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キュウリは炒められることを望んで…

…今にして思えば、祖母は味オンチだったのだ。

土曜日、私は母親がPTAに行くというので、祖母と二人で留守番をしていた。いつもであれば、11時半にご飯の支度を始めるはずの母親が、いつになっても帰ってこない。どうしたんだろうと思っていたら、母親から電話がかかってきた。

『なんかお弁当が出たから、午後まで帰れないみたい。ごめん、ばあちゃんに頼んでなんか作って食べて。』
「わかった。」

ご飯が無いから、作って欲しい、祖母にそう伝えた。

「ふうん、じゃあ、あるもの使ってなんか作るわ。」

…祖母がキッチンに立つところを見たのは、その時が初めてだったように思う。

ジュウジュウ、ジャッ、ジャッ。

やけに小気味のいい音が聞こえてきた。

…やけに香ばしいにおいがしてきた。
……やけにキッチンの中が煙たい。

「できたよ。」

ちゃぶ台に並んだのは。

真っ黒い棒?
白いご飯。
みそ汁。
茶色い、塊。

「いただきます。」

ポリっ、ぽりっ・・・じゃりじゃり。

真っ黒い棒は、謎の触感がした。
苦い外側に、硬い中身。
噛むたびに、よくわからない不快感。

「おいしいでしょう、ジャガイモのきんぴら。」

白いご飯は、朝ご飯の残り。冷蔵庫に入っていたからか、ぼそぼそしていて冷たく、箸がなかなか刺さらない。

「冷たいご飯、美味しいね!」

ご飯に、梅干しの汁をじゃぶじゃぶかけて…さらさらとご飯を食べている祖母。ご丁寧に、私のごはんにも梅干し汁をかけてくれて、半分食べたところで、お茶を注いでくれたので…一気に流し込んで食べた。

みそ汁の底には、固まった味噌と、大根が。何だろう、すごいにおいが、する。

「沢庵の味噌汁が一番おいしいよねえ!」

アツアツになった、しかし煮えてはいない沢庵が薄いみそ汁の中でものすごい存在感を放っている。

茶色い物体に箸を指すと…じゃりっとした感覚が伝わった。
箸で切って口に入れると、めちゃくちゃ甘くて、しょっぱい…卵焼き?

「これくらい甘くないと卵焼きはおいしくないんだよね!卵はやっぱりデザートっていうか!」

…さんざんな食事だったが。

「ごちそうさまでした。」
「おいしかった?美味しかったでしょ!!お母さんのごはんはまずいからねえ!!」

私は祖母が大好きだったんだな、このころは。

「おいしかった。」

おいしかったはずがない。

中学に入った私は、いわゆる家庭菜園にはまった。
植木鉢にはプチトマト、花壇の端にはキュウリ、お小遣いで買った小さめのプランターには二十日大根。
自分で作った野菜を、自分で収穫して食べることにハマってしまったのだ。

「すいぶんいっぱい生ってるねえ…見苦しい、邪魔だねえ…。」

几帳面な祖母は、庭にせり出すキュウリ棚が気に入らなかったようだった。自慢の花壇に、みっともなく蔓を伸ばす緑色の葉っぱが邪魔に思えて仕方がなかったらしい。

毎日二、三本づつ収穫し、マヨネーズで楽しんでいたある日、小さいキュウリも大きいキュウリも、すべて収穫されてしまった。

「もう夏も終わりだし、邪魔だから全部採っといてあげたよ。」

このころには、私は祖母が大嫌いだったが、怒らせて被害を被るのはごめんだったのだ。

「そうなんだ、…ありがとう。」

ありがたいはずがない。

ざるいっぱいに積まれた、未成熟なキュウリたちを見て、私の目には涙すら浮かばなかった。

いつもこうなんだよね。勝手に机の上片付けたり、勝手に本捨てたり、勝手に服捨てたり、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に。

まあ、仕方ない。
私は諦めることになれている。

ざるのキュウリたちを、冷蔵庫に入れて、毎日、マヨネーズで食べようと。

すべて、私が、食べようと。

「キュウリさ、腐っちゃうといけないから、炒めといてあげたよ!」

几帳面な祖母は、生ものは二日で腐ると思っているのだ。
生ものは、火を通せば三日もつと思っているのだ。
火を通して三日たった生ものは、再び火を入れたら腐らないと思っているのだ。

食べ物は、食べられるうちにすべて食べないと罰が当たると思っているのだ。

私の作ったキュウリが、油で炒められている。
私のキュウリが、油まみれになっている。

私の、キュウリが。

キュウリは、何を思っただろうか。

私が毎日、一生懸命世話をして。
私が毎日、マヨネーズでおいしく食べて。

祖母に、いきなり刈り取られて。
祖母に、いきなり炒められて。

ホカホカと、湯気をあげるキュウリを、口に入れた。
なんとも言えない、不愉快な味がした。

・・・ああ。

キュウリは、炒められることなど、望んでいなかったはずだ。

「おいしく、ない。」

みるみる、顔色が変わっていく、祖母。

「何言ってるの?!こんなにおいしいのに!!これが美味しいんでしょ?!おいしいって味がわかんないの?!これぐらいわかんないと社会に出た時に恥ずかしいよ?!いつもまずいものしか食べさせてないって思われたら困る!!!これが美味しいの、あんたこのおいしさがわかるまで、全部これ食べなさい。残したら罰が当たるよ、罰が当たると目がつぶれるよ、あんたの好きな漫画も見れなくなるよ、わかった?!あんたこれ全部食べるまで白いご飯禁止ね。」

几帳面な祖母は、毎日ゴミ箱をチェックしている。
捨てることなど、到底できない。

几帳面な祖母は、毎日冷蔵庫をチェックしている。
キュウリが減っていないのを見つかって、目の前に皿を広げられた。

あんなにまずかった炒められたキュウリは、冷蔵庫で冷やせばそれなりに食べることができた。

だけど、私は一週間ほど、毎日おなかを壊し続けた。

キュウリを食べすぎて、おなかを壊したのか、冷たいものを食べすぎておなかを壊したのか、痛んだものを食べてオナカを壊したのか。

炒めたキュウリを美味しいものとして認識していた祖母は、一週間の間、そのおいしいものを、一口も食べなかった。


「ねえねえ、キュウリ大豊作だよ、食べきれない!!!」
「ご近所に配ろう。」

ずいぶん年月が経った今、私はキュウリの栽培に再び手を出すこととなった。

子どもたちが毎日二三本づつ収穫しては、マヨネーズで食べたりサラダにしたりちくわの中に入れたりハムと一緒にサンドイッチにしたり漬物にしたりスムージーにしたり。

「いいかげんキュウリ料理にも飽きてきたね、なんかおいしいレシピ探ってみようよ!!」
「いや、キュウリはね、絶対おいしい調理法がね、決まってるっていうか…。」

料理の腕のない娘が、適当なことを言い出して…少々昔のトラウマがくすぐられる。…抉られるといった方が最適かな、この場合。

「ねえ!!このキュウリの炒め物、美味しそうじゃん!!作ってよ!!」

料理サイトのレシピを見て、娘が恐ろしいことを言い出した。

「いや、キュウリは炒められることを望んでないから。」
「僕作る。」

料理好きの息子が、キュウリを二本もぎ取り、キッチンに向かってしまった。

あの、不愉快な味が私の脳裏によみがえる。

トラウマというのは、なかなか…消えないものなのだ、多分。

私は鈴なりのキュウリをがっしがっしと収穫し、ご近所に配るため段ボールに詰め込んだ。

「おかえりー!ねえ、これ食べてみ!!めっちゃうまい!!!」
「おいしい!」

キュウリをすっかり配り終えた私に差し出された、小鉢の…炒められた、キュウリ。

「ええと、私、あったかいキュウリは、ちょっと…。」

脳裏に浮かぶ、不愉快な味。

「だまされたと思って食べてみてよ!!本当にうまい!!めっちゃうまい!!」
「食べないの。」

料理好きの息子の顔が…落ち込んで、来たぞ…。

これは、まずい。
せっかく喜んで作っているのに……おかしな印象を与えてしまうわけには!

意を決して、箸を取り。
卵と、キュウリを、つまむ。

…湯気が!!!

口の中には何も入っていないはずなのに、すっぱいものがこみ上げて、来る。

「い、いただき、ます・・・。」

口に、入れると。

・・・。

・・・・・・?

なんだ、意外と。

第一波で口の中にしょうがの香りが広がった。
二波は、オイスターソースのうまみ?
いや、ごま油の香ばしさか。
鶏ガラスープ使ってるな、ふわふわの卵は、キュウリの食感に意外とマッチしてる。
塩がちゃんと利いてて、キュウリの水っぽい味が引き締まってるのか、なるほど。

「おいしい。…美味い、さすが!!!」
「でしょう。」

自慢気な息子の顔!!!
料理好きの腕を疑ったことを、心から詫びる、私。

キュウリは…炒められることを、望んでいたのかもしれないな。

止まらぬ箸は、小さな器をあっという間に空っぽにし。

「ねえ、また作ってね!」
「はい。」

明日からのキュウリメニューが、一品、増えたのであった。

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たかさば
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