『評伝中勘助』覚書(1)「黒幕」の出所

中勘助「黒幕」より
「思想」第162号「漱石記念号」(昭和10年11月1日発行)
『逍遥』(岩波書店、昭和15年5月22日発行)
《先生は私と向ひあつてるとまつ黒な幕が垂れてるやうでいちばんいけないといはれたとかきいた。まつ黒な幕! いかにもまつ黒な幕だつた。》 

・角川書店版全集に収録される際に、この箇所が削除され、代って「追記」が附されました。
《追記。黒幕云々は私ではなく別の人のことだとたびたび小宮豊隆氏から注意があつたからその部分を削除した。従つて表題の意味が不明になつたことをお断りしておく。》

漱石先生が中先生を評して黒幕のようだと言ったといううわさが中先生の耳に入り、そのうわさをめぐって中先生は「黒幕」を書きました。うわさの由来は何かという疑問が起りますが、次に引く阿部次郎のエッセイはそのあたりの消息を伝えているように思われます。

・阿部次郎「夏目先生の談話」より
『思潮』第1巻、第8号(岩波書店。大正6年12月1日発行)
《それにつけても思ひ起すは、或時の先生の談話である。多分それは「行人」が出版されてからの事だから大正三年の某月某日であらう。その時も自分は久しぶりで早稲田のお宅を訪ねたのであつた。席には小宮や津田や岡田(林原)君やその他多くの人がゐた。先生は年をとるに従つて人は次第に寂しくなるものであること、人と人との間には黒い幕のやうなものがあつて容易に蟠(わだかま)りのない接触が出来ないことなどを、寂しい、しんみりした、併し訴へるやうなセンチメンタルな調子の少しもない、ストルツな態度で話された。生きてゐるとは恥をかくことであること、死は生に優ることなどを自分が直接に先生の口からきいたのも、多分その時のことであつたと思ふ。その時先生は具体的の例をとつて、津田(清楓)と岩波(茂雄)とが比較的一番いいと云はれた。津田は傍に置いて昼寝をすることも出来るし、何時間も黙つて相対してゐても少しも気が張らないからいい、若し努めてそんなにしてゐるのなら津田は食はせ者だが、多分そんな事はあるまいねと、津田の方を向いて笑はれた。〇君は親切ないい人だが余り神経質に過ぎますとも云はれた。一番いけないのは✕で、彼と対してゐると真黒な幕が垂れてゐるやうな気がするとも云はれた。それから傍にゐる自分を顧みて阿部君に至つては、あるが如くなきが如く、どつちだかわからないと云はれた。》

漱石先生がまるで黒幕のようだと評した「✕さん」は中先生ではないことを、同席していた小宮さんは現場にいて承知していました。それゆえ、黒幕云々は中先生ではないという小宮さんの注意は信憑性が高いと考えられます。

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