聞き上手
……いわゆる、傾聴ボランティアを始めて今日でまる三年。
思えば、いろんな話を聞いてきた。
まだ若い自分には到底知り得ない、大人の世界。
まだ若すぎる自分には到底理解できない、高齢者の世界。
……はじめは相当、苦労した。
思えば、いつも泣かされていた。
まだ結婚もしたことがないのに、夫婦の悩みを聞かされた。
まだ子供もいないのに、育児の悩みを聞かされた。
まだ一人暮らしなのに、嫁との同居の愚痴を聞かされた。
まだ誰の世話もしたことがないのに、介護の辛さを延々聞かされた。
おずおずとつぶやいた、心のうち。
あふれ出した、言えなかった思い。
投げつけずにはいられない、心の闇。
撒き散らさずにはいられない、どうしようもない怒り。
……色んな人がいた。
大人しい奥さん、口数の少ないお兄さん、礼儀正しいおばさん、豪快なおじさん、笑顔の素敵なおじいちゃん、明るいおばあちゃん。
ヒステリックな女性、目を合わさない男性、神経質な中年女性、横暴な中年男性、我儘な高齢男性、底意地の悪い高齢女性。
理解しようとして、できなくて。
言葉を真に受けて、傷ついて。
黙って聞いていれば、何か言えと怒られて。
思ったことを言えば、それは間違っていると怒鳴られて。
気を使ってみれば、心のこもらない言葉が不愉快だと苦情が入った。
……もうやめようと思って、やめられなくて。
このまま続けたら、自分が壊れてしまうと思った。
―――とっておきのテクニック、教えてあげようか
ボランティア仲間の女性からもらったアドバイスが、私を救った。
―――物語を書いてみるといいよ
―――利用者さんになりきって、ドラマチックなストーリーにするの
―――想像力も鍛えられるし、文章力も付く気がする(笑)
……効果は抜群だった。
もともと日記を書くことが好きだった私には、文章を書くという事が合っていたようだ。
相談者を主人公に、いろんな物語を書いた。
引きこもりの青年、独身男性、追い詰められたお母さん、人間関係に悩む奥さん、姑にいじめられている奥さん、奥さんに虐げられている旦那、世の中が憎くてたまらないおじさん、全てを諦めているおばさん、無気力な学生、被害妄想の塊のお兄さん、ネガティブなお姉さん、マウンティングしか興味のない人、学歴を嫌悪する人、学歴を誇る人、男尊女卑を押し付ける人、マイノリティを捻じ曲げて持論展開する人、子ども嫌い、老人嫌い、憂さ晴らし、お客様は神様だ…、私は世界一不幸だ……。
物語を書くための下準備、インタビューだと思えば、話を聞くことは苦にならなかった。
聞けば聞くほどに、物語に肉が付き、濃厚で読みがいのある作品が書けた。
おかしなものだ、あれほど罵声を浴びてダメージを受けていたはずなのに、もっとひどい言葉をはいてくれないだろうかと期待すらするようになった。
おかしなものだ、あれほど理解できない思考回路だと嫌悪していたはずなのに、そう思う事もあるよね、こう思う事もあるよと色々口にできるようになった。
目の前の理解し難い人物を私の頭の中に主人公として招き入れる事で、意識や思考をなぞれるようになったのだ。
……書いた物語は、三桁を越えた。
今では、毎日の執筆が私の日課になっている。
私が物語を書いていることを、相談者に伝えるつもりはない。
自分が物語になっていることを知らない人がいる。
自分の話が大げさに飾られて小説投稿サイトに掲載されているとは思いもしないのだろう。
自分が物語になっていることを疑う人がいる。
自分の環境とよく似た話が小説投稿サイトに掲載されていて気になってしまったのだろう。
……大丈夫、バレる事はない。
私はどう見ても、中高年の女性にしか見えない。
私はどう見ても、世間を知らないひよっこ学生にしか見えない。
私はどう見ても、人を疑う事の出来ないイイ人にしか見えない。
私はどう見ても、誰かに意見できるような強気な人物には見えない。
私はどう見ても、性格のねじ曲がった卑屈な人にしか見えない。
年齢、肩書、性別、経歴、性格、気質、そんなものはいくらでも誤魔化すことができる。
堅苦しい文章、古臭い言葉遣い、独特の表現、作り上げた作者像。
やさしい言葉、思いやりのある行動、情けない姿、無知を晒す若者像。
私、わたくし、わたし、僕、俺、オレ、自分。
……さて、今日はどの一人称代名詞を使おうか。
昨日聞いたばかりの生々しいエピソードには…荒んだ感じの【オレ】が似合うことだろう。
……そうだ、先週聞いた奥さんのかわいそうな話も混ぜ込んでみたら、面白くなるに違いない。
オレはたいしたオチのない、つまらない話を盛り上げるべく…、パソコンの執筆ツールをひらいた。