モンターニュの折々の言葉 381「水を得た魚のようになるのは」 [令和5年4月30日]

 ゴールデンウィークになって、海外旅行に出かける人や、国内旅行に出かける人が多いのか、喫茶店はガラガラ。茶店でお茶を飲むのは、ある意味では日常的なことでしょうから、わざわざゴールデンウィークの期間に来る程のものでもないということなんでしょう。そう言えば、うちの息子も今日の夜、ベトナムに出かけますが。

 ポストコロナ禍で、変わったことと言うと、先日の東京駅前のイタリアンもそうですが、従業員不足のせいか、注文がタブレットでの操作、あるいは、スマホでの注文になって、なんだか、味気ないなあと。日本は、多分、先進国では例外的に、チップのサービスがない国ですが、江戸期時代のドラマを見ると、心付けという所謂チップがあったように描写されていて、私なんかでも、温泉宿に宿泊すると、中居さんとか、担当した人に、気持ちを包んで渡すことがあったのですが、この心付けを渡さなくなって、じゃあ、給与にその分が上乗せされていたかというと、そうでもないでしょう。

 サービス業に従事する人の時給は今も先進国の中では最低ランクですから、本来、チップでももらわないと、やってられないと思うのですが、何故、先進国では極当たり前のチップ制度が根付かなかったのか、この辺が、私には謎であります。人にサービスすることは、対価を期待してやってはいけない、無償のものでなければいけないというような、倫理観でもあるのかどうなのか。しかし、チップを導入するのに、法律改正が必要な事になるのか、どうなのか、その辺もわかりませんが、サービス向上に多少なりともチップが役立っているようにも思える(実際欧米の場合、そうでもないでしょうが)ので、時間給を底上げできないのならば、お客さんの評価の証しとして、チップを導入するのも良いのではないかと。

 コロナ禍では、人との距離を確保するために、オンラインが主流になり、学校の授業であれ、仕事であれ、対面的な行動は制限され、それ故に、サービス精神のようなものが劣化したでしょうから、ポストコロナ禍では、そうしたサービス精神が急に再生というか、活性化はできないとは思うのですが、日本の良さというのは、はて、なんだったのだろうかと、自問自答を。

 ところで、私のアルジェ時代からの友人が、秋には会社を定年退職するようで、その後どんな人生を送るのかなと思っておりましたが、活動の場を日本から海外に移すかもしれないという話があるようです。あくまでも可能性ですが、会社づとめをされていた人が、長年勤めていた組織人の経験を生かして、退職後も組織人として働くのは、延長的生活ですから、それほどの苦労はないかもしれません。

 他方、会社人間であった、組織人間であった人が、全く異なる仕事をしようとする場合、それまでの組織人間として為したことを度外視して、新しいことをやる場合、成功する確率はかなり低い。組織人間として成果を挙げたことが彼なり、彼女の仕事の能力でもあります。仕事は、芸術家や研究者のように、個が主体として、個の発展なり、成長がある仕事はかなり例外的で、仕事は基本的に人間関係で決まります。人間関係を上手くマネージメント出来た人が成功している。人間関係において失敗した経験のある人は、組織人としては、限界があるでしょう。

 時々、定年後に、それまでに組織人として出来たこと以上のことをやろうとする人がいますが、ほぼ例外なく、失敗しています。組織人として、やりたくないことを、嫌々ながら、じっと耐えて、我慢して、定年後に、やりたかったことをして花開く人がいないではない。しかし、そういう人は、組織人であった間、隠れてとは言いませんが、それなりの蓄えを地道にして来た人でしょう。お金だけではなくて、やりたいことをするために必要な知的な蓄えを。スキルと言っても良いでしょうが、そういう蓄え(努力なくして出来ません)がある人なら、成功することは可能でしょう。

 自分の能力を評価するのは、組織で、世間でもあり、それは自分ではありません。他者です。過去の自分がどれほどのものであったかを、ある程度客観的に把握できないまま、新しいことをやる場合、過去の自分以上のことができると期待してはいけません。令和の時代、還暦は昔の50歳くらいでしょうけれども、その人の組織人として、あるいは、働く存在としての能力はその時点で定まっているでしょう。定年退職に出来ることを、過度に期待してはなりません。仮にそう思って、新しいことをして、そして上手く行かなかったとしても、やることに意義がある、失敗は成功の元であると、自画自賛するのは老人の一番よくないことです。後悔先に立たずです。

 今日のまとめです。ゴールデンウィークというのは、私にとってはとても嬉しい時間。嬉しいといか、とても幸せな時間。それは、ある期日までにしなければいけないことがある訳でもなく、ぼーと考える時間が沢山あるから。私の至福の時間は、こうした忙しくない日々であります。とは言え、昨日の午後から、7月の講演のためのパワポ作りを開始しておりましたが、まだ2ヶ月先じゃないのかと、怪訝に思う方もおるでしょうが、経験的に、未来の時間というのは、あるようでないことを知っております。2ヶ月は決して長い時間ではありません。まして、老人になって、指先が上手く動かない、パソコンの操作も簡単に出来なくなっている訳で、手間暇が異常にかかる訳です。

 前にもお話しましたが、私の一日は、やらないといけないことの時間が決まっていて、それを除くと、ほとんど時間がないのです。寝ないでやればいいじゃないの、と思うかもしれませんが、熊には熊のリズムというものがあります。このリズムは壊したくないのです。読書にしても、私が読みたい本はそれなりにあるのですが、やらなければいけないこと、これは主に、仕事に直結しますが、それが多く、所謂娯楽のため、時間つぶしのための読書の時間はそんなにはないのです。

 ところが、時々、こんな本があるよ、こんな動画があるよ、あるいは、最近こんなことをしているよと、関連のサイトを紹介してくれる、善意の方がいるのですが、多分ですが、自分の好きなこと、自分が関心があることを中心として連絡してくる人というのは、私同様に、あまり組織人としては成功しなかった人ではないかなと。組織人で優れている人というのは、人間関係の、特に、距離感に優れていて、ゴルフでいう、距離感もそうですが、1対1の関係だけではなく、1対多の関係においても繊細さをもっている人ではないのかなあと。

 そういう意味では、この折々は、距離感に優れていない人間の書く代表的なものでありますので、これを熱心に読んでいる人は、ある意味で真面目に読んでいる人は、逆に心配になってきます。しかし、前にも書きましたが、仕事が出来る人とは、リーダーleaderとは、必ずしも書く人writerではありませんが、読む人readerであるのは古今東西、真理のようでもあります。そして、読書は言外の意味を知ることが大事で、そうではない文章は読む価値はあまりないでしょう。

 なお、今読書中の本は、脳の研究者で、東大教授の池谷裕二さんの「脳には妙な癖がある」で、ゴールデンウィーク中の読書にはうってつけかなと思っているところです。

 失礼しました。


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