食べ物はすぐ腐る
ピコーン!
……うだるような真夏の正午。
俺の、スマホが、メール着信を知らせた。
……こんなクソ暑いときに、いったい誰だ。
スマホを開いて、メールを確認、する。
―――食中毒警報が発令されました
……市からの、お知らせメールか。
ご丁寧なことだ。
―――食中毒の発生しやすい気象状況となっております、予防に万全を期すようご注意ください
連日の36度越え、突然襲うゲリラ豪雨……。
確かに、食中毒が発生しやすそうな感じだ。
だが、俺は食中毒などとは無縁の生活をしている。
飯はすべてコンビニ弁当か外食だ。
昨今の衛生管理の徹底はかなりのものだ、食中毒など起こるはずも無い。
……金を出して、食事を買っているんだ。
金を出している俺に対して、損害を与えるものを提供されてはたまらない。
飲食店を経営しているのであれば、最低限のマナー、いや、常識として食中毒を発生させるはずがないのだ。
数多くの飲食店が立ち並んでいるが、食中毒事件などほとんど聞いた事がない。たまにテレビニュースを賑わせることもあるが、身近で騒ぎになった記憶は、ほとんど、ない。
それだけ、現代の飲食店は企業努力を欠かさないという事なのだろう。
見た目のうまそうなビジュアルと言い、店舗の清潔さと言い、昔とは大違いだ。
店先からハエトリガミがなくなったのは、いつぐらいの事なのだろうか。最近は入り口に消毒液があるが、昔は手洗い場すらなかったように思う。子供のころ食べに行っていた定食屋の、カウンターの上に並ぶうまそうな煮物には、よく蝿帳がかぶさっていたっけな……。
ぐぐ、ぐうぅ~……。
かつて食ったうまい飯を思い浮かべていたら、俺の腹が盛大に鳴った。
……そう言えは、腹が減ったな。
何か飯でも食って…会社に戻るか。
俺は、月に一度程度通っている食べ放題の店に立ち寄ることにした。
〈しゃぶしゃぶブタの命をいただく〉は、90分食べ放題1500円の店で、食欲旺盛な俺が贔屓にしている店だ。食べ放題のしゃぶしゃぶ店は二色鍋を使っており、出汁を二つ選ぶことができる。
「豚骨鍋出汁と、昆布だしで。」
「はい、少々お待ちください。」
ここの豚骨出汁は、締めにラーメンを入れて食べるとかなりうまいので、追加料金500円がかかるのだが毎回注文している。マッタリコクのある、ほのかに甘い出汁に豚肉がよく合うのだ。
鍋を持ってきた店員が電磁調理器のスイッチを入れる。
出汁が沸騰するまで・・・およそ5分。
席を立ち、飲み物の準備をし、たれを各種持ってきて、投入する具材を取りに行く。ネギにもやし、エノキに豆腐、ニラ……今日は餃子も入れてみるか。
皿に具材を盛り、テーブルに戻ると二色鍋はまだ沸騰していなかった。
気の短い俺は、具材を一気に鍋に入れ煮えるのを待つことにした。
沸騰するまでまだしばらくかかりそうなので、スマホのゲームを起動してしばし待つ……。
クーラーの利いた席に、生暖かい風が漂い始めた。
そろそろ煮えてきたに違いない、そう思ってスマホをしまい…鍋をのぞき込む。……やけに、豚骨鍋が泡立っているのが気になる。
普段、こんなに泡だった豚骨鍋を見たことがない。
少し違和感を覚えた俺は、泡だらけのスープをひとすくいして、味をみる……。
「……なんか、酸っぱくないか、これ。」
いつもの、ほんのり甘いコクがなく、どこか酸味を感じる。
沸き立つ鍋の湯気が、なんとなく腐敗臭がするような。
……豚骨鍋の味を変えた?
そんなことはどこにも書かれていない。
横を通りかかった店員に声をかけた。
「すみません、豚骨鍋って、こんなに酸っぱかったですか?味替えました?」
「え……少々お待ちください。」
店員は鍋を持って奥に引っ込んでしまった。
「すみません、おつゆ替えますね!」
新しいつゆが入った鍋が…俺の前にやってきた。
沸騰する前に味見をすると…いつも通りの豚骨鍋の味がした。
……豚骨鍋出汁は、追加料金の必要な出し汁だ。
ひょっとしたら、あまり注文されないものなのかもしれない。
冷蔵庫で保管しているうちに傷んでしまっていたのだろう。
食べ物はすぐ腐るからな……。
食べる前に気が付いて、良かった。
食べていたら、食中毒間違いなしだ。
……管理不足を怒るべきだろうか。
だが、怒ったところでどうにもならない。
新しい鍋は、届いているのだ。
たかだか一人の客に傷んだものが届いて、それを交換させることは、この店は特に問題視していないようだ。
スタッフは皆、忙しそうに他のテーブルの給仕に回っている。
誰一人こちらに気を配ることなく、己の仕事を全うしている。
たかだか一人の客が傷んだものを出されたことを怒鳴り散らしても、この店はたいして気にかけてなどくれないだろう。
……どうせ聞かされるのは、口先だけの謝罪だ。
聞くだけ余計に、気分がささくれ立つこと間違いなしだ。
……あれは俺が子供の頃だったか。
デリバリーピザを頼んだ時、ピザクラストの裏側がかびていたことがあった。父さんが狂ったようにスタッフを怒鳴り散らして、完全にドン引きしたんだ、確か。
そんなことがあったというのに、ピザ屋はつぶれなかったし、お見舞金などは一切貰うことはなかった。
―――気が付きませんでした、すみません。これ、新しいピザです。
もらったのは、謝罪の言葉とかびていないピザだけだった。
……あれは俺が大学生の頃だったか。
デリバリーハンバーガーセットを頼んだ時、チキンナゲットが腐っていたことがあった。彼女がヒステリーを起こしてスタッフに掴みかかって、完全にドン引きしたんだ、確か。
そんなことがあったというのに、ハンバーガー屋はつぶれなかったし、お見舞金などは一切貰うことはなかった。
―――置いてあったのを持ってきただけです。これ、新しいナゲットです。
もらったのは、誠意のない言葉と糸を引かないナゲットだけだった。
……あれは俺が転職する前だったか。
デリバリーの寿司を頼んで、イカを食べた連中が全員食中毒になったことがあった。社長が寿司屋を相手取って脅迫し始めて、完全にドン引きしたんだよ、確か。
そんなことがあったというのに、寿司屋はつぶれなかったし、見舞金などは一切貰うことはなかった。
―――配達途中で傷んだみたいです、申し訳ありません。これ、寿司券です。
もらったのは、媚びる事のない言葉と寿司券だけだった。
腐ったものに遭遇したのは、誰かと一緒にいた時だけじゃない。
むしろ、俺が一人で遭遇する場合の方が多い。
玉こんにゃくの袋を器に出してみたら、バラバラになって液体になってしまったことがある。
常温保存可能と書いてあったソーセージを剝いたら、糸を引いていたことがある。
誕生日に買ったショートケーキの中の桃が、茶色くとけていたことがある。
腐ってこそいないが、明らかに商品として成り立たない代物に遭遇したこともある。
せんべいの缶を開けたら、全部しけっていたことがある。
グミの袋を開けたら、大きな一塊になっていたことがある。
クッキーの缶を開けたら、粉しか入っていなかったことがある。
チョコレートの箱を開けたら、大きな一塊になっていたことがある。
おでんのレトルトパックを開けたら、全部の具材がつぶれてスープになっていたことがある。
チューイングキャンディの袋を開けたら、大きな一塊になっていたことがある。
クレームを言うのも見苦しい気がして、俺は何も言わずに、腐ったものを、商品価値のないものを、捨ててきた。
醜く怒鳴り散らすのはもちろんだが、販売者側の醜い言い訳を聞くのもごめんだったのだ。
こちらからわざわざ電話をかけて文句をつけるという行為が、面倒で仕方がなかったのだ。
そんなことをするくらいならば、二度とその店の品物を買わない、それでいいと思ってきた。
デリバリーピザは頼まなくなった。
デリバリーハンバーガーは頼まなくなった。
デリバリー寿司は頼まなくなった。
とあるせんべいメーカーの製品は買わなくなった。
とあるグミメーカーの製品は買わなくなった。
輸入物のクッキー缶は買わなくなった。
輸入物のチョコレートは買わなくなった。
おでんのレトルトパックは買わなくなった。
チューイングキャンディは買わなくなった。
……お気に入りの店が、今日、今、この瞬間、俺の中から消滅した。
今後、俺がこの店に来ることは、ない。
たかだか毎月2000円しか落とさない客が一人来なくなったところで、この店はまるでダメージはないはずだ。
この店での最後の食事を淡々と口に入れながら、ぼんやりと思うのは。
世の中には、商品として成り立たないくせに、商品面するものが溢れているという事だ。
出来損ないのくせに正規品と同じだけの金を奪い、不愉快を生み出すだけの存在価値のない代物。
金額分の価値のない、ただの廃棄品…ただただ購入者を不快にさせる、存在してはならない不用品。
だが、俺の周りでそういったエラー品に出会う者は、少ないように思うのだ。
―――ええー?そんなことある?
―――運悪すぎっしょ!!
―――ちゃんとよく見て買わないからだよ!
なぜか、俺ばかりが、エラー品を引いてしまうのだ。
……汗水たらして、神経すり減らして、俺がつかまされるのは、いつも腐ったもんってね。俺が腐ったもんをつかんでいるから、周りのやつらは腐ったもんに出会えていないに違いない。
世の中は、本当に不公平にできている。
いつだって俺だけがこういう目に合うんだ。
何も言わない、言えない俺ばかり狙ったように、問題が起きる。
何度腐ったもんをゴミ箱に突っ込んだことか。
何度食えねえもんを投げ捨てた事か。
腐ったもんが出てくるし、マズいもんばかり買ってしまう。
靴をはけば小石が入っているし、傘を忘れた日に限って雨が降る。
頭の悪い客にばかり当たるし、出来の悪い後輩しか近づいてこない。
雑誌を買えば虫が挟まっているし、コケればちょうど犬のくその上に転がる。
赤信号で足止めされてばかりだし、スピードを上げたところでパトカーと遭遇する。
企画しようと温めていたテーマは、新人に先に発表され。
告白しようとあれこれ考えているうちに、チャラ男に意中の女子をかっさらわれ。
痩せようと決心していろいろと研究しているうちに、いつの間にか50キロも太ってしまい。
無意味に体力使うのも……ばかばかしいってね。
ああ、くさくさする。
実に、くさくさする。
俺は、不貞腐れたまま、目の前の鍋に、箸を伸ばし……。
―――うわ、メッチャ腐ってんじゃん!
―――文句言うなよ、クレーマーとかみっともないぞ!
―――腹壊してからじゃおせーんだよ!
―――ちょっとこれ腐ってんだけど!!
―――すみませんねえ、この時期大変腐りやすい気候となっておりまして……。
―――御託はいいから新しい食いもんよこせよ!!
―――食いもん取り扱ってるんだったらさあ、最低限品質には気をつけてもらわないと!
――― まったく!食いもん屋やってるんならもっと緊張感持って商売してくれよな!!
―――あいすみません、こちらは廃棄しておきますので。
俺は、ドでかい箸で、つまみあげられて……
まあ、腐りかけがおいしいってよく言いますよね。
腐りすぎるのは、食べ物も人間もよろしくないと思うのですよ、ええ。