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断れない

 ……最近仕事がうまくいっていない。ストレスがたまって、気が滅入る。

 事務所のパートさんが辞めてしまったため、その補填に入ることになったのは、二週間前。先輩社員の指導を受け、少しづつ作業内容を覚えてきたものの、ミスをしない日がない。パソコンで伝票の入力をしたり呼び出しの放送をするのは比較的ミスらずにこなせるのだが、電話対応がどうにも芳しくないのである。
 通常の問い合わせの電話はまだいい。多少つっかえてしまっても、自分の未熟さが露呈するだけで実害が出ないから。

 問題は、赤色伝票の電話を受けた時だ。
 赤色伝票とはいわゆる返品伝票のことで、むやみに受けてしまうと会社に損害が出るため、基本上司と電話を替わることが義務付けられている。ただの一社員である私には、赤色伝票を作成する権限は与えられていないのだ。

 ……しかし。

 RRRRRRRR……、ガチャ

「はい、お電話ありがとうございます、ゾウリョウ製菓、吉川でございます。」
「あ、もしもし!カカダマ商事ですけど!昨日のカートンね、ふたが破損してたんで赤伝切っといて!」

「申し訳ございません、私では伝票を作ることができませんので、担当のものと代わりますね、しばらくお待ちください。」
「いいわ、代わらなくても!頼むね!」

 ガチャ、ツーツーツーツー……

 RRRRRRRR……、ガチャ

「はい、お電話ありがとうございます、ゾウリョウ製菓、吉川でございます。」
「あ、もしもし!スーパーツノイリです、お世話になります!今朝のカートンですけど、色が悪くてねえ、処分したんで赤伝切って下さい!」

「申し訳ございません、私では伝票を作ることができませんので、担当のものと代わりますね、しばらくお待ちください。」
「すみません、対応入っちゃったんで…数はファックスしておきますから!」

 ガチャ、ツーツーツーツー……

 RRRRRRRR……、ガチャ

「はい、お電話ありがとうございます、ゾウリョウ製菓、吉川でございます。」
「お世話になります、海洋研ですけど!不良多すぎますね、赤伝53で!」

「申し訳ございません、私では伝票を作ることができ」

 ガチャ、ツーツーツーツー……

 断らないといけないのに、断らせてくれない取引先が少なくないのである。

「また赤伝?ダメだよ、ちゃんと断らないと。」
「すみません……。」

 慣れない対応だし最初のうちは仕方ないと言っていてくれた上司も、だんだん、渋い顔を見せるようになった。

【赤伝は必ず課長にお願いする事!】
【赤伝の電話の時の文言:申し訳ございません、赤伝の対応は白崎の担当となっております。只今変わりますので、そのまましばらくお待ちください】
【切られそうになったらいう言葉:恐れ入ります、私では対応いたしかねますのでそのままお待ちくださいませ】

 これではまずいと、手書きのカードを電話のところに置いて対応するようになったのだが。

「あ、赤伝お願いします、海洋研です、68ね!」
「ちょっと!不良入ってたから全部赤伝頼みたいんだけど!」
「ごめん急ぐから数だけ、44、お願いします!」
「はあ?!待てるか!こっちはお客様が待ってるんだぞ!」
「従業員だったらなんでもできて当然でしょう?そんな人が電話に出ていいと思ってんの?」

 カードを見ても、断れない。

 それどころか、どんどん電話に出るのが怖くなっていく。

 叱られると思うと、一秒でも早く電話を切りたくなってしまうのだ。

 RRRRRRRR……、ガチャ

「あ、赤伝お願いします、海洋研です、今日は少ないよ、24ね!」

【赤伝は必ず課長にお願いする事!】のカードを見ながら、私が対応する、言葉が。

「あ、はい、わかりました。」

 RRRRRRRR……、ガチャ

「不良の分全部赤伝頼みたいんだけど!」

【赤伝の電話の時の文言:申し訳ございません、赤伝の対応は白崎の担当となっております。只今代わりますので、そのまましばらくお待ちください】のカードを見ながら、私が話す、言葉が。

「あ、はい、わかりました。」

 RRRRRRRR……、ガチャ

「あ、もしもし!スーパーツノイリです、お世話になります!今朝のカートンですけど、味が薄くてねえ、処分したんで赤伝切って下さい!」

【切られそうになったらいう言葉:恐れ入ります、私では対応いたしかねますのでそのままお待ちくださいませ】のカードを見ながら、私の口から出る、言葉が。

「あ、はい、わかりました。」

 カードを見ても、断れない。
 むしろ、カードを見ると、自動的に赤伝を受け付けてしまう。

 カードを見なくても、断れない。
 むしろ、カードを見なくても、自動的に赤伝を受け付けてしまう。

「完全に電話対応ができなくなってるね。擦り込みになっちゃってるんだなあ、きっと……。」
「申し訳ありません……。」

 私が退職を考え始めた頃、事務所に新しいパートさんが入ることになった。

 私とは違う、物事をはっきり言うタイプの中年女性が入り、事態は好転すると思われたのだが。

『配送部吉川さん、スーパーツノイリ加藤様よりお電話です!』

「はい、お待たせいたしました、吉川です、お世話になります。」
「あー、吉川さん!電話の担当変わったんですか?あのねえ、赤伝のお願いをしたくてね!38だけ、お願いします!」

「はい、わかりました。」

 なんと、事務所に勤務していないにもかかわらず、私を指名して赤伝を切らせる取引先が現れるようになったのである。

 電話がかかって来た時点では内容がわからないから、無下に繋がないわけにもいかない。作業を中断し、赤伝を切るという、負のスパイラルである。

 上司たちも思うところがあったようだが、しばらく様子見をせざるを得なかった。また憂鬱な日々が続くのかと、ため息をついた。

 しかし、私の心配をよそに、日に日に私を指名する電話の数は減っていき、やがて以前のような平穏な通常業務にうちこめる日々が戻ってきた。

 私は、事務所のパートさんが上手に電話を受けてくれるようになったんだなと思っていたのだが。

「あ!!もしかして吉川さん?!お世話になります、スーパーツノイリの加藤です、いやあ、お世話になってます!」
「どうも!吉川さん、お世話になったねえ、お疲れ!カカダマ商事です、僕ね、藤井っていうの、ハイ、名刺!」
「あ、吉川さんですか!いつも無理言ってすみませんでした、海洋研です、こちらうちのサンプルなんで、よろしければどうぞ!」

 ある日、新商品の試食会のお茶出しを頼まれた私は、かつて赤伝を切った企業の方たちと対面することになった。

 さんざん怒られ続けていたので、お叱りのお事がをいただいてしまうのだろうと覚悟を決めたのだが、…予想と反して、温かい言葉をたくさんかけていただいた。

「こんにちは、お世話になっております……。」

 何が起きているのか事態がよく飲み込めず、ただ笑顔を返す事しかできなかった私のもとに、次から次へと、名刺を持った方々が現れた。

 あわてて名刺を差し出し、丁寧に頭を下げ下げ、親睦を図らせていただく。電話の声のイメージと違って、どなたもとても気さくで…にこやかなのが気になった。また、それを見ている部長が、ずいぶんニコニコしていたのも、印象的だった。

 試食会が無事終わり、取引先の皆さんをお見送りした後、片付けをしていると…部長が上機嫌でやってきた。後ろには…専務もいる。何事かと、気を引き締めつつ、作業に集中していると。

「吉川さん!いやあ、君のおかげで大成功だよ!良かった、お茶出し、ありがとね!」
「ほら、だから言ったでしょう、吉川さんだしたら絶対に皆さん機嫌よくなるって!」

「お疲れ様です…えっと、何のことですか?」

 私の知らぬところで、思いがけず事態が好転していたらしい。

 私が赤伝を切っていた商品は、工場ラインの不備があって不良品が頻発していたために出ていたのだそうだ。
 だが、返品するほどのレベルではなく、かといって正規品と比べれば劣る程度だったらしく、実に中途半端な商品で…出荷元であるうちは赤伝を切らないぞと息巻き、納品先である販売店は赤伝を切らせようと躍起になっており、実に緊迫した均衡状態が続いていたとのことだった。

 その均衡を破ったのが、私の赤伝容認である。

 一度受けた赤伝を覆すことはできないので、どうにか対策を練らねばならないと工場ラインを強化することにした結果、出荷時のチェックの精度が上がり不良品が激減し。さらに、赤伝を切らせてくれるので販売店は無駄な赤字販売を抑えることができ大喜び、うちに対する信頼度が向上し。結果として、企業好感度が上がり新商品の開発及び販売が可能となったとのこと。

 …びっくりである。

「皆さん吉川さんに会いたいって言ってみえてねえ。新商品の不良が出たらまた指名して赤伝切ってもらうってはりきっていたよ。」
「吉川さんには、近々赤伝の管理をお願いするかもしれないねえ……。」

 顔の見えない、全く知らない取引先の人の電話を受けるのは、確かに怖かったけれど。

 ……今後私が受けるのは、今日名刺をいただいた、にこやかな皆さんの電話に、なるはず。

 知っている人だったら、お断りの電話も、できるようになっているかも?……なんだか、とても、胸の中が…スッキリ、する。

「心しておきますね。」

 新商品のラインはとてもしっかり組まれていたから、たぶん不良は出ないと思うんだけどな。

 そんなことをちらりと思いつつ、私はにっこりと笑ったのだった。


真摯に仕事に向き合っていれば思わぬところから解決する可能性があるので、のんびり構えてみるのもいいかもしれないですね。


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たかさば
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