それぞれの「story」とともに
宮城県内で比較的「大きい」とされるであろう学習塾に勤めてきた。20年も前となると今よりはまだ景気が良く、仙台市やその近郊の比較的古く小さな団地にも、大手学習塾が小さな教室を出すことがよくあった。僕もその小さな団地の小さな教室を担当していた経験が多々ある。
そんな小さな教室を20代前半の頃に任されたことがあった。比較的経済水準が高めの団地だったが、代々やんちゃが多いことでも知られていた。中3は3クラス。僕の担当は、一番成績の低い「基礎強化」クラスだった。
"interesting"の比較級を"interestinger"と書かれたときには、声を出して笑ってしまったが、やんちゃだと言われていても、中身は素直でみんないいやつばかりだった。僕はこの子たちを一発で好きになってしまった。
それでも中学生。ときに休み時間に外に出ては戻ってこなかったり、何十分も遅れて教室に入ってくることもあったし、宿題をやってこないなんてこともザラにあったように思える。
とにかく何とかしたかった。こんなに素直なんだから、勉強の方にパワーが向いたら今よりももっともっといい結果が出せるはずだ、と信じていた。もっともっと彼らに信頼してもらって、自分の言うことにもっと耳を傾けてもらうためにはどうしたらいいだろうか…「悩む」までの思考ではなかったと思うが、日々漠然と考えていたような気がする。
どんな経緯だったのか細かくは忘れてしまったが、塾生の一人がタバコを持っているのを見つけてしまったんだと思う。もちろん許されることではない。どうしたものか。進路指導はともかくも、だらしのない僕にとって、生活指導は専門外だ(笑)。タバコを持っているのは、一人ではなかった。とりあえず持ってるやつは出してみろと呼びかけ、数人があれやこれやといくつかの銘柄を持ってきた。本当に素直だ(笑)
僕は、ひとりひとりのタバコに火をつけ、そして僕も僕自身のタバコに火をつけ、そしてみんなでプカプカと吸った。他のクラスの授業も終わり、学生講師も帰った後だった。残った僕たちは、そのくゆらせた煙のように、まさにプカプカとした時間を過ごした。忘れ物を取りに来た女子生徒がやってきてあせあせというシーンもあったが、今となっては笑い話だ。
今も当時も本来はあってはならないことだろうし、今それをしようとは思わない。するつもりも毛頭ない。ただ、「勉強するときも、そういう顔をしてくれよ」と思うほどに、彼らは例外なくみな、とてもいい顔をしていたことはよく覚えている。
確か、全員が第一志望に合格したわけではなかったと思う。何人かが大学進学まで行ったのかな?詳しくはあまり覚えていない。そんな彼らも、もう30歳を超えた。父親になったやつもいる。みな立派に働いている。そして彼らは今でも僕のことを、当時のままに「たかし」と呼んでくれる。転勤族で、少年時代をあちらこちらで過ごした僕にとって、そう呼ばれることは、何だか彼らの輪の中に入れてもらっているようで、とても嬉しい。
子どもを二人抱え、奥さんを亡くしたやつもいる。結婚式に呼んでくれたやつもいる。一緒に飲みに行けば、いつも同じ話をする。きっと彼らが自身の「story」を振り返るとき、僕もその一部になっているだろう。お互いが、お互いの人生に、染みこんでいる。
成績が良いほうが、学力が高いほうが、将来の選択肢が拡がることは間違いない。受験、就職、資格、昇格…どのみち勉強は必要だ。しかしそれは決して全てはなく、その人間の能力の一部でしかないし、それぞれがどんな意志を持って、どんな「story」を歩んでいくかのほうが、きっと大切だ。僕が一人で学習塾をやろうと思ったのは、彼らが僕の「story」の一部であるからだ。
やってくる生徒たちとの年齢が粛々と離れていく。時代によって、子供たちの感覚も変化するものだろう。その距離感こそ変わってきてはいるが、勉強や何かしらの学習を通じて、それぞれのこれからの「story」のために、できることをしてあげたいという気持ちに、変わりはない。僕自身が彼らの「story」の一部になることを、僕は望んでいる。
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