、普通のおっさんが、普通な意見を言っている人の話を聞いた方が面白いじゃん。所詮は公共サウナなんかで広がる街場の政治論なんだし。※写真は教皇

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