「評伝 中勘助」の執筆を終えて(38)
・軽井沢訪問
昭和二十六年(一九五一年)
九月七日、北軽井沢大学村行。野上彌生子の招待を受けて、十二日まで野上家の山荘に滞在した。
・軽井沢へ
昭和二十六年十一月六日付、石井正之助宛書簡より
小旅行といふのは、八重子(ママ)氏に招かれて北軽井沢大学村の野上氏の別荘へ家内と約一週間行きました。かねて昔地図で浅間の裏の六里ヶ原といふのを見て一度行きたいと思つてゐたところその辺が即ち六里ヶ原なのでいかにも人煙希薄な荒れはてたやうな処が全く私むきでした。もとはじゃが薯を常食にしてたのが大学村ができてから米食をするやうになつたとか。数十年前大学村ができる最初に私も一寸すゝめられたのですが何分家を背負つてしまつて夏は家の者を避暑に出して自分は東京で留守居をせねばならず、兄は高い処は頭痛が起るのでだめですし断つたのでした。軽井沢辺からまだ数百尺のぼるのです。九月のはじめでしたが雨の日などにはストーブをたく有様で、冬は零下二〇度位、一番温かいものは水だといふこと。気持はよかつかものの耳が遠くて鳥の声が聞えず、病後で離れから母屋へ三、四十間の処を杖をついて息をきらして歩く始末でした。
●京都奈良見学旅行
昭和二十八年(一九五三年)
四~五月、京都奈良方面に見学旅行に向った(一回目)。四月二十五日朝特急で東京を発ち、夕刻京都着。金閣寺の離れに逗留した。五月一日、清水寺。三日、相国寺の開堂式に参列した。知恩院をから青蓮院へ。四日、五日は休養。七日、修学院、御所、仙洞御所。十一日、保津川下り。嵐山の対岸で舟を降りて嵐山にのぼる。野の宮、落柿舎、二尊院、祇王寺。桂離宮拝観の帰りに天龍寺、広隆寺へ。十五日、京都に向い、葵祭を見る。十六日夕刻、奈良に移った。この日は高畑町の新薬師寺泊。翌十七日から近くの隔夜寺に逗留した。
十八日、万葉植物園、春日神社、手向山、三月堂、二月堂。
二十日、京都に出る。雀のお宿、伏見稲荷、法界寺、醍醐寺。
二十一日、東大寺塔頭地蔵院に鷲尾隆慶師を訪ねた。
二十五日、法華寺。
二十九日、奈良を発った。帰途、愛知県安城市の更生病院に入院中の愛読者加藤喜美子を見舞う。それから服織へ。服織で二泊して三十一日に帰京した。