男岩鬼になりたくて4

「おおーーおえー、おおーおえー」
 いつからだ、この決まりきった掛け声で練習するようになったのは! 酔っぱらいのサラリーマンが道端で指を突っ込んでいるような掛け声はいい加減どうにかしてほしい。  
 入学したての一年坊主は、外野グラウンドの隅で球の拾いが定位置。両膝に手を置きながら「おおーーおえー、バッチこいよ!」。
 絶え間なく大声で吠え続けるだけ。端から見るとなにかの罰ゲームのように見えるかもしれないな。
 特待生で入った18名と一般入試で入った3名の計21人が、1年生の総人数。名門沖縄実業は、名将秦先生の名のおかげで沖縄全島から選りすぐりの精鋭たちが集まっている。一説には、特待生で入った者は3年生になって怪我さえなければ無条件でベンチ入りできるという話らしいが、そんなものは眉唾ものだ。そんな噂を信じて野球をやるバカは、この沖縄実業にはいない。
「なあなあ、蒼。特待生で入った者は3年になったらベンチに入れるって聞いたけど、本当かな。親とかへの口説き文句に『3年生になったらベンチ入りさせますので』って言うらしいってな。ムツならあり得るかもな」
 隣りにいた名護慶太が白い歯を剥き出して話してきた。信じているバカがここにいた。
「ヒューーーー」
 突然、風を切り裂く音が頬をかすめた。
「おい、てめえら、何話してんだぁ!」
 外野を守っている先輩の恫喝する声が飛んで来た。
「すいません、おおおーおえーー」
 何事もなかったように膝に手を突いて掛け声を出す。
「おい、俺たち目がけてボール投げてきたぞ。それも全力でよ……。蒼、おまえ、へたしたら顔に当たってたばぁ」
 慶太はグラウンドを見ながら呟くように話す。言われなくても頬をかすめた感触がボールであることはすぐに分かった。それも軽く投げた球じゃなく、思い切り投げた球をということも。威嚇するにしても手加減して投げるのが普通なのに、そんな慮る気持ちはさらさらないらしい。万が一、顔に当たって大怪我しても練習中の事故として処理されるのだろう。
 沖縄にはたくさんの基地があり、その中は治外法権で守られているというが、沖縄実業のグラウンドもある意味同じだ。沖縄だからなのか、それともこれが高校野球なのか。そんなことを考えるのも面倒だと思い、不慮の事故扱いで殺されないように自分の身は自分で守るしかないとあらためて決意する。
 夜になると、ほぼ毎日集合がかかる。
「よし、おめーら今からキラキラやれ!」
 ミスター金城が得意顔で言う。鬼軍曹のつもりなんだろうがどうにもこうにもショボい。先輩といっても全員にヘイコラするわけじゃない。見た瞬間に、あの人は怒らせたらヤバい、こいつは大丈夫だなと判別する。そのへんの嗅覚がないと野球なんかやってられない。
“キラキラ”とは、足を開いて中腰に立ち、両手を顔の横くらいまで上げて『キラキラ星』を歌いながら掌を表裏返すこと。沖縄実業の伝統らしいが、このキラキラが結構きつい。
「♪お〜ほしさ〜ま〜ひぃ〜か〜る〜」
 力のない野太い声で合唱する。なにが、お〜ほしさ〜ま〜、だよ。こっちは、膝を曲げて中腰にしているから内股の筋肉がプルプルするし、手を上げているから上腕二等筋もピクピクしている。
「おい、光ってねえぞ! もっと光らせろや」
 周囲にいる2年生たちが野次を飛ばす。
 あたりめーだよ、光るわけねえーじゃん、と思いながら、「♪お〜ほしさ〜ま〜ひ〜か〜る〜夜空の〜ほ〜し〜よ〜」と声を張り上げる。
「おら、光ってねえーって言ってるんだよ!」
 いきなり、誰かが殴り倒される。光っていないとどんどん張り倒されていく。一生、光るはずがないのに俺たちはやらされる。頭にウジがわきそうだ。
 また“ぶら下がり”というのがあって、階段の平行になっている手すりにぶら下がり、その下には大量の画鋲がまかれている。
「苦しかったらいつでも手を離していいんだぞ」
 先輩は優しく言うが、手を離せられるわけがない。3分くらいで苦しくなり、その悶える顔を見てみんなで笑っているのだ。この“ぶら下がり”はみんなの見せしめ的にやるもので、使命された奴がヤラれている間、全員で黙って見ていなくてはならない。先輩たちの甲高い笑い声が悪魔の笑い声にしか聞こえず、「おかしいだろ、おめえらも笑え!」と強要される。自分がヤラれるよりある意味、辛い。
 あと、“ティッシュ競争”というのもあり、4人が一列になって1,5メートルほどの細長く丸められたティッシュの綱を鼻の中に入れ、一斉に火をつけられ誰が最後まで誰が我慢できるかの競争だ。
「よーし、全員入れたか! じゃあ、動くなよ」
 複数の先輩たちがライターを片手に持って立ち上がり、片方の鼻の穴にティッシュを入れながら正座をしている俺たちの前に躍り出て、一斉に火をつける。始めの頃は、火を付けられた瞬間全員がティッシュを抜き、
「バカヤロー! 早えんだよ!」
 見回りのように立っている先輩たちからブン殴られていた。テッシュだけに火の回りは速く、すぐ抜こうがギリギリまで我慢して抜こうがどっちみち殴られる。だったらヤケドしないほうをとったほうが身のためだ。教科書を見て考え思いつくことはないのに、こういったくだらない拷問じみたことよく考え思いつく。
 さらに先輩の中には変態がいて、いつも全裸で過ごす奴なんかはまだマシ。どこでも所構わずひとりで慰めている奴がひとりいて、マジイカ臭い。一度そいつから「おい、舐めれ!」と言われ、「それだけは勘弁してください」と懇願したが、「ダメ。舐めれ!」と執拗に言うもんだから、噛み切ってやろうと股間に頭を埋めると、「はい、冗談」と寸前でストップされた。マジで噛み切って、男版の阿部定になってやろうと思った。
 寮生活で最初に驚かされたのは、女人禁制のはずなのに女子が突然廊下で見かけたことだ。それも全身泥だらけで、最初は野球部の誰かにレイプされた女が入ってきたかと思った。結局、先輩の彼女と分かり、安心したものだ。寮の周りには警報機が設置してあり、消灯の夜中11時から作動する。夜中厳重なセンサーをかいくぐるには匍匐前進するしかなく、侵入時は当然泥だらけになる。いきなり顔から足先まで真っ黒けで髪も乱れ放題の女子を見たら、レイプされた女と思うのは当然だろう。まあ、それからが面倒。風呂やトイレに行かせるときは、「誰か来ないように見張っていろ!」と先輩に言われ、俺たち1年生が見張り番となる。一晩で帰る子もいれば、遠方から来たからといって3日ほどいる子など、様々。長く滞在する女については、当然部屋に軟禁状態。昼間、俺たちも学校があるからトイレもコンビニ袋で用を足したりし、後で俺たちがそれを処理しなくちゃならない。その処理を好む変態野郎もいるからウインウインなんだけど。
「なあ、蒼。やっぱ甲子園常連校ともなると、女からのモテ方がハンパじゃねえみたいだぞ。落とすコツを教わったんだけど、夜誰もいないグラウンドに呼び寄せると、女の子が感動するんだってよ。
ダイヤモンドを一周しながら、『へえ〜ここが毎日練習してるグラウンドなんだぁ』『そう、ここから甲子園まで繋がっているんだ』なんか夢を語っていると、もうグチョグチョになって三塁側のベンチ奥にある物小屋まで一直線だとよ。やっぱ凄えな」
 純粋に感動している慶太のほうがよっぽど凄えよ。辛いこともあれば旨味もあるのが高校野球ってか。まあ、人それぞれだ。
 入学したての5月までは1年生の練習と言えば、基礎体力作りが相場。全体練習では球拾いだけで個人練習では、ランニングがメイン。バットやボールを使った練習はさせてもらえず、キャッチボールさえもできない。俺はピッチャーだから授業中にボールをずっと握りながらボールの感覚を忘れないようにしていた。
 そして5月のゴールデンウィークを過ぎた最初の練習日のことだった。
 相も変わらず球拾いで声を出していると、
「おい、大江!」
 声がするほうに目を向けると、コーチの儀間が大きなジェスチャーで手招きしている。
「はい!」
 待ってましたとばかり、駆け足で行った。半径1メートル以内でしか動けない球拾いにどんな未来があるのか。人はこれも鍛錬というが、どんだけ球拾いが上手くても未来はない。
「大江、ちょっと打ってみろ!」
 全速力で駆け寄り、帽子を取って直立不動の俺に向かってコーチの儀間が言う。
「はい!」
 入部して以来、初めての力のこもった返事をした。 
 バットを持って2、3回素振りをすると、グラウンド内の空気が一辺した。みんなの視線が一心に集まる。入部挨拶のときとは違った視線。シートバッティングで守っている野手、そして投手からメラメラと殺気立ったものを感じる。「所詮、1年坊主だろ」といった上から見おろす態度ではなく、「なんで、おまえなんだよ!」と敵愾心丸出しの視線を俺に浴びせる。
 試しに打たせてみようといった軽いものではない。この夏の戦力になるかどうかを見極めるテストだ。この機会をものにしないと夏の出番はないと直感した。
 一度きりのチャンス。満を持してバッターボックスに入った。
 狙い球はひとつ、初球。1年の俺に変化球など投げるわけがない。
「カキーン!」
 鋭い金属音を残した打球は目に止まらぬ速さで三遊間を真っ二つに破った。
 ムツを見ると、「ほお〜」といった顔で少し驚いた様子。このときムツは儀間になにやら耳打ち
したのを見逃さなかった。次の日、俺はメンバー入りした。
 しかし、この日を境に俺は沖縄実業一の標的になった……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?