毒
ここに、一本の…キノコが、ある。
実に毒々しい、真っ赤な色を誇る、キノコ。
このキノコは…今から3553年前、秘術に使われていたキノコである。
人体の老いゆく肉を、逆行させる作用をもたらす、キノコ。
だがしかし、現代においては、毒キノコとして、認識されている。
このキノコは、このキノコ単体では毒でしかないのだ。
このキノコは、「ぬら」と混じり合わねば、薬にはなれないのだ。
現在、「ぬら」は、存在していない。
およそ3374年前に、この地球上から、揮発してしまったのだ。
もはや、このキノコが、人類に食される機会は、失われてしまったのである。
ここに、ひとつの…実が、ある。
実に毒々しい、真っ黒な色を誇る、実。
この実は…今から7010年前、頻繁に食されていた実である。
人体では視覚できない意識体を、脳内で確認するために必要な、実。
だがしかし、現代においては、毒果実として、認識されている。
この実は、この実単体では毒でしかないのだ。
この実は、「ぼうじくはむ」と混じり合わねば、食用にはなれないのだ。
現在、「ぼうじくはむ」は、存在していない。
およそ6996年前に、この地球上から、燃え尽きてしまったのだ。
もはや、この実が、人類に食される機会は、失われてしまったのである。
ここに、ひとつの…石が、ある。
実に毒々しい、真紫色を誇る、石。
この石は…今から90068年前、頻繁に埋め込まれていた石である。
人体に足りない触覚を、後天的に出現させるための、石。
だがしかし、現代においては、毒鉱石として、認識されている。
この石は、この石単体では毒でしかないのだ。
この石は、「ぐううううん」と混じり合わねば、人体と結合することはできないのだ。
現在、「ぐううううん」は、存在していない。
およそ187561年前に、この地球上から、枯渇してしまったのだ。
もはや、この石が、人類に装着される機会は、失われてしまったのである。
「ぬら」も、「ぼうじくはむ」も、「ぐううううん」も、かつて、この地球上のそこらかしこにあふれていた。
どこにでもあるものだから、キノコも、実も、石も、毒と認識されていなかった。
この地球上からなくなってしまって、その時初めて、キノコも、実も、石も、毒であったのだと認識されたのだ。
「じお」も、「きそきじじゅ」も、「かしをどえおうぢゅぐ」も、なくなってしまった。
どこにでもあるものだから、まさかなくなるとは誰も思っていなかったのだ。
この地球上からなくなってしまって、その時初めて、大変なことになったと焦ったのだ。
……この地球上に、人類を脅かす、毒でしかないものなど、存在していなかった。
何かと混じることで、常に人体に恩恵を与えてきた、数々の…物質。
地球上から失われたものが、たくさん、ある。
地球上から失われたために、生産できなくなったものが、たくさん、ある。
地球上から失われたせいで、取り返しがつかなくなったものが、たくさん、ある。
私は…、うっかり長寿を願ってしまったがために、今日まで生きる羽目になってしまった。
「ぬら」に「ぼうじくはむ」で「もそこむに」したものを「ぐううううん」で練って、「じお」に浸したのち、「きそきじじゅ」の上で三日三晩乾燥させ、「かしをどえおうぢゅぐ」と一緒に体内に取り込んだ、あの日。
まさか、190301年も生きる羽目になろうとは、つゆにも思っていなかった。
のんびり地中に埋まって、大陸と一体化していたのが間違いだった。
ぼんやり人間の進化を楽しんでいる場合じゃなかった。
うっかり海底で肉体強化合宿なんてしてたから、大惨事に気が付けなかった。
真っ赤な昆布を「もそこむに」して、「きそきじじゅ」で挟んだものを食べれば、いつだってこの世から旅立てると思っていた。
魂が、再生する肉体から、はがせない。
命が、再生する肉体に、こびりついている。
心が、再生する肉体に、蝕まれていく。
真っ赤な昆布はあるけれど、「もそこむに」も、「きそきじじゅ」も、この地球上には、存在していない。
私はもう…木っ端微塵になっても、この世界から消え去ることは、できないのだ。
忌々しい気持ちを胸に、私はキノコを…かじった。
「これ、食べられるの?!よーし、俺も!!」
隣のすすけた兄ちゃんが、キノコをかじる。
嬉々としてキノコを頬張っていたが、やがて盛大に体を震わせて…動かなくなった。
忌々しい気持ちを胸に、私は実を…かじった。
「これ、食べていいんだ!あたしにも頂戴!!」
後ろのとぼけた姉ちゃんが、実をかじる。
嬉々として実を頬張っていたが、やがて大声を上げて…動かなくなった。
忌々しい気持ちを胸に、私は石を…口に含んだ。
「これ、飴?!貴重な糖分だ!独り占めすんなよ!!」
正面の血気盛んなおっさんが、石を口の中に放り込む。
嬉々として石を頬張ったが、声もあげずにばたりと倒れて…動かなくなった。
……どいつもこいつも、弱い肉体の持ち主ばかりだ。
失われたものの多い世界で、人々はどんどん、貧弱になって行ったのだなと、しみじみ思う。
圧力に負ける肉体、時間に負ける肉体、酸素を拾えない肉体、再生しない肉体、星から逃れられない肉体、コミュニケーション能力に限界のある肉体、知識を生かせない肉体、簡単に揺さぶられる感情しか持てない肉体、なんにでも負けてしまう肉体……。
「おい!ぼやっと突っ立ってんじゃねえよ!くそが!!」
「うわー、きんもー!身長低すぎてまじ萎える!!」
「年上を敬えない若造のくせに何しゃらくさいこと抜かしてんだよ!」
「つか40過ぎたら若者の言うことに従えよな!この老害が!」
気軽に毒を吐くくせに、毒を食ったら昇天とか……。
ねえ、これ、洒落のつもり?
……はは、笑えねえ。
……この地球上に、人類を脅かす、毒にしかならない生物など、存在していなかったんだけどな。
……この地球上から、良い人が、優しい人が、少なくなってきているからなのかも、知れないな。
毒に混じるような肉体が、この世界から消えるのは…もう間も無く、なのかも、知れない。