モンターニュの折々の言葉 374「優れた人に共通する才能・能力とは」 [令和5年4月23日]

「金沢の宿で雨の音を聞きながら友人と酒を飲んでいると、不意にかれは、自分がこの町の旧制高校にいた3年間というものは町に殺人事件は一件もなかったということを、感傷と、こんにちへの御時世批判をこめていった。「よき時代のよき町でしたな」 と、このジャーナリストは江戸を懐かしむ元御家人のような顔で杯を上下させたのだが、ちょうどその時期、聞いている私のほうに、つまり私のホンの近所で、殺人が一件、私立女子高校仲間によるつるし上げとその被害者の自殺が一件、それにある犯罪容疑を気にした青年の路上自殺が一件というように、わずか数ヶ月のあいだに3件も異常事件があった。それも家から半丁以内でおこったことである。戦前の金沢の話をききつつ、こんにちの私の住んでいる社会を思いあわせると、まるでおなじ日本ではないような感じがする。事実、戦前と戦後を同じ日本と思うのがそもそも認識の原点において間違っているのではなかろうか。 戦前の金沢はまさに友人のいうとおりであったろう。金沢という町は維新後も城下町が凍結したような町で、封建的な人間秩序が密度濃く残っていた。つまり江戸期がまだ続いていたようなもので、その意味から考えられるのは、江戸期日本というものである。江戸封建制というこの奇怪なものは、人間のすべてに等級をつけ、たがいに上下の差別をさせ、さらにたがいに監視させあうことによって堅牢な秩序を組み上げていた時代で、この時代には、人殺しなとという物騒なものは、ほとんどなかった。映画やテレビの時代劇で人がやたらと斬られるのを、もし江戸人が見れば目をまわすであろう。江戸300年を通じて(最後の幕末期をのぞけば)人殺しなどというものは、こんにちの社会の一年分にもあたらないはずである。江戸期というこの憎悪すべき重秩序時代には、大名の反乱もなく、戦争というのは島原の乱以外に内戦も外戦もない。 江戸体制の創始者は、人間を猛獣の一種として見る明快な眼力と定義をもっていた。かれらの体制づくりは簡単で、猛獣を重秩序でしばりあげることによってのみその猛気を矯めることができると信じ、そのとおりにやってのけ、みごとに成功した。国家や社会の目的が安寧と平和であるとすれば、世界史上最大の成功例が日本の江戸体制であり、金沢にはその惰力がゆるやかにつづいていたのである。以上は雑談と思っていただいたい。」

司馬遼太郎「歴史の中の日本」(中公文庫、初版1976年)の「歴史を動かすもの」から

 今日は地方議会選挙の投票日。私は、これまで一度も投票権を行使したことはありませんでしたが、暇な年金生活者ですから初めて区議会議員と、区長選出の投票をして参りました。午前11時の江東区の投票率は、両者の平均が10%ちょい。低いですね。係争となるような、問題・課題がないから、区民の関心も低い。コロナ禍も収束し(完全ではないけれども)、日常が戻って、非日常的なことには関心が向かない。インバウンドで儲けること、旅行に行ったり、欲しかったものを購入することに関心が。まあ、これはしょうが無い。3年間欲望を我慢したのですから。

 で、私の場合、名前に「Takashi」付きます。このtakashiがつく名前の人は、おしなべて、悪い人はいない。でも、ちょっと変わった人が多い。著名人にもこのtakashiという人がいる。立花隆さんも、それから、齋藤孝さんも。選挙の時、縁もゆかりもない候補者から誰を選ぶかというのは、御神籤みたいなもので、takashiが付く人を選んで投票するのは、モンターニュ流の投票であります。

 さて、区民の義務を一つ果たしたモンターニュでありますが、在外の同期は、昨日の折々に関して、家に籠もって哲学の課題めいたことで頭を使うのは、健康によくない、ゴルフに行くか、それとも練習場に行くかしたほうが良いと、親切な忠告というか、アドバイスを送ってきました。本人自身は、飽きもしないでというか、凝りもしないで、ユーチューブを良くみているようで、今度は、松山選手の元キャディでティーチングプロの人のアプローチの仕方の動画で、ヒントを掴んだようではあります。そのヒントというのは、利き手の右手が悪さをしないようにクラブを扱うということのようですが、何もユーチューブを見なくても、当然の自明の理ではないかと思うのですが。本人は、それでご満悦で、今日のラウンドが楽しみだということでした。

 しかし、我が同期は、「私という存在(個)は、宇宙の一部として与えられた存在なのか、それとも私という存在から宇宙という全体はできているのだろうか」をちゃんと理解もしていないし、また読んでもいないような感じを受けました。この問というのは、ゴルファーなら、真のゴルファーならですが、スイングというものをある全体と考えて、その理想的なスイングを獲得するには、個々の動き(上半身にある左肩・腕・手、右肩・腕・手、背筋、そして下半身の脚の動き等)が完璧に出来て、得られるものであるのか、それとも、理想的な動きというのは、スイング全体から個々の体の動きが得られるものである(スイングというのは、一連のリズムやテンポからなる音楽的動きであるとするもの)という、問題意識でもあるのですが、そういう問題意識としては捉えることができていない訳です。浅読みというか。

 まあ、人は自分の目でみたものでしか、現実を、世界を理解できない訳ですから、これは仕方のないこと。しかしですね、正しい理解というものには、見えるものだけからでは不十分で、見えないものを知るのが大事でしょう。また、現役の職業人は、週末の休みにしかゴルフはできないでしょうから、ゴルフは週末にするものだと思っているのでしょう。しかしながら、海外でのゴルフと日本のゴルフは似て非なるもので、日本では週末はゴルフ場は混むし、料金も高い。ゴルフ練習場も同様。その辺の日本の事情を忘れているというか、見えなくなっている。日本では、じゃあ、明日ゴルフに行くかと簡単にやれる人は多くはない。できるのは、所謂特権階級的な人。

 コスパにこだわるモンターニュは、安易に、おいそれとお金を使うことはしません。ゴルフは月に2回程できれば大満足で、後は週2回か3回練習場通いが出来たら、身の丈に合った生活だと思っております。それに、私の場合、気軽にゴルフを一緒にできるゴルフ友は限られております。年金生活者にとって大事なのは、今持っているものを大事にするということですから、無理なことはしないに限ります。ちなみに、アプローチだけなら、私は所謂シングルさんとほぼ互角に競争できると思います。パットもそこそこに。私がむしろ教えたいくらいではあります。年金生活者、高齢者は、今持てるものを磨く時間をより多く持つのが賢明な方法だと、私は思うのですが。それに、健康に良いか悪いかはわかりませんが、毎日、マスターズ陸上のランナーとして、走る練習はしておりますので。

 ちなみに、私の知る優れたゴルファーには、共通共通した才能、能力があって、いや、ゴルファーに限りませんね、仕事ができる人にもそれはあてはまりますが、それは、 ①音楽的な才能ともいえるリズムやテンポに優れていること、 ②絶対音感とも言える距離感に優れていること、そして、 ③見えないものを見ることができる想像力に優れていること、であります。仕事では、人との距離感が極めて大事で、コミュニケーション能力の高い人というのは、この距離感が優れていますね。こうしたものを持っている人は創造的な仕事やプレーができるわけです。ですから、理想的スイングというのは、最後の想像力があってこそできるのであり、その想像力がないのに、スイングを語ってはいけませんよね。想像力を鍛えるためにもですね、私のこの駄文的な「折々」を読む価値はあると、思っています。そのためにも、他人の書いた文章はちゃんと読まないといけません。

 以上は雑談ということですが、今持っているものを大事にするということ以外に、極めたいということが幾つかあってですね、それが例えば、立花隆さんの言うような哲学的課題であるとか、宗教的な課題にもなる訳です。以前、同期の一人が「モンターニュさんは、真善美で言えば、美の人ですな」と、語っておりましたが、所謂芸術における美というものにも大いに関心はありますが、その美というのは、畢竟、生き方の美に通ずるものでしょう。美というのは、基本、目に見えるものでありますが、しかし、音でもそう感じることがあります。つまり、美は目に見えるものと、見えないものの両方に存在するということ。

 私自身が仮にこの短い人生で、ああそうであったかと納得してあの世に逝くためにも、納得したいことの一つが、生き方の美。これはなかなか難しい。ゴルフで単に良いスコアを出すだけではいけません。仕事でお金を儲けるだけでも、勿論いけません。素晴らしいスコアのみならず、人としての徳もそれなりに評価された形でのゴルフ人生を。歴史的に言えば、球聖、ボビー・ジョーンズはその代表格でしょうし、日本人なら、中部銀次郎はそうでしょう。どうせやるなら、中途半端にはやりたくない。とことんやってみる。勿論、とことんというのは、小市民的に言えば、家族とか、友人とかに迷惑をかけない限りにおいてということ。優れた業績を残した人の多くは、家族を顧みずの人が圧倒的に多いけれども、年金生活者のモンターニュが言う美的な生き方とは、なるべく他人に迷惑をかけないで、結果としては、自己満足で終わるかもしれないし、完全な自由ではなく、様々な制約がある中で、可能性を死ぬまで追求するという生き方。安易に妥協はしない生き方。そうした生き方は、結果的には、自らをして他人から遠ざける結果、孤独を生ずることがあっても、良いのです。所詮、モンターニュは群れが嫌いな熊でありますから。

 色々とやることが多いこの時期ですので、今日のまとめを。司馬遼太郎の小説の中で、彼自らが、渾身の力を投入した作品のように扱っているのは、「竜馬が行く」と「坂の上の雲」。「竜馬がゆく」は小説でしょうが、「坂の上の雲」について、司馬遼太郎は、「小説でも史伝でもなく、単なる書物であり、自らが小説という概念から開放されるために書いたもの」ということのようであります。司馬遼太郎という作家は、小説を書くのをやめてから、本領を発揮した作家ではないかと思ってはいますが、小説では「峠」が気に入っています。河井継之助という、越後長岡藩の家老として、藩に忠誠を尽くした、侍とはどんな人間かを示す物語。お涙頂戴的な物語でもあります。この小説で、彼は「人はどう行動すれば美しいか、というのを考えるのが江戸の武士道倫理であろう。人はどう思考し行動すれば公益のためになるかということを考えるのが江戸期の儒教である。この2つが幕末人を作り出している」として、河合を類まれなる、日本の歴史上、稀有な存在として描いております。仮に、司馬遼太郎の作品で、お勧めの作品は何かと尋ねられたら、私は一にも二にもなく、この「峠」を挙げます。なんとなく、生まれた時代を間違えたように思っているモンターニュだからかもしれませんが。

 どうも、失礼しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?