自分のためにも、人のためにも、もっと優しくあっていいと思うんだ
Yuri Fujitaさんのnote「今日もあったかい気持ちで眠れますように。」を読んで、そのやさしさとあたたかさに、心の緊張が解れるような気がした。
自信を、プレゼントする
Yuriさんは、毎日ポジティブに過ごせている理由として、「giveの思考」が習慣化したからだと書いていた。
他者に対しても自分に対しても、「giveの思考」を持つことが、自分の幸せに繋がっているというのだ。
特に印象的だったのは、他者への「giveの思考」について。
いま目の前にいる、私に関わってくれている人に
自信をプレゼントすることだ。
自信というのは、多くは人との繋がりの中で育まれるものだと思う。
誰かに認められたり、褒められたり、感謝されたり。
そういう経験を通して「自信の土台」が作られ、そこからは挑戦と失敗と成功を繰り返して自信が築かれてゆく。
自信を高めていくのは本人の努力に寄るところが大きいが、
自信の土台は、他者からプレゼントされるものなのかもしれない。
でも、「自信の土台にヒビが入っちゃってるんです」なんて言えないから、みんな隠そうとする。
わたしは元気です、わたしは大丈夫ですって。
みんな自信がない。自信満々な人はいない。
だから私は、自信を与えられる人になりたい。
少しでも自信が得られたら
自分にも周りにもやさしくなれる。
だからYuriさんのように「大丈夫だよ」と言える人は、とても貴重な存在なんだと思う。
自分で自分にgiveする、ということ
自信の土台は他者からの言葉で補強できるのかもしれないが、他者からの言葉だけに依存してはいささか心許ないというものだ。
他者にgiveする、他者からgiveされるのと同じくらい、「自分で自分にgiveをする」ということも、大切なのだと思う。
ちゃんと自分の生活を大切にしていると
私、自分のために生きている
とうれしくなる。
Yuriさんの場合は、「生活をする」ということ自体が、自分への癒しになるのだそうだ。
ちなみにわたしの場合は、やわらかいものに触れることが癒しになる。
愛犬とか、ぬいぐるみとか、新海誠監督の作品とか、ジブリとか、お布団とかね。
自分にとって、癒されるものは何か。自信を得られるものは何か。
自分で自分にgiveすることを許せると、もう少しやさしくなれるような気がする。
*
自分にも他者にも、もうちょっとやさしくていい。
頑張れない時や、トゲトゲしてしまう時、あると思う。
それも含めて、「いいんだよ」と言ってほしい。
そのトゲで誰かを傷つけてしまうかもしれないけれど、一番傷ついているのは、あなた自身なんだから。
今日くらいは、自分にやさしくしてあげてくださいよ。
少し余裕が出てきたら、手の届く範囲の人に、やさしくしてもらえたら嬉しいなぁ。
このnoteを読むあなたが、
あったかい気持ちで眠れますように。
*
takaren advent note 76日目
cotree advent noteの記事をめっちゃ読んでる人の感想記録。
今回のnote。
「あったかい気持ちで眠れますように」って、いい言葉ですよね。