男岩鬼になりたくて2

「ヒューヒュー、ヒューヒュー!」
 突然、耳をつんざく高音域の音が響く。
「パンッ! パンッ!」
 え、銃声? 沖縄には米軍があるから発泡があっても不思議じゃねえ。
「痛っ!」
 身体に何か当たった。何、なんだ、何が始まった!? 
「よっしゃー、倒したぞ!」
「てめえら、なに逃げてんだ」
「このバカ猿ども、死ね!」
 罵声が否応無しに浴びせられる。それも、左右からロケット花火で俺たちを狙い撃ちしながらだ。
 先輩の命令で、俺たち1年生21名が寮の敷地内にある細い通路を縦一列に「おおおー前へすすめ!おいっちにおいっちに」とぎこちない軍隊調の掛け声での行進中に無数のロケット花火で攻撃を受ける。夏祭りにある夜店の射撃のように俺たちが動く的となって先輩たちから攻撃されるサバイバルゲーム。それも、決して俺たちから攻撃はできない理不尽なゲーム。
 入学時から180センチ以上あった俺は、的が大きいため思い切り狙われた。急いで両腕で顔をブロックするが、ガラ空きの身体に当たりまくりだ。熱いやら痛いやら悲しいならでワケがわからないし、ワケがわかったところでどうにもならない。
 普通は、危険だからやらないといった道徳的観念があるけど、奴らにはそんなものはない。あるのは面白いか面白くないか。頭の中は享楽的な思考しかない。
 甲子園常連校である沖縄実業の野球部寮『曙寮』は、遠方の者と指定者のみ入寮が認められており、
新築したばかりの鉄筋コンクリートの3階建て。寮生活は毎日フェスティバル&カーニバル状態だ。音楽フェスやリオのカーニバルのような陽気に歌って踊ってキメるファンキーなものとは違う。OBによれば寮内をサファリパークと謳うらしいが、そんな生易しいものじゃない。1年生が生け贄となるジェラシックパークだ。
 上級生はワクワクでドキドキが止まらない毎日だろうけど、1年生にとっては殴られて蹴られまくりでどうにも血が止まらない毎日。とにかく、寮は難攻不落の監獄にしか思えなかった
 高校野球を題材にした漫画や小説、ノンフィクションは腐るほどあるけれど、どれもこれも汗と涙と友情、おまけに南ちゃんが出て来るような青春タッチの綺麗ごとしか書かれていない。虚構はいつでも美しく描かれるものだ。
 沖縄実野球部に入ってから“青春”なんて淡い言葉が頭に浮かんだことがない。いつも頭に浮かぶのは、“脱出”、いや“脱獄“の二文字だ。
 昔から沖実野球部は、1年奴隷、2年平民、3年神様といった、よくありがちなカースト制度が敷かれている。ここはインドじゃなく、沖縄。戦後から40年以上経ち、奴隷もなにもあったもんじゃない。こんな時代錯誤のような序列があるのも高校野球あるあるだ。鳴りもの入りで入ろうが、どヘタくそで入ろうが関係ない。1年生は1年生。最下層だ。かつてブルース・リ−が“考えるんじゃない、感じろ!”と言っていたけど、1年のときは考えるのも感じることも許されなかった。ただ一日一日を無事に過ごせられるかだけを祈って生きてきた。

 沖縄には、春という言葉はない。
 それに代わるのは、“うりずん”と呼ばれる季節であり、「潤い初め」が語源らしく、梅雨に入る前の4月が最も爽やかで気持ちがいい。夏と違って、優しい陽の光で若葉が一斉に芽吹き、心地良い空気に包まれる4月1日、沖縄実業野球部恒例の新入部員の挨拶がグラウンド内で行われた。予定の時間よりも30分前に着くと、「よ! おまえが大江か!? これから頼むな」。いきなり黒人風な奴に話しかけられた。身長は175センチ弱の筋骨隆々で見るからにバネの塊といった感じだけどチリチリ頭のほうがやけに目立った。同じ1年生の名護慶太と挨拶されたけど、別に頼まれる筋合いはないと思った瞬間、「久しぶりだな。覚えてるか! 俺は、具志堅和彦。ポニーの決勝以来だな」。ニヤニヤした巨漢が馴れ馴れしく話しかけてきたけど、まったく覚えてなかった。
 俺たちの学年は、大江世代とも呼ばれていた。この世代は監督のムツが沖縄全島から選りすぐりの選手たちに声をかけ、オール沖縄と言われるほどの逸材たちが集結した。もちろん、その中心は、俺。中3の時で身長185センチ、体重83キロの堂々とした体躯で、MAX144キロを計測。俺が沖縄実業に入学することは当然上級生たちの耳にも入っていたはずだ。
 入部初日、初夏のような陽気を含む旋風がグラウンドの土埃を舞い上げている。うりずんは一年で一番過ごしやすいと言われているが、1年生として一番過ごしやすかったのはこの入部初日の1日だけだった。
 真っ白なユニフォームを着た1年生21人が一塁ライン上手前のファウルゾーンに一列に並ばされ、順々に挨拶する。
「具志川北中から来た大江蒼です。ピッチャーをやっていました」
 最初が肝心と、できるだけ大きな声で張り上げた。
 隣りの奴なんかは、緊張と不安でガチガチになっている。おい、おい、天下の沖縄実業に選ばれて入ったきたんだろうが! 大丈夫かよ。俺は、自分の能力に絶対的な自信を持っていただけに怯まなかった。いや、怯むはずがない。やっと本当の自分を出せる喜びでワクワクしっぱなしだった。
 挨拶する前からから気付いてはいた。射るような目が向けられていることくらいバカでも分かる。上級生たちが一斉に睨みつけ、憎悪の炎がメラメラとたぎっている。クソ生意気と映ってしまえば、高校野球の上下関係において当然目の敵にされる。別に平気だった。突出した実力さえ見せれば、誰も手出しはできないと思っていたからだ。
 監督は、甲子園6度出場、最高戦績ベスト4、沖縄で黄金期を築き“沖縄のラストエンペラー”として君臨している秦政典。当たり前だがムツゴロウさんとは違う。ムツゴロウさんは畑正憲で、こっちは秦政典だ。字が違えど、名前が同じということであだ名はムツゴロウ、略して“ムツ”だ。公では監督とは呼ばず、秦先生と呼んでいる。
 このムツはとてつもないシゴキが有名で、練習のシゴキというより鉄拳制裁だ。平手もあれば拳で殴るし、掌底打ちもある。
 中学の先輩からは「ヘタに沖実に行くと潰されるぞ。上下関係は厳しいし、秦先生はグーパンチで殴るは、蹴りもあるってよ。パンチも蹴りもいろんな種類があって、変わった型で制裁をするときはあだ名のムツを文字って“ムツ圓明流◯◯”って言うらしいってよ」
 嘘か真かわからないが、沖縄全土では身の毛もよだつほど恐れられている指導者だった。
 ムツは、本家ムツゴロウと違って三頭身しかないようなズングリムックリで、まるでSDガンダムのようだ。
「おまえたちは、今日から立派な高校球児だ。沖縄実業に入ったからにはひとつしかない。甲子園に行くこと。それ以上もそれ以下もない。24時間ただ野球のことだけを考えてなさい」
 監督のムツが訓示を垂れる。内容は置いといて、ただ“甲子園”という響きにテンションが少しだけ上がった。
 高校野球という新しい舞台に踏み入れ、他の高校生と同じように希望に満ち溢れていた。中学の野球部は軟式しかなく、硬式をやるにはクラブチームに入るしかなく、そこでいろいろな大会に出場していた。でも、高校野球ともなればみんなが一様に目指す場所はただひとつ、“甲子園”。プロを目指す奴もそうでない奴も目標は同じ。野球人生において最初で最後の同じ土俵だ。同じチャンスで戦える分、優劣の差が歴然とし、適当な言い訳が許されず、極限に追い込まれてやる環境こそが、高校野球なのだ。
 しかしそんな希望もすぐに木っ端みじんに跡形もなく消え去った。
 初日の練習はアップ、ランニング、球拾いで終わった。まだお客さん扱いだけに気楽だ。後片付けをしている最中に1年生が集められた。
「よし、今夜集合な!」
 教育係でもある2年生の金城順雄が巻き舌気味に言う。両手を後ろポケットに入れたまま、任侠映画でも観てきたかのようなわざとらしいドスの効いた声。背が低くて蛭子能収に似ているだけに虚勢を張れば張るほど、不格好に見える。こいつに関しては、Mr.Junkoというブランドネームから英字が似ているということで“Mr.Kinjo”とアダ名が付けられた。まあ、雑魚キャラだ。
“集合”とは、先輩が後輩に礼儀といった躾を教育する隠語だが、実際は先輩たちのうさばらしの公開処刑だ。これを避けるため先輩を怒らせないように毎日神経を尖らせる。こんなことに神経を遣うくらいならもっと野球に集中したいが、それもままならん。ほとほとくだらない。でも、これも高校野球だと割り切るしかない。
 練習時間は、15時30分から完全日没の19時30分前後。その後は、寮で食事をし、各々自主練に入る。そして、22時から消灯の23時まで自由時間に入るだが、この時間帯に大抵“集合”がかかる。食堂の脇の大広間でやる場合もあれば、寮の前の駐車場スペースでやる場合もある。
 大部屋は20畳ほどあり、ここで夜間、素振りやシャドウピッチングをやったりする。普段は、ミーティングルームとして使っているが、大抵はミーティングという名の“集合”だ。
 練習初日、大広間に集められた1年生全員の前で、2年生のミスター金城とその他3人がニタニタと胡座をかいている。正座しろと言われ、ゆっくり脚を折って座ると「てめえら、ぶっ殺すぞ!」。
 いきなり叫び出し、刃渡りが20センチもあるようなコマンドーナイフを腐りかけた畳にブッ刺す。
 一体、何が起こったか分からず、ただただ沈黙するしかなかった。おそらく恫喝したかったんだと思うが、目的語もなく“ぶっ殺す”とだけ言われても……って感じで別に恐怖も感じず、むしろミスター金城の目がイっちゃってるのが滑稽だった。
「おまえら、いずれ気付くから先に言っておくが、秦先生の頭はズラだ。だから今から稽古をする」
 ムツの頭がズラっていうのは初めて知った。だからって、今から何の練習をするんだ?
「今からひとりづつ前に出てこい。まず大江から」
 一番初めに呼ばれ、立ったまま先輩と向かい合わされた。しばらくすると先輩の頭上にエロ本が置かれた。
「バシッ!」
 いきなりぶん殴られる。何が何だか分からなかった。
「今、エロ本を見ただろ」
「はい」
「目線で分かるんだよ」
 何のことだか分からない。
「おまえら、秦先生と会ったら絶対に頭を見るなよ。ズラを被っている人は相手の目線を必要以上に感じ取るからな」
「頭を見ると、どうなるんですか?」
 また張り手を食らった。
「一丁前に質問なんかしてんじゃねーよ。聞かれたことだけに答えればいいんだよ。いいか、秦先生は頭を見られると、その日は一日中機嫌が悪く、いろいろ影響してくる。いいか、だから今から練習が必要つーわけだ」
 それから1時間ほど目線を頭に行かない練習をさせられ、少しでも目線が動いた者は容赦なく殴られていった。あまりにバカバカしくて、殴られている自分が惨めな気持ちにさせられた。これがほんの序章とはこのときまだ誰も気付いていなかった。


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