オッサンになってくると楽になることも多いですね。特に試練をくぐってきた人の話なんかは、自分のことさえ他人事のように見えてる(客観的にみえてる)のかもしれないねーっという、引き込む力がありますよね。昨日、荒川洋治の最新詩集『北山十八間戸(Kitayama Juhachikenko)』なんか読んだんだけど、日本語にはそもそもしかし、井筒俊彦ばりの隠喩の世界が広がっていて、それがむしろニュアンス・ニュアンスの綱渡りをしているように見えます。パリっとしていない! 完全に翻訳不可能。僕
脳梗塞の後遺症のために、父の耳は聞こえません。昔は父の最も好きだったベートーヴェンの交響曲第七番を大きなステレオ装置の前で指揮してくれたこともある、ユーモアたっぷりの父なのですが、耳が聞こえなくなってからは用心深くなり、心も硬直してしまったように見えます。かつて同じ音楽を聴いていた経験、例えば、母が弾いてくれるピアノの発表会の曲などを、僕たちは心に共有していて、僕は今も聞こえるまま、父のほうは聞こえないまま生きています。それって、面白いことだなと思います。あたかも耳にも寿命が