『天才』って、なに?
僕のベルマーレ時代の同期である、
石井久継がU-20日本代表に選ばれた。
石井久継(以下ツグ)。
『ミライモンスター』など様々なテレビやネットの
番組で特集された事があるから、聞いた事がある人が多いかもしれない。
多くの人がツグを『天才』と呼ぶ。
確かにそうかもしれない。てか実際そう。
けど、6年間近くでツグを見ていた僕は、
ツグをただ『天才』と呼ぶのは少し違和感を感じる。
『天才』について、考えてみたくなった。
2種類の『天才』
『天才』って、なに?ってタイトルにしたり、
2種類の『天才』だなんて見出しにしたりして、
あたかも哲学的な事考えようとしてるみたいに
なってるけど、
天才なんて単純に
「人よりも飛び抜けて頭角を表している人」だし、
天才も単純に
「天才でい続ける人」と「消えていく人」の2種類いると思ってる。
じゃあそれを分けるのは何かというと、
挫折を乗り越えられるかどうかだと思う。
「プロになるやつは必ず挫折を乗り越えている。
18歳まで挫折してないやつは19歳で必ず挫折する」
昔ベルマーレの監督だった曺貴裁さんが当時中学生だった僕らにこう話してくれた覚えがある。
(かなり昔の出来事のためニュアンスや意図がもしかしたら違う可能性があります。ご理解ください。)
ツグも例外じゃない。
ベルマーレのホームページにある
「ONLY ONE STORY」で、ツグはこう話している。
一緒にプレーしてきたけど、
これは間違いなく事実だ。
もっというと、本人はこんな短い文章で済ませているけど、多分僕らの想像の何倍も辛く苦しかった期間を過ごしていたと思ってる。
スポーツ経験がある人はわかると思うけど、
中学年代はフィジカル的な要素が強くて、
成長期が遅い人はどうしてもフィジカルで負けてしまう。
書いてある通り、ツグは成長期が遅かった。
ちょうどミライモンスターに出てた中2くらいの時、
相変わらずツグはめちゃくちゃ上手かったけど、
フィジカルで潰されまくってた。
活躍出来てなかった。
これを読んでいる人は、ツグの事を
「U-15日本代表から今まで代表に選ばれ続けているサッカーエリート」と思う人が多いと思うけど、
実は中2の時のナショナルトレセンU-14関東に、
ツグは落ちている。
僕の記憶が正しければ、セレクションを受けた
ベルマーレU-15平塚の選手(石井久継、小杉啓太、秋山虎之亮、高橋龍ノ介)の中で、
唯一ツグだけが合格出来なかった。
繰り返しになるけど、これは彼の実力がどうこうというより、どうしようもないフィジカル面での問題だったから、本当に仕方のない事だったと思う。
それでも、多分当時は僕が測り知れないほど
悔しい気持ちを抱えていたと思う。
そんな中で取材が来たりして、
知名度が先行してしまっていた時期があった。
(念のため書いておきますが、これは当時取材した人達を批判している意図は全くないのでご理解ください。)
「あれ石井久継じゃん」
「石井久継って大した事なくね」
そんな言葉が僕の耳にも入ってくるようになって、
僕も辛くなった。
それでも、彼は逃げなかった。
絶対辛かったと思うし、
苦しかったと思うし、
他の人だったらサッカー辞めたくなるレベルの挫折だと思うけど、それでもツグはもがいて、前に進み続けていた。
そこからの活躍は皆さん知っての通り。
ツグはフィジカルがついてあたり負けしなくなった。
それどころか高校年代なら蹴ったボールをほとんど収めてくれる、技術だけじゃなくフィジカル面でも頼りになる選手になってた。
それだけじゃなくて、
そうやってもがいて、悩んだ過去があるから、
ツグは人の気持ちにも寄り添える。
自分だけナショナルトレセンに選ばれなかった時も
ツグは僕に応援メッセージをくれたし、
僕が後述する怪我をした時も、
その怪我で手術する事になった時も、
僕がメンタルを病んで、
チーム活動に参加できなくなった時も
常に僕のことを気にかけてくれた。
だから僕はツグの事を心から応援するし、
間違いなく日本代表に相応しい人だと思う。
確かにツグはサッカーの才能があるし、
天才である事は間違いない。
けどそれ以上にツグは大きな挫折を、
自分の力で乗り越えて覚醒した、
「天才でい続けられた選手」だと思う。
天才でい続けられたツグと、
消えていった僕。
最後は、僕の話をして終わろうと思う。
自意識過剰かと笑われるかもしれないけど、
僕も最初は『天才』側だった。
JFC FUTUROで試合を重ねる内にどんどん成長して、
小4の時に小学生年代のベルマーレアカデミーの1番上のクラスである強化特待クラスにスカウトされた。
FFP、ナショナルトレセンU-12、関東大会の神奈川代表etc...
小学生の高学年で開かれた選抜には大体選ばれた。
強化特待生の中で1番早く(確か小5の冬)
ベルマーレU-15平塚へ進路が決まった。
でも、中学生になって、上の学年の練習に入ったら、
全く通用しなくなった。
一つ上の学年のGKには絶対的な人がいた。
背は高くないけど、めちゃ上手かった。
全員がその先輩を信頼していた。
僕は信頼されてなかった。
どんどん自信をなくした。
それなのに、何故か選抜には選ばれた。
こんな言い方が正しいかわからないけど、
ツグが落ちたナショナルトレセンU-14関東にも、
僕は選ばれてしまった。
何故試合に出てすらいない自分が選抜に選ばれるのかわかんなくなって、もっと自分に疑問を持つようになって、負のスパイラルに陥った。
ちょうどツグと同じくらいの時期に、
僕も壁にぶち当たっていた。
でも、ツグとは違って僕は腐った。
こんな現実を人のせい、チームのせいにして、
もがこうとすらしなかった。
今だから言える話だけど、
ベルマーレU-18に昇格する事を、断ろうとした。
信頼されているあの先輩がいたから。
「ベルマーレでは活躍出来ず、自信をなくしたけど、
ベルマーレ以外でなら活躍できるんじゃないか。
自信を取り戻せるんじゃないか。」
だなんて甘すぎる期待を抱いていたから。
もちろん、コーチや監督に止められた。
結局断る勇気も、
ベルマーレでもがく勇気も出せないまま
U-18に昇格した。
高2になる代の時、
また一つ上の学年でサッカーをすることになった。
相変わらず自信がないままプレーしていたら、
相手チームから危険なスライディングを食らった。
息が出来ないくらい痛かった。
右膝内側側副靱帯断裂。後十字靭帯、半月板損傷。
復帰まで最低半年かかる。
そのシーズンをほぼリハビリに費やして棒に振った。
それなのに、怪我によって湧き出た感情が、
サッカーを出来ない悔しさとかじゃなくて、
「もう、一つ上の学年の人達と
サッカーをしなくていいんだ」
「絶対的なあの先輩とサッカーしなくていいんだ」
という解放感と安堵感だった。
...
その頃には、
いろんな選抜に選ばれていた
あの頃の自分はもういなくて、
僕はとっくに無名の選手になってた。
僕もツグと同様に、中学時代に挫折をした。
でも、その挫折を乗り越えられなかった。
いや、乗り越えようとすらしなかった。
それが今でも脳裏にあって、
サッカーに対して100%の自信を持てずにいる。
そんな自分を変えたくて、筑波に来た。
実際、少しずつだけど変われてると思う。
ありがたい事に、「龍は向上心がある」だとか、
「練習の鬼」だとか言われるようになった。
あの頃腐ってた自分からは考えられない変化で、
こんなに頑張るようになった自分自身に驚いていたりする。
だけど、このままじゃダメなんだ。
U-20代表に入った石井久継を見て、
スウェーデンで活躍する小杉啓太を見て、
一年生なのに早稲田でキャプテンになっている
秋山虎之亮を見て、
「置いてかれちゃったな」なんて思いたくなくて、
そんな同期である彼らと同じ舞台で肩を並べたくて、
その為には、量も質も今の頑張りじゃ足りない。
今よりもっと上手くなりたい。
去年新人戦の振り返りで話したけど、
自分1人で戦況を変えられるような、
筑波で絶対的な選手になりたい。
なにより、あの頃の挫折を乗り越えたい。
もうあの頃みたいに、
自分の気持ちに嘘をつきたくなくて、
目を背けたくない。
それは結構面倒だったり、辛い事だったりするけど、
きっとそれをやり続ける事で、
あの頃の挫折を乗り越えられると信じてるし、
その先で彼らと肩を並べられる未来が来ると思う。