やること多すぎてビビった
はじめて自分のアプリ(Web)をごちゃごちゃ作っているのだが、やることがとても多くてビビった。特に難しい機能を必要としないのに、やることは腐るほどある。別にこれを作り始める以前と作り始めた後で、持っている知識はたいして変わっていないのだが、自分がネットサーフィンする時に明らかに他のWebサイトを見る目が変わってしまった。どこのサイトを見ても、自分のアプリに転用できるところがないか、じっくり観察してしまっている。
作るということは、かなりのエネルギーを要するので、じわじわとやっていく次第である。もう完全に3日坊主の境界線は超えて、作り始めてから2ヶ月程度は経過しそうなので、なかなか楽しい。これも、もしこのアプリが自分の中で初めて作るものであったら、こうもすんなりとは行かないだろうなとは思う。(もちろん、すんなりいってるわけではないのだが)
少なくとも、このような機能が実現したい!と思った時に、でもどうやればいいのかが技術的にわからない!というような状況には今のところ陥っていないので、これが自分なりに凄いなと思ったのであった。これは確実に1年半のバイト生活で積み上げた技術である。
継続のポイントは、いろいろあろうが、やはり一番はアプリなんぞどうでもいいということではないだろうか。今作っているものは、別にそれがWebアプリだからとか、技術的にXXだから楽しいとかそういう類ではなくて、単にこういうサービスが世の中に当たり前にあれば少々楽しいのではないかと思って作っているのである。モチベーションがそもそもそのサービスにあって、アプリ制作自体にはないことが、継続の要因になっている。単に、これがよく使われる様子が見てみたいから。
そういう意味で、究極的には似たようなシステムを他の誰かが作って普及させてくれるならば自分はまあまあそれで満足である。自分が作っているものが絶対に浸透しなければいけないとはあまり思っていない。もちろん、自分のものが浸透すればより面白いからそちらの方が嬉しいというのはあろうけど。
それに、もし他人が似たようなものを作り始めたら、アイデアを共有して一緒に作ることができそうだしね。自分も似たようなこと考えていたよつって。というかまじでそれが一番いい。
詳細に囚われない
なにより難しいのは、自分自身が作り手に回ってしまうと、思考が作り手目線のとても詳細なものになってしまう。使う側からすれば、作り手目線の細かい話っていうのは99%どうでもよくて、使い勝手がよければよい。使うインセンティブが高ければそれでよいという話なので、そこの切り替えが難しい。
現状は、メモかなんかにアイデアを書き溜める期間と、実際に制作する期間を別々に分けて、開発者の期間と経営者の期間みたいなのを自分の中に作り出すようにしてみている。現在の年末年始は、時間がたっぷりとれるのでもっぱら開発者モードになっている。
開発自体も面白みはあるのだが、先に言ったように自分のモチベーションはそこにはあまりない。作った成果物の方にしかあまり興味がないのである。なので、さっさと作り上げたいという気持ちが強いのだが、ここのタイトルにもある通り、しょうもない機能をつけるだけでそれなりの苦労を強いられる。
単なるWebページでもこんなんなのだから、世の中で物理的な工学製品を作っている人々は本当に尊敬する。今この手元にあるMacbookもそうだが、どうやってこんなものを作るというのか。尊敬しかない。Tesla、SpaceX、彼らはえげつない。ただ、もし自分にもそういう芸当が出来そうな環境が近づいてきたら、似たようなことはやりたいなと思っている。
現在の自分にはせっかくバイトをして手に入れた「アプリを作る能力」と、「世の中を斜めに見て調子に乗る能力」、それに在学中という「時間」があるので、ちびちびやっていこうと思っている。
あくまでこれは自分の中ではサイドプロジェクトなので、普通に研究室は楽しむ予定だし、普通に授業を受けて就活なり勉強もするけれど、なんとなくあらたしい遊びができたようで嬉しい。
やりたいことリスト
実は、自分の中のやりたいことリストの中に、自分のアプリを作ってみるっていうのは長い間鎮座していたのだが、2020年後半にしてそれが達成できた。他は割とすぐに着手できるもの(例えば語学を身につけるとかピアノやるとか、なのでやっていたのだが、アプリに関してはアイデアがないとにっちもさっちもいかないので困っていたのであった。他にやりたいことには、作曲とか絵を描くスキルを養うとか小説を書くとかがあるが、これらもなかなか骨太の遊びなのでじんわりとやっていきたい。
しかしよく考えたら小説はもう今から構成をじわじわ練ることはできるっちゃできるな。宇宙の中から宇宙を作る生命体の話を壮大に描けば、未来の子供をワクワクさせることができるんじゃないかというアイデアがこの前ふと寝る前に浮かんだ。小説というのはどのようにして書きはじめているのだろう。自分の予想だと、設定や構成を書くまでにめちゃめちゃ練り上げて、あとはひたすら書くのだと思う。もしやるにしても、いきなり長編などと調子をこかずに、ちびちび小さいのを書いていくのがいいだろうと思う。なんでもそうだからね。なんなら、こうやってnoteをちびちび書いているのも練習の一環だったりするのかもね。もしこういった媒体を始めていなかったとしたら、自分の文章を作成するスピードはさてどんなものになっていたかな、という。
作曲にしても、絵を描くのにしてもそうじゃないかな。準備を入念にして、時間をかけて作る。何かを作るというアクティビティは、どんなジャンルであっても非常に類似性が高い。どれもこれも、脳みそからアイデアを何らかの形で抽出して、指なりなんなりを使って外界の物質にその情報・記憶を刻むという営み。自分は、アプリを作る・文章を書く・論文を書くという形での「何かを作る」経験は少しだけしているので、その経験を転用して、他のやりたいことリストもやっていけたら楽しい人生だなと思う。
あなたを記憶します