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耳の終活

脳梗塞の後遺症のために、父の耳は聞こえません。昔は父の最も好きだったベートーヴェンの交響曲第七番を大きなステレオ装置の前で指揮してくれたこともある、ユーモアたっぷりの父なのですが、耳が聞こえなくなってからは用心深くなり、心も硬直してしまったように見えます。かつて同じ音楽を聴いていた経験、例えば、母が弾いてくれるピアノの発表会の曲などを、僕たちは心に共有していて、僕は今も聞こえるまま、父のほうは聞こえないまま生きています。それって、面白いことだなと思います。あたかも耳にも寿命があって、終活をして枯れていくような感じに思えるからです。父の耳にはいわば形骸化した耳が付いていて、忘れ去られているようにも見えます。父はそれでも耳掃除とかするのかな。僕は副鼻腔炎を持っていて、いろいろな薬を鼻にぶち込むので、耳にもその液体が出てくることがあり、頻繁に掃除します。オランダでは、耳の掃除はしちゃいけないって言われているのに、なんとも耐えられないこそばしさと痒みがあって、綿棒を見るとそれを突っ込みたくなります。

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