最近思うこと。
最近のこの世間において考える時間が増えて色々と身の回りの考える機会が増えた。特に自分が置かれている環境。
私は、親父と二人暮らし。
俗にいう30歳すぎても実家暮らしという見方をされる一種だ。それに関して色々言われようが特に何も思わないが、、、
この背景にはずっと住み続けている地域の環境のおかげでもある。
僕が生まれてずっと住み続けている街は、はっきり言って治安がもともと良くない街だ。今は外国人や大学生が増えてそこまで治安が悪いようには感じない。ずっと住み続けているためおそらく麻痺している部分もあると思う。
まずどんな街かというと、世代は違うが学校の中を原付で走っていたり、団地の近くの路上で麻雀をしていたり、近くの大きな川沿いでは誰でも泊まれる1000円宿という場所があったり、タクシーで地元の街までというと嫌な顔をされたりと。
実際全部親父から聞いた話なのでノンフィクションであるかどうかは定かではない。
しかし、私が実感したことについて書くと団地の根強いコミュニティがあったり、シ◯ナー公園と呼ばれる場所があったり、片親の環境が当たり前であったりとたくましい街だと感じる。
そのおかげで、私の家は片親だが劣等感はさほど無くむしろある程度普通という感覚を街全体が持たせてくれた。周りの家庭もそのことに対して毛嫌いすることもなくむしろ普通として受け入れてくれたことを今でも感謝しているぐらいだ。
話を元に戻していくとする。
今に始まった訳ではなく、親父が一度体を壊してから意識するようになった死についてよく考える。
人間いつかは死ぬ。
今考えても何もならない。
頭では理解しているつもりではいるがいざその時が来てしまったら、多少の心の準備にしかならないような気がしているのも事実。
親父について書くと数年前に脳腫瘍で倒れて一命を取り止めた。
しかし後遺症で、喉の機能が弱くなったり半身の機能が低下した。
当時この先歩くことは困難で、ご飯を喉から食べるのも難しいだろうと診断された。
この後本人の並々ならぬ努力の結果、杖を使っての歩行を可能にし、ご飯を食べることに成功した。
そこから、どんどん良くなっていっていると私は思っていたが、別の形で後遺症が残り続けている。
喉の機能が低下したことにより睡眠中に喉に痰がたまり3〜4時間以上の睡眠が取れないそうだ。
本来こんな状況に置かれている親を近くで面倒見るのが普通だろうとも思うが、まだまだ仕事や色々な経験をしたいという自分もいる。
これは逃げなのだろうか。
正直わからない。
親父が私に面倒かけたくないという意志はひしひしと伝わって来るのも事実。
でも、内心頼らないといけないのも事実。
この状況で私も仕事の都合で半年家を空けたりもしている。
他に親族ではないが身の周りの世話をしてくれている方がいるのがせめても救い。
このことに関しては答えは出ないと思う。
今私が考える親孝行の形は、自分を犠牲にして近くにいて身の回りの世話するよりなれるかどうか正直わからないがもっともっと成長して一人前に近づき、自慢の息子であり続けることではないかと思う。
とりあえずやるしかない。
これはそんなこんなで自分に言い聞かせ、整理している日記である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?