032-光と影

032 水島裕「光と影」(1980年)

作詞:奈月大門 作曲:寺西修 編曲:中島正雄

最近、更新が滞り気味なんで、かさ増しに有名なネタで(笑)

これはBOOWYファンには有名な曲ですね。作曲が寺西修、つまりBOOWY結成前の氷室京介で、実はBOOWY「FUNNY BOY」の原曲ということで特別視されているわけです。AメロとBメロはほぼ一緒、イントロとサビは全く違います。BOOWYでやるときに作りなおしたんでしょう。では、この曲が世に出た経緯を読み解いてみましょう。

水島裕の本職は声優ですが、デビューは72年、16才の時に安永憲自名義で歌った「レインボーマン」の主題歌「行けレインボーマン」(インドの山奥で修行して、っていうアレです)と、歌でのデビューの方が先でした。当時の水島は劇団若草に所属しており、その関係での抜擢だったようです。その後、声優としては、81年の「百獣王ゴライオン」や「六神合体ゴッドマーズ」などの主役を演じたあたりから売れっ子の仲間入りした印象があります。

水島裕名義での歌手デビューは79年。現在とは違って、声優ということを特に売りにするわけではなく(声優ということが知名度や人気に結びつくような時代ではありませんでした)、歌手も声優もそれぞれの活動、みたいなスタンスだったのではないかと思います。

そんな頃発売されたシングルがこの「光と影」でした。80年リリースの3rdアルバム「YOU 3」に続いてリリースされたシングル・オンリー曲です。作曲が寺西修(氷室京介)、編曲は中島正雄。作詞は奈月大門という人ですが、これは長戸大幸の変名です。この3人の名前が揃うと思い出す名前があります。そう、ビーイング、そしてスビニッヂ・パワーです。

スビニッヂ・パワーはもともとは架空のバンドで、70年代半ば、長戸がディスコブームに当て込んで、匿名で洋楽に見せかけた国産ディスコを次々と制作していった中の1つでした。キング・レコードではエボニー・ウェッブ(これは実在する黒人グループ)による「ディスコお富さん」が大ヒットし、その次を狙ってリリースされたのが、Danny Long名義で作り、スビニッヂ・パワーとしてリリースした「ポパイ・ザ・セーラーマン」(1978年)でした。そのため、これは洋楽セクションからのリリースとなりました。これがヒットしたことを受けて作ったのがビーイングという会社でした。

氷室がスピニッヂ・パワーの最後期のシンガーだったことは有名です。この頃のスピニッヂ・パワーは大凡固定メンバーとなり、ディスコではないバンドとしての形態に変わっていました。ラストシングルとなったシングル「ホット・サマー・レイン」(1980年)のリード・シンガーは氷室で、この曲を書いたのはギタリストの野村哲也(哲矢)(余談ですが、この曲の途中に出てくるギターのミュートしたカッティングは、BOOWYの「BAD FEELING」に引用されたのではないかと思います)、そして、作詞は奈月大門です。

翻って、「光と影」のB面をチェックしてみると、ここに収録された「JOKER」を作ったのは野村哲矢。「JOKER」はアルバム「YOU 3」の収録曲ということでクレジットをチェックすると、やはり長戸大幸、中島正雄、野村哲也の名前が出てきます。おそらく「光と影」は、「YOU 3」をビーイング人脈で制作し、その流れの中でレコーディングされた曲なのだろうと思います。氷室もスビニッヂ・パワーのメンバーですから、曲を提供するのは自然なことですし、コーラスなどで絡んでいる可能性もありそうです。それどころか、楽曲によっては、スピニッヂ・パワー用に制作されたものを水島に提供したんじゃないかというくらい、作品の傾向に類似性があります。

では、なぜ水島のアルバムにビーイングが絡むことになったのか。それは単純に、水島とスピニッヂ・パワーの所属レコード会社が、同じキング・レコードだったからなのだと思います。長戸も単純にお仕事として引き受けたんじゃないかという気がします。しかし、この流れからBOOWY、ラウドネス~浜田麻里~B’z、織田哲郎~TUBE~リゾーム関係、さらには妹尾隆一郎~中島正雄~B.B.クイーンズにつながるブルース人脈、村田有美~マライア関係、月光恵亮のパブリック・イメージ関係と、日本の音楽シーンの重要な部分を内包したビーイングの仕事が一気に拡散していくわけで、その直前のタイミングに、こんな80年代型ジャパニーズロックのプロトタイプのような作品が残されていたことはとても興味深いところです。

そして、同年、やはり長戸大幸が制作した三原順子「セクシー・ナイト」(リードギターは北島健二)がヒットして、歌謡曲もロックの時代に突入するのです。

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