風船のようにふわふわと生きたい。荷物はコンパクトに、気持ちはでっかく。
理想の生き方がある。
風船のようにふわふわと。浮かびながら、ゆらぎながら。
パチン!と割れてしまわぬように、萎んだり膨らんだりしながらのらりくらりと生きていきたい。
荷物をコンパクトにまとめて。
気持ちは大きく持ちながら。
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このnoteは、中村彬裕さんのnote「生きやすくなるために手放すことと、手放さないこと」の感想note。
生きるうえで背負う「荷物」について
この1年くらいかけて、少しずついろんなことを手放すようにしています。
自分1人の両手がちゃんと握れること、コントロールできることはそう多くないと思うからです。
生きていると、様々な荷物を抱える。
知恵。常識。偏見。愛情。責任。感情。期待。大切なもの。思い出。熱意。慢心。家族。友人。恋人。
翼となってくれるものがあれば、足かせとなるものもあるだろう。
荷物は放っておくとどんどんどんどん増えていく。
だから時には手放したり、一旦置いておいたりすることも必要だ。
中村さんの手放したいこと
中村さんの手放したいことは、以下の通りだ。
①自分の感情
②他人の感情
③他人への期待
④前提になっている、べき論
「べき論」や「期待」を手放したい、というのはすぐに納得できたし、共感したのだけれど、「自分/他人の感情を手放したい」というのは少し予想外だった。
わたしにとって「感情」は最も手放したくない、大切なものだったから。
でも、中村さんのnoteを読んで、その違和感はすぐに解消された。
自分の感情はぼくにとってとても大切なものですが、どうがんばってもコントロールできないことなので、手放したいと思っています。
自分の感情を否定せず、大事にしながら、同時に「ああ、ぼくは今こう思ってるんだなー」と、ちょっと俯瞰して見つめる自分も置いておくようにしています。
ああ、なるほど。
中村さんにとって「手放す」とは、「無くす」ではなく「コントロールをやめる」くらいの意味合いなのかもしれない。
実際、「他人の感情」のパートでも、以下のように述べている。
自分の行動を変えていくことはできるし、努力をしていくことも大切です。
でも、その結果として生まれる相手の感情は、自分にはどうしようもないもの。コントロールしようとするよりも、相手の感情をそのまま大切に受け止めることを、大事にしています。
手放す。委ねる。管理しない。強制しない。
「さようなら」するのではなく、空間は共にしながらも逐一目を光らせるのはやめる、くらいの距離感なのだろうか。
思えば、「期待」や「べき論」も、多くの人が減らしたいと感じながら、しかし多くの人が抱え込んでしまっているものだ。
他人への期待を手放すと、いろんなことを当たり前にせず感謝できるし、相手が達成した一つ一つのことに全力で喜べるし、相手の失敗に対しても寛容になれます。
ぼくは自分の言葉でも、他人の言葉でも、「べき」という言葉に全てに対して疑ってかかろうとしています。すると裏にある価値観が見えてくる。
「期待」や「べき論」はゼロにはできない。
でも、一つひとつのことに丁寧に感謝したり、失敗に対して寛容になったり、疑ったりすることならできるはず。
「無くす」ではなく「手放す」のなら、わたしたちにもできるかもしれない。
必要なもの、大切にしたいものもある。
中村さんには、手放したくないものもある。
①自分の行動や態度
②自分の周りの環境
③自分の物事の捉え方
中村さんは「コントロールできるものは手放さず、コントロールできないものは手放したい」のかもしれないな、と思った。
感情は操れないけど、行動なら自分で操れる。
他人の行動は管理できないけど、自分の周りの環境なら自分で変えられる。
周りで起こった出来事はどうしようもなくても、そこから何を感じ何を学ぶのか、どう捉えるのかは自分次第。
だから、手放したくない。大切にしたい。
そんなニュアンスなんじゃないだろうか。
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荷物は軽いほうが、長く早く歩けるけれど、それだけが人生じゃない。
手ぶらで歩くには、人生は長すぎる。だからこそ、必要な荷物はしっかり抱えて、歩んでいきたい。
ふわふわと、のんびりと、ゆっくりと。
風船のように、風に身を任せながら。
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takaren advent note 60日目
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