京都北山、やぶ山紀行|タカノス〜朝日峯〜峰山
バスの窓外に、美しく磨かれた丸太が並んでいる。朝日を浴びてきらきらと輝くそれは、京都府伝統工芸品「北山杉」だ。周山街道を細野口へと向かう道すがら、木造の製材所が日の光に照らされる様子に、僕はすっかり見とれていた。
僕たちはレクリエーションとして山に向かう。しかし京北の人々にとって、山は資源を収穫するための場であり生活の場であり、休日のための、特別な場所ではないのだろう。窓外の風景から、山と人の暮らしを、垣間見た気がした。
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トンネルを抜け、細野口バス停をスタートし、林道田尻線を進んでゆく。「ペンション愛宕道」の手前に付けられた、作業道から入山だ。森に差し込む光と田尻谷川のせせらぎが心地よい。下見では見られた木陰の残雪も、今日はもうすっかり解けてなくなっている。せせらぎの音も、心なしか明るさを増したようだ。山は、少しずつ春めいてきたのだ。
林道を外れ、P591へと続く尾根に取り付くと、序盤から急登が続く。シカの糞や足跡、イノシシのラッセル跡などが随所で見られる尾根道だ。踏み跡は薄い。標識の類いは一切ない。それでも目も凝らすと、かすかに道がついているようにも見えた。ついこの前まで寒さに凍えていたのに、尾根を吹き抜ける爽やかな風が、季節の移ろいを感じさせた。
P591から先、本格的なルートファインディングが始まる。予定ルートと同じ方角に、尾根がいくつか並列に張り出しているのだ。慎重に進まなければ、もし尾根を間違えると人里離れた山奥をさまようことになる。それはそれで楽しいだろうけれど、また別の機会にとっておきたい。
迷わないよう地図を確認し、気合いを入れて出発する。
「いやいや、こっちやで」と、間髪いれずに後方からストップがかかった。
間違えた。
「地図の南北を逆にしてました」まぁ、僕のスキルはこんなものである。
倒木を、いくつも越えながら進む。次第にヤブが濃くなってきた。ときどきスマートフォンを確認し、確実に現在地を把握する。P591から東の小ピークへ、そこから南南東へ尾根伝いに進み、またピークに乗る。そこからさらに東へ。コルを経て、次のピークが分岐点だ。「よし、ここだ」
顔を上げると、ロケハンで先をゆくカメラマンが、分岐を通り過ぎてしまっていた。
「ここですよ!」急いで呼び戻す。無理もない、予定のルートはヤブに隠れているのだから。
「どうしてこの分岐が分かったんですか」質問があった。
「分岐が、ピークにあったからです」
それに計画段階で、ヤマレコユーザーが歩いた軌跡を確認していた。その中に、ルートミスの痕跡がいくつかあった。この分岐は見逃しやすいと、心づもりができていたのだ。
一見、道なき道を歩いているように思えても、地形の変化を観察していると、目印がたくさんあることに気がつく。尾根や谷、ピークは、ひときわ目立つ大きな特徴物だ。
と、偉そうなことを書いておいて、手元を見ると、また地図を南北逆にかまえている。僕のスキルなんて、こんなものである。
いくつも倒木をこえ、たどり着いたタカノス山のピークには、高い松の木がそびえていた。ここに、鷹が住み着いていたのだろうか。残念ながら展望は開けていないが、私設プレートがいくつか掲げられた、知る人ぞ知るピークといった趣だ。ここでの記念写真は、プロのアドバイスのおかげで撮影できた、思い出深い1枚となったのだった。
タカノスから急登を下り、P582、田尻峠、P602へと進む。そしていったん標高を下げ、今日一番の難所、朝日峯への激登りを越えてゆく。
もはや、壁だ。
おそらく等高線で現せる限界の斜面ではないか。
これ以上傾斜がきついと「がけ」の地図記号で表記されるのではないか、そう思えるぐらいの斜面である。
パーティーにはあらかじめこの難所を伝えていたが、やはりいざ目の前に現れると、ため息しかでない。斜面を登り切ったところで小休止する。が、ここはまだ頂上ではない。「まだあるん……」山道とは、時に理不尽なものである。
もうひと頑張りしたところで、ようやく朝日峯に到着した。本日ふたつ目の山である。そして今日、初めて展望が開けた。比良山地や比叡山、大文字山、そして京都市街方面まで、北東から南への大展望が広がっている。その明るく美しい景色を、僕はぼんやりと眺めていた。
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それにしても、なぜこのようなへんぴなルートを歩くのだろうと、あなたは思うかもしれない。わざわざ登山道ではないルートを選び、倒木やヤブを越えなければならない割には、名所らしい名所があるわけでもない。一体、何が楽しいのかと——。
もちろん、地形図を判読し、道なき道を攻略する楽しみもある。しかしそれよりも、観光のための山ではなく、林業や狩猟の痕跡が残り、峠があり廃村跡があり、そんな何気ない風景が、忘れてしまった人と山との関係を、改めて思い起こさせてくれるところに、北山の大きな魅力を僕は感じている。
道中には大型の箱罠がいくつか設置されていた。その赤い鉄格子には錆びが浮かび、長年使われてきたことを思わせる。猟期を終えてのことか、それとも使われなくなり、そのまま残置されているのかは判断がつかなかった。
が、少なくともこの場所は、登山道でこそないものの、山仕事の場として利用されていることは確かだった。罠の周辺は手入れされた人工林だ。軽トラックが通れるほどの、地図に出ていない作業道には轍が走っている。気づかれただろうか、箱罠の周囲にはくくり罠(バネとワイヤーで獣を捕らえる罠)の残骸も見られたのだ。
北山は、山は深いが標高は低く、個性に乏しい山々かもしれない。けれども、道すがら眺めた林業の町や美しい人工林、そして、かつて山村と山村をつないだであろう静かな峠道。人より獣の足跡が顕著な道が、峠が、森が、意識して知ろうとしなければ忘れてしまった、森と調和してきた日本人の暮らしを、再び思い出させてくれるのだった。人けのない京の北山の藪山は、こうした心の山旅に、またうってつけの舞台である。
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朝日峯を後にし、P602を越え、峰山への最後の急登を登り切る。ようやく、予定のピークをすべて踏むことができた。峰山を後にし、高雄の町並みが見えてくると、無事、人里に下りてきたとほっとする。車道を歩き、帰りのバス停へと向かうころには、日はとっぷりと西に傾いていた。コースタイムの長い複雑なルートを歩ききり、充足感に包まれながらバスにゆられて帰路につく。
夕日に照らされる窓外の景色が美しい。
高山寺の境内に、夕暮れの穏やかな光が差し込んでいた。
タカノス〜朝日峯〜峰山のデータ
標高:688.1m(朝日峯)
距離:約11km
コースタイム:約6時間30分
コース:細野口バス停→P591→タカノス→田尻峠→朝日峯→峰山→栂ノ尾バス停
アクセス:行き・JR京都駅からJRバスで「細野口」下車|帰り・JRバス栂ノ尾からJR京都駅へ