モンターニュの折々の言葉 368「人が群れる場所では、予期しないことが起こる」 [令和5年4月16日]

「楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ」

プルデンティウス(スペインの詩人)

 昨日は朝から一日中雨で、しがない傘職人ならぬ、年金ぐらしのモンターニュは、フランス語講座の参考文の作成のため、辞書をにらめっこしながらパソコンで文字入力をし、フランス語とは似て非なる英語の文章読解のための参考書を読んで、そして、丸善で購入した、司馬遼太郎の「八人との対話」(文春文庫)を眺めて時間を費やしておりましたが、和歌山の漁港で起きた、岸田総理を狙ったであろう、手製の「爆弾」?投げつけ事件は、あれは一体なんだったんだろうと思案しておりました。

 ランニングをしないと思考も鈍るのか、大したことは思いつきませんでしたが、その前に、ちょっといい話を。先日、マダガスカルのキツネザルにまつわる話をシンクロニシティやセランディピティの関連で書きましたが、現上皇・上皇妃が天皇・皇后としてフランス公式訪問をされた際、天皇の通訳をされた、歴史の生き証人ともいうべき方から、より詳細に、かつ正確に、大変貴重なお話を伺うことができましたので、その話を。

 フランス公式訪問は1994年のことですから、まだ30年は経過しておりませんので、外交史料館に移管されている当該ファイルは、一般公開の対象にはなっていないと思います。でも、そのうちに、公開されるでしょう。しかし、しかしで、外交史料館に納められているファイルには、公式文書はあるとしても、所謂逸話的なことは残っていないはず。収録されている記録文書には、当時フランス担当官でもあった私の名前も何処かに記載されているかもしれませんが、記録として記載されていない事実や、逸話はこの公式の文書には出てはこないということ。

 本邦初公開かどうかわかりませんが、当時の天皇陛下の通訳をされた方からお話(以前聞いてはいたのですが、詳細を忘れていました。)を多少文体を変えて、以下の通りにご案内いたします。一応、念のためですが、通常、天皇陛下が述べられた言葉は公開されません。宮内庁が許可しません。でありますので、読んだ人の目が潰れないように、読んだら直ぐ削除してください(笑い)。

「1994年の秋、平成天皇皇后両陛下がフランスを公式訪問されましたが、パリ以外では、トゥールーズとアルビも訪問されました。アルビを訪れたのは、確か10月7日だと思います。ジャポニスムの影響も受けた当地出身の画家トゥルーズ・ロートレックの名を冠した美術館があり、そこで絵をご鑑賞された後、隣接するサントセシール教会をご覧になるため、市民の歓迎を受けながら、徒歩でご移動されました。

 ところがその時、とある女性がしきりに「天皇陛下、天皇陛下」と呼びかけて来たのです。天皇陛下が声の聞こえてきた方に近づくと、褐色系の肌をした女性が、「天皇陛下、私はマダガスカル最後の女王の末裔(参考1)で、私の主人はこの町で画家をしております。この度アルビ市から天皇陛下に差し上げます記念品は、実は主人の作品でございます。」と、申し上げるではないですか。天皇陛下は、にっこりと微笑みながら、「そうですか、マダガスカルにはこの前、秋篠宮が訪問しました。マダガスカルにはキツネザルがいるそうですね・・」と仰っしゃられた。

 私は、しかし、天皇陛下が「キツネザルが」と仰った瞬間、頭の中が真っ白になったのです。自分はキツネザルのフランス語を知らないと焦りに焦り、もしも、マダガスカル固有の原始的なサルの類いと意訳したら、天皇陛下は学名を告げだすという光景が頭の中を走馬灯のように駆け巡り、しかし、その次の瞬間、私の口からレミュリアン(lemuriens)と言う単語が飛び出したのです!

 天皇陛下は、私のそうした苦悩などは知らぬ存ぜぬというか、端からなかったかのように、そう何事もなかったかのように、その女性との会話を終えて、予定通りにサントセシール教会に入って行かれたのでした。

 その日、すべての行事が終わり、夕食も済ませた後、私はその日の、この不思議な体験を振り返っていました。キツネザルのフランス語を知らないと慌てた私とは別のもう一人の私がいて「レミュリアン」という言葉を発したことを。

 その晩、私はどこでこの言葉と出会ったのか、一生懸命思い出そうとして、やっと思い出したのですが、それは、次のような経緯によるものでした。

 天皇陛下のお伴をして通訳をするに当たり、天皇陛下も重視しておられたパリの自然史博物館(参考2)を事前に見ておきたいと思い、政府専用機でご一緒するのではなく、先にパリに着いていたいと考えたのです。ところが、私が乗りたいと考えた全日空便、日本航空便共に既に満席。

 私はエールフランス便なら可能性があるかと直感的に思い、仲良くしていた在京フランス大使館公使に、自分はこのような任務でパリに行くのだが、全日空便、日本航空便ともに満席であり、エールフランス便に席を確保できないかと尋ねた。10分もしないうちに彼から「君が持っているチケットがどんな料金のものであろうと、このフライトのファーストクラスに席を用意しておくから、安心しろ。」という返事が。

 エールフランスに乗った私は、フランス語の新聞や雑誌に目を通し、頭を通訳モードに切り替えていった。飛び立って暫く経つと、前方の大きな画面でマダガスカルを紹介するビデオが始まった。マダガスカルの自然などが紹介された後、固有の動物であるキツネザルを紹介する映像が流れた。キツネザルが大勢長い尻尾を立てて進む映像の後、画面一杯にLEMURIENSの文字が表示された。私はどうやらその映像を、カメラで一枚の写真でも撮るかのように、lumiriensという言葉をカシャッと撮って記憶していたようであった、ということことなのです!」

(参考1)私が秋篠宮様の通訳でマダガスカルに参った際、アンタナナリボの古い城壁跡を訪ねたことがあり、案内した女性が、マダガスカルの最後の女王がこの城にいたことを説明してくれました。城の周りには、クレソンが繁茂していた情景を思い出します。女王の名前は忘れましたが、のどかな田園風景は記憶にあります。

(参考2)パリの自然史博物館は、秋篠宮様も1990年6月にパリにお越しの際、研究(ナマズ)のために2日間ほど、連続で訪れた場所で、私も同行して、お昼は仕出し弁当を一緒に頂いた思い出の場所。一度は訪れる価値があると思います。

 外交史料館に移管されている外交文書は、歴史的に価値のあるものとされており、その価値は、国民の共有の財産的なもの。猫に小判ではいけない。馬の耳に念仏でもいけない。読まれてなんぼがこの文書の存在意義です。と、しったかぶりをして書いておりますが、地味ではありますが、外交のアクターとして生きていた私は、ある事件を契機に、アクターとしては失格という「烙印」を押され、その後は烙印隠居的に外務省にいたわけです。

 烙印隠居の私に与えられたのは、外交史料館で吉田茂が寄贈した建物にある歴史的展示物、あるいは彼の蔵書を保管の監督をすること、外交史を学ぶこと、そして、本省では、外交文書として国民の目に触れていいかどうかの文書の選別審査をすることでありました。一言で言えば、公文書のすぐれた読書人になるということ。良く言えば、歴史的公文書の目利きになるということでありました。専門家でもないのに、わざわざ「上席」という形容詞を肩書につけてくれたのは、有り難かったけれども、実績を伴わない上席でもありました。

 ただ、私が歴史的文書を、かなりのファイルに目を通しながら思ったのは、歴史的事実と歴史的真実は違うということです。歴史書もそうでしょうが、外交文書というのは、当事者であるアクター自らが作成した文書ではないということ。第三者によるものだということ。天皇陛下の外国訪問にしても、総理大臣の外遊にしても、当事者自らが筆を持って起案するものではないということ。外交史もしかりで、当事者の意志、意思、そして感情的な思いは公文書には反映されないということであります。

 ですから、小説的な面白さはありません。その面白さはないのですが、当事者にしか見えなかった景色は当然ありますが、見えなかった景色もあった訳です。そういう当事者には見えなかった世界というのは、例えば、仕事で現役で第一線で活躍している時には見えなかったことが、引退して初めて見えて来るということでもあります。当事者には当事者の目で見たことしか記憶として残りません。見えなかったこと、わからなかったことは記録にはなりません。しかしながら、小説の読書がそうであるように、読み手はその小説の主人公の身になって、あるいは、作者の身になって、より多くの物差しで持って物語を広く、そして深く読み解くことができる訳です。

 公文書に限りませんが、歴史的文書を如何に正しく読むかは、読み手がアクターの身になって思考し、そして想像することで可能になるのではないかと。そうした、言わば知的であり、想像的な訓練としても、他人が書いた文章を読むというのは、とても大事な経験になるのではないでしょうか。

 さて、ご案内したこの逸話、良い話でしょ。人の集まる場所、群れなす人がいる場所では予想しないことが起きるという好例ではないでしょうか。一度見たものを記憶できる能力は、何も特別な人だけが持っている訳ではないでしょう。私たちは、知らず識らずに、情報に価値の優劣をつけていて、勉強ができる人はこういうことは多分得意なんでしょうが、自分の関心のあること、好きなことに関しては、皆一様に記憶魔でもあります。

 話を今回の24歳の若者による爆弾投げつけ事件という、暴挙的行動に戻しますと、この事件は、昨年の安倍元総理の殺害事件と同様に、起こるべくして起きた事件なんでしょう。なにも、民主主義に対するなんとかであるという、話ではなくて、人間が生きていると、起こりうる事件でないのかと。民主主義そのものへの期待というか願望が強すぎます、日本は。主義に願いをかけてどうするのかと思うのですが、民主主義の精神は、多分、世界共通のものだとは思いますが、でも、実態は国によって違います。

 思想としての民主主義を上げ奉るのはいいとしても、問題は、中身でしょう。中身というのは、技術的なこと。欧米の民主主義と日本の民主主義の違いがあるとすれば、この技術の違いだと思います。たとえば、それは選挙運動のあり方の違いが。あるいは、立候補者が当選する場合のルールの違いが。技術的な違いを云々せずに、民主主義への暴挙だと言われてもですね、技術論があってこそでしょう。

 警備上の問題はあるとは思いますが、人間がやる以上、完璧なものはない。でも、そう思ってやっているとは思えない。完璧なものを求めるならば、なぜ警察はAIを使わなかったのだろうかと。将棋でもそうでしょうが、合理的な戦略、戦術を組むなら、AIでしょう。それで完全で、完璧とはいいませんが、少なくとも、攻撃の予想を立てる能力はAIの方が人間よりも高そうです。

 可能性を探るという点では、人間はどうしても、当事者の目線でしかできません。第三者の目線がないのです。安倍元総理は、恨みをかって殺された。今回の事件はわかりませんが、恨みを晴らす手段というのが民主主義で担保されているかどうか、その辺が私は問題だと思いますが、如何でしょうか。

 そして、そういう恨みを抱く人間が群れている場所というのは、意外に近くにあってですね、夢々、日本は民主主義国家だから、恨みを持つ人なんていないと考えて、能天気にそんな場所に出かけてはいけないということでありましょう。

 かくの如く、民主主義と恨みを持つ人間との間には、根本的な相関関係はないように、年金生活者とゴルファーもしかりで、明日は、野望用で失礼いたします。

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