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『地方創生』という摩訶不思議な言葉

NPOの世界に入って10年を越した。
10年目にして一度「法人職員」という枠から出てみたくなって今はフリーランス。
しかし、NPOから抜けたわけではなく、NPO人としてのプライドを胸に相変わらず活動は続けている。
NPOとは人々の暮らし、そして、営みを保全、または必要であれば再構築することが仕事だと思っている。

『地方創生』『まちづくり』
非常に摩訶不思議な言葉たち。
参加したイベントがテーマにこの言葉を掲げている以上、便宜上、僕もそれに合わせてその言葉を使うこともある。

しかし、「地方」は「創生」するまでもなく、そこに既に存在するのであって。
「まち」をわざわざ「作る」ことはしなくとも、既に作られているのであって。

正確には「再構築」「リ・ブランディング」なのでは?って思っている。
既にそこで暮らし、営みを育んでいる人々がいて、ちゃんと産業があり、経済が動いている。
この場合の経済とは目に見える「物理」ではなく目に見えない「情報空間」における経済循環である。
そして、「限界集落」とか「消滅可能性自治体」なんて言葉、失礼極まりないワードだと思っている。

九州移住ドラフト会議
選手としてエントリーし、強化合宿に参加してきた。
九州各地から12団体が「球団」としてエントリー。

この合宿を通して感じたこと。
どのまちも素晴らしいリソースをたくさん持っている。
「創生」しなくても「作る」ことをせずとも既にそこにある。
失礼をお許しいただき、感じた課題を述べさせてもらうと、足りてないのは、全体をコーディネートする力、そして、ブランディングする力。
それをするだけで、「限界」でも「消滅可能性」でもなくなる。
まぁ役人が定義づけした「限界集落」や「消滅可能性自治体」なんて物理的な数字だけを投影し、何も意味のない、価値がないことだと言う僕の持論は置いておいて。

ある球団のメンバーからこんな言葉を聞いた。

「僕たちは別に外から注目され、賑やかにしたいわけではない。この村をこの先もずーと守りたいだけ」

すごく重い言葉だと噛み締めた。
「地方活性化」と言う言葉もそこで暮らすの人が「活性化」を望んでいるのかどうか。
しっかりとそこで暮らす人たちと向きあった上で、「活性化」する必要があるのかどうか見極めることが必要。

「まちづくり」に関わりたい。「地方創生」に興味がある。
僕はそんな生半可な気持ちでこの仕事をしているわけではない。
この仕事、ガチでラフでタフな仕事である。
生半可な思いだけでできる仕事ではない。
僕はこの仕事に対するスタンスは「好き」とか「嫌い」とかでなく、
「生きてる意味がここにある」という覚悟。
そこに暮らす人たちとしっかり、そして粘り強く向き合う「覚悟」


ガチでそれぞれの球団のまちを「リ・ブランディング」したい。
そのまちに暮らしを営んでいる人たちと向き合い、何が必要で、何が不必要で、どう言う未来を描いているのか、それを理解した上で、「リ・ブランディング」の必要性があるのか徹底的に追求し、もし、必要であればそのまちに欠けていることだけを埋めにいく。それがなんであれ埋めるために仕事をする。余計なことはしない。そこに尖っていく。
それが「プロ」だと自負している。

そのためには僕はガチで仕事をしたいと思っている。
指名されたまちに遊び半分で関わる気はない。
せっかく指名されからには4ヶ月だけでなくその先もがっちり仕事をさせてもらう。

それはそこにある暮らし、そして、営みを守りたいから。
それだけである。

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