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自分のクセへの気づき

体調を崩した。

今日は、大きな仕事がある。
いつも通りにできないかもしれない。

こんな時に限って部屋の植物が一つ枯れていて、
ショック受けたり、

全然関係ないけど、
あまり嬉しくないことが、
ことさら響く。

体調を崩したといっても、
何にもできないほどボロボロでもなさそうだ。

ただ、
今日は人前で声を発さなければいけないので、
うまくいくかが不安なのだ。

声は出る。

いつも通りでできるか。

特別なことをしようとして、
変になることはよくある。

今日もいつも通りがいい。

いつも通りにやるためには、
どうしたらいいか。
それを考えればいいと思う。

なんだか、最近、
すごく疲れていた。
仕事を頑張って、
なんだか力が抜けない感じ。

本当に自分は仕事とか、社会が怖くて、苦手で、
自殺とかで自分と向き合っていた時間が幸せだったな、
とか思う時もあるくらいだ。

でも、それはもういっか、
って思った時があって、今仕事、社会ということに
目が向いてきている。

目を向けたくなった。

でも、久しぶりにシャバに出てきたような感じがして、
ちょっと疲れてしまった。

休んで、また少しずつ進めばいいのだけど、

なんか、
気になってしまう。

自分の仕事が成果を見せる時、
必ずそれを下げようとする人は周りにいて、
その人自身を良しとするためなんだろうけど、
それに結構傷つく。

知らんわ。
わしはわしのやることやるだけやし、
ちゃんと結果出しとるやん。

そう思えればいいのだけど、その通りなのだけど、
なんか、ショックだ。
自分の出来たことを喜んでくれないのは。

そういう人も中にはいるのだろうけど、
自分がOKになろうとするために、
相手をOKじゃなくする人は、本当に苦手だ。

そして、
自分は結構自分がOKじゃないと思っているので、
OKと感じられる瞬間を大事にしているのだけど、
それを否定されると、泣きたいほど悲しい。

周りが気になってしまう。

それでも、
だからってその否定してくる人がどうにかなるわけでもない。

その人はそのままだろうし、
自分だって、相手に合わせて変わるわけでもない。

悲しい気持ちが湧くなら、
それをどうしたらいいか、
そういうこと。

パッと思うのは、
悲しいな、
ショックだな、
それでいいのかもしれない。

それ以上でも、それ以下でもない。

それをどうにかしようと思わなくてもいい。

悲しいこと、

家族が壊れたこと、
妹ともう会えないこと、
自殺をしたこと、
色々とあって、
それでも、
身近なところで、また悲しくなったりして、

弱っている時にそういうことは、
結構こたえたりもして。

でも、
自分が大丈夫である、
というところは、
キチンと覚えている必要はあると思う。

悲しいし、
悔しいし、
嫌だけど、

自分がOKだったことは変わりない。

悲しいのが大事なのか?

きっと自分は、喜んで欲しかったのだ。
その下げてくる人にも。

そして、

そこに自分のよろしくないクセがある。

自分を下げてくる人に、喜んで欲しかった?

そんなおかしなことがあるだろうか?

それが、母親が父親から殴られる結末に至る、
共依存という、嫌な関係じゃないのだろうか?

そんな風にしてまで人と関わりたいのか。

そうではないだろう。

自分のできることを最大限にやるしか、
やることはない。

できることを増やしていきたいし、
それが社会的に役に立ってほしいと思う。

一日一日、大事にやっていきたい。

そして、
それが終わったら、自分を大事にして、
また社会に向かっていきたい。

休んだり、
楽しんだり、

できるかな、
自分に。

本当に苦手なんだ。

でも、
できることを、
やっていこう。

基本に立ち返って。
できることを、一つづつ。


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