オクラ物語をねっとりと語ろうか。
ずいぶん食が貧弱な家に生まれた私は、わりと…食べ物を知らないまま大きく育った。
においに敏感だった祖母は、肉と魚を嫌い、食卓にはちくわや豆腐、卵を使った料理しか並ばなかった。
料理が嫌いな母は、簡単に作れるものしか食卓に並べなかった。
たまご丼、ちくわの卵とじ、納豆、茶わん蒸し、てんぷら、みそ汁、ホウレンソウの胡麻和え、ナスの煮物、かぼちゃの煮物、サツマイモの煮物、野菜炒め、焼きのり、おでん、ちらしずし、稲荷寿司。季節の果物に、キュウリとトマト。食卓に並ぶものはいつだって代わり映えしなくて…ただの食事という作業対象物でしかなかったのだった。
てんぷらは祖母の大好物で、月に一度必ず作るメニューだったのだが、その日はいつだって…母の機嫌がずいぶん悪かった。メンドクサイてんぷらを作るのが…嫌で嫌で仕方がなかったのだろう。
嫌々作られたてんぷらは、あまりおいしくなかった。
料理嫌いな母の作るご飯は、美味しいものではなかった。
ふりかけやお茶漬けのもとが常備された食卓を、ずいぶん長い間囲み続けた。
家庭料理はおいしくないもの、それが私の中で常識だった。
給食が大好きだった私には、大好きになるだけの環境があったのだ。
家では出てこないメニュー、食材、見たこともない調理方法。
給食はずいぶん、私に食材と料理を教えてくれた。
しかし、それだけでは足りていなかったのだ、知識が。
おかしなところで、食材の無知が露呈する。
魚の種類がわからない。
肉の種類がわからない。
粉の種類を知らない。
麺の種類を知らない。
小学生の頃から、料理を始めた。
初めは、母の料理を見よう見まねで始めた。
いつしか、果物の皮をむくのが私の仕事となった。
中学生になると、晩御飯を作るようになった。
母の作っていたメニューを忠実に再現する。
調味料の割合を変えて、味を変えることを知った。
高校生になると、いろんなものを作るようになった。
母の作っていたメニュー以外のものを作るようになった。
限られた食材を使って、小細工をして…おいしいご飯を作るようになった。
大学生になり、アルバイトを始めた私はいろんなものを買いそろえ始めた。
中華鍋に木べら、寸胴鍋にケーキの型、ハンドミキサーにミートチョッパー、スケッパーにはかり、ガラス製のボウルに圧力鍋…。器具以外にも、食材だって買い込んだ。カレールーにシチュールー、豆板醤にコンソメ、粉チーズにバター、強力粉、ベーキングパウダー、グラニュー糖、ドライイースト・・・。
自由に作りたいものを作り、時折失敗しながら料理の楽しさを知っていった。
就職して家を出て、何一つ制限のない場所を手に入れた私は、今まで買えなかった食材を次々に買い込んだ。
初めて買った魚は、切り身だった。料理本を見ながら作った照り焼きはずいぶん美味しかった。
コンロのグリルでサンマを焼いた。
サバを一本買ってきて捌き方を学びながら…サバみそにしたり、竜田揚げにしたり、失敗すら楽しいと思えた。
いろんな肉を買ってきては、いろんな調理をして、美味しい、美味しくないを学んだ。
たいていの魚をさばけるようになり、たいていの肉の種類を見分けることができるようになり…いつしかたいていのおいしそうな料理は作れるようになっていたのだが。
どうにも、手が出せない野菜が…たった一つ、あった。
夏野菜の、オクラ。
あれは、いつの事だっただろうか。祖母がどんぶりいっぱいのオクラをもらってきたことがあった。なんでもお友達が家庭菜園で作って、収穫できたからおすそ分けしてくれた、とのことだった、はず。
初めて見る野菜に、料理嫌いの母親は、ずいぶん戸惑った。もともと料理嫌いで料理本すら見ようともしない、基本料理をワンパターンに作る人だったから、新しい食材など、まるで見向きもしないため…オクラという存在を、知らなかったのだろう。
もらってきた祖母は料理をしない人だったから、完全にノータッチだった。ただ、これを使った晩御飯を作れと、命令を下しただけだった。予定外の調理が増えたことに、苛立ちを隠せない、母。
食べ方を教えてもらえばよかったのだが、人嫌いで口を開くことの少ない母親は…自分でどうにかしようと決めたようだった。食べ物なのだから、種を取って炒めてしまえば食べられるはず、そう思ったのだ、きっと。
食べ方を誰一人知らない家で、オクラはピーマンのような扱いを、受けた。
縦に半分に割り、中身の種を取り、もやしとともに炒められた。
いくら洗っても取れないぬめりに、調理した母は…投げ出してしまったのだ。…作ることも、食べることも。もともと、予定していたのはもやしの炒め物だったのだから、そこに入れてしまえばいい。中途半端に水洗いされて、だらしなく糸を引くオクラは、二つ割りにされたまま、もやしと共にマーガリンで炒められていく。
ヌルヌルのもやし炒めは、非常に…非常に舌触りが悪く、口に入れると不快感を感じた。固い部分がいつまでも口の中に残り、まとわりつくような青臭さが実に絶妙に悪影響を及ぼした。
無理やり、口の中に入れ、噛まずに飲み込み…ひどくおなかを壊した。
まずいと言って食べなかった家族がいたので、それ以降…母はオクラを二度と食卓にあげることがなかった。スーパーで買う事もなければ、誰かからもらう事もなく、ずいぶん長い時が過ぎた。
オクラはまずくて、食べるに値しないものである、それが私の中で常識となったのだった。
星の形をした、ねばねばした野菜は、私にとってずいぶん長い間…未知の野菜であった。
弟の結婚祝いで回転ずしに行った時、弟の奥さんになったゆきちゃんが食べた…ねばねば軍艦には、星型の見慣れない野菜がのっていた。
美味しいよ、私の大好物なの、そう言ってにっこり笑ったゆきちゃんにつられて私も一ついただいたのだが、納豆とオクラ、マグロがのったお寿司は、あまり好みの味ではなかった。生のオクラだったのだろうか、やけにマグロが生臭く感じたし、ヌルつきがどうにも受け入れがたかった。
やっぱりオクラはおいしくないものなのか、そういう認識のまま、ふたたび長い時間が過ぎた。
そんなある日。
オクラのお浸しをもらい、食べる機会があった。旦那が近所の奥さんからお重箱いっぱいにおすそ分けをいただいてきてしまったのである。
大食漢の旦那が食べても食べても…一向に減っていかない。おいしいから食べてみろ、そういわれたものの、正直、美味しいイメージがなくてどうしようかと思っていたのだが。
意を、決して、一つ、口に…放り込んで、みた。
もぐっ・・・。
も、ぐっ・・・?
もぐ!もぐ!!!
一口食べたら、次から次へと…手が伸びる。
とても、とても…おいしかったのだ!!!
もぐっ、もぐもぐ、モグ…モグ…。
ただ、一心不乱に、目の前のオクラを食する、私。
見る見るうちに、お重のオクラはなくなっていった。
その日、初めて…私はオクラのおいしさを知ったのだった。
ご近所の奥さんにレシピを伺い、自分のものにしてから、はや数年…オクラのお浸しは、私の大好物になった。
…今日は仕事が休み。
一人で、自由に、気がねすることなく、お昼ご飯を食べることができるスペシャルデー。
先週は一人回転ずしに行ってきたのだけど。…今週は、オクラをざるいっぱい買いこんできた。
朝から産毛を取り取り、硬いところをそぎそぎ、お湯で茹で茹で、氷でしめしめ、秘伝の出汁仕込み醤油に漬け込み漬け込み…。朝から出し汁にどっぷり漬かっていたオクラの皆さんを冷蔵庫に眠らせ…六時間経ったところで、食卓に引きずり出させていただいて…只今、食させていただいている、次第。
…オクラを食べると、昔の切ない食卓事情を思い出してしまうのだな。
鰹節がふわりと乗った、やや落ち着いた色合いのオクラをひとつひとつ箸でつまみ上げ、口に入れて、咀嚼し、胃袋に落とし込む…。
……美味い、実にうまい。
お出汁の染み渡った、鰹節というベストヴェールを纏ったオクラの魅力と言ったら、もう。
プチプチと口の中で弾け、つるりつるりと喉から胃袋へと滑り落ちてゆく、緑色のうまみ。
美味い、これは、本当に…しみじみ、美味い。
あればあるだけ、いつまででも食べられる。
これがあれば、延々至福の時間が続く。
こんなにうまい食べ物を、私は数年前まで…一度も食べたことがなかったのだ。
この美味さを知らずに、ずいぶん長い間生きてしまった。
この美味さを知らずに、ずいぶん食べ逃して年を重ねてしまった。
なんというもったいないことだ、実に嘆かわしい。
なんという恐ろしいことだ、実に遺憾である。
美味すぎる緑色の至宝を口に運びつつ、取り留めの無い事を、思う。
この美味さに、酔いしれすぎて…すこしだけ気分が高揚している。
オクラのおいしさに気付けた、ただそれだけで…この人生は素晴らしきかな。
少しオクラを食べすぎてしまった私は、タッパーのふたを閉め、冷蔵庫にしまい込む。
…ふふ、今晩の夕食でも、またこのおいしいオクラが食べられる。
お楽しみの晩御飯がさらにおいしくなるように、ウォーキングにいこうかな、うんそうしよう。
帰りに副菜となるお肉も買ってこようかな。今晩のメニューの主役は、オクラのお浸しだから、ハンバーグくらいがちょうどよくってよ。
余計なものを買い込まないよう、やや小ぶりのエコバッグを選んで手に取る。
愛用のウォーキングシューズを履いて、帽子をかぶって…二時間くらい歩いちゃおうかな!
調子に乗った私を止める者はいない。
私は元気よく、残暑厳しい初秋の晴れ空の下、意気揚々と歩き始めたのであった。
ちなみに、乾燥したオクラも好きです。酒のつまみでパリパリ食べてます。普段は野菜チップスパックで食べてますね。