小説 男岩鬼になりたくて7

5年連続夏の甲子園出場はこのとき途切れた。3年生の先輩たちは泣きじゃくっていた。高校野球でよく見る光景だ。負けたチームの選手がグラウンドにうずくまり、顔が汗と土と涙でグチャグチャになる。人目も憚らず感情を思い切り出せるのは、人生でも数えるくらいだろう。この瞬間は感情を爆発しても許され、そして精一杯戦った者の涙は美談として語られる。お涙頂戴に弱い日本人の最も好む光景なんだろうけど、これが美しい場面? あれがか!?
 ベンチ前で大袈裟に泣く先輩たちを見ていたら、ああはなりたくないと即座に思った。虫酸が走る。勝負に勝ちよりも負けのほうが美しいなんてありえねえ。甲子園優勝校は覚えられているが、甲子園準優勝校はすぐに忘れ去られる。勝つことでしか人の記憶には残らない。
 まあ、3年生は最後の夏であり、これで高校野球が終わってしまうのだからピーピー泣くのも当然だけど、俺はこれで終わりじゃない。ここから始まるのだから。むしろ胸を張っていたかったが、3年生の手前、帽子を目深にかぶり俯いていた。
 沖縄は離島の高校の配慮もあって夏の県大会が6月中旬から始まるため、他県のように夏休みに入ってから大会が佳境になることはない。夏休み前には決勝が行われ、日本一早く甲子園出場チームが決まる。だから準決勝で敗退した翌日は普通に登校だった。
 しかし、準決勝で負けた野球部は普通の登校どころではなかった。
「おい、よく学校来られたな」
「打たれたエースはどこいった? 説明しろや」
「甲子園に行けねえ野球部なんて存在価値ねえだろうが!」
「バカで野球しか能がねえおまえらが甲子園行けねえんだったら、学校にいる意味ねえんだから辞めちまえよ」
 登校するやいなや校舎の窓から罵声を浴びられる。一般生徒たちが野球部員、特に3年生たちへの集中砲火が凄くて、生卵やトマトなどを投げつける奴もいた。暴動寸前だ。
 阪神が甲子園球場で連敗し続けていると、ファンから執拗な野次が飛ぶというのは知っていたが、まさか高校でも同じことがあるとは思わなかった。敗軍の将は何も語らずではないが、負けた者に言い訳はない。罵声に耐えながら各自教室へと入っていった。だた“バカで野球しか能がねえおまえら”という野次には腹が立った。バカはおまえらも一緒だろと言い返したかったが、ここはグッと堪えた。
 しかし、本当の衝撃を受けたのは、前日だった。
 負けた時点で3年生は引退し、2年生が新チームの主力となる。誰もが分かりきっていることだ。
「もう、泣くな。負けてしまったものは仕方がない。ただなぜ負けたのかをよく考えろ。自分たちに何が足りなかったのか、どうして相手のほうが上回ったのか。負けましたけど、一生懸命やりました、頑張りました、じゃない。この後が大事なんだ。人生の中で絶対に負けてはならないときがくる。そのときにどう乗り越えられるかで人生が決まることがある。だから、今日の日を忘れるな」
 試合後、ムツは静かに語り、3年生一人ひとりと握手をして最後のミーティングを終えた。
 寮に戻ると、3年生たちは部屋に戻って各自せわしなく動いていた。まだ完全燃焼し切れていない部分を埋めるかのように道具を手入れしたり、けじめのためか自分の身の周りの物を片付けたり、気の良い仲間と散歩したりと、3年間戦いを終えた選手たちのエピローグがそれぞれ綴られていた。
 こんなに落ち着いた曙寮は今まで見たことがない。
 いつもは喧噪というか雑多というか、殺気立つ監獄なのに、“平穏”という似つかわしい言葉がピッタリはまるほどの静けさだった。
 そして午前0時が回った。
 消灯時間は過ぎていたが、2年生は明日からの新チーム始動のためミーティングルームに集まってなにやら密談めいたことをしている。3年生は3年生で誰かの部屋に集まってベチャクチャ話をしている声が聞こえる。
「おい、1年、15分後にミーティングルームに来い」
 2年生から呼び出しがかかる。
 なんだ、こんな夜中から集合か、と思いながら廊下に出ると、2年生と3年生がすれ違いざまが視界に入った。
「うす!」
 2年生が横柄な返事をしたただけ。
 普通なら、3年生に対しきちんと最敬礼のごとく頭を下げ、はっきりした声で「ちわっす」なのに、呟くような声で「うす」だけ!? 3年生も少しバツが悪そうな顔をしながら目線を外して通り過ぎていった。

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