あたたかい感謝の葬儀
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長女が自分であった為、喪主は28歳だった私のつとめとなった。
悲しむ間もない程忙しく時間が過ぎ、
毎日浅い眠りを繰り返して気が付けばお通夜、葬儀となった。
父が絶大に贔屓にしていた銀座名店「誠」の店主、「生き返ったぞ」と店に顔を出しては驚かせていた蕎麦屋の店主も駆けつけてくださった。
親しい人達のみで、父が大好きな音楽を揃え、好物であった食べ物や高級酒で溢れ、葬儀は温かく終えることができた。
父と、父の遺影を持って私たちは帰宅した。
以降、信じられないストーリーが始まるのだった。
★本記事のTOP画像はガラス工芸家であった父の作品です。