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【大人の童話】木守り(きまもり)
ボクはカラスという生き物らしい。良くは知らないが、人間がそう呼んでいる。大雑把には、あまり好ましい生き物だとは思われていないようだ。自分としては、まんまるいオツムの、利発で可愛らしい生き物だと思うのだが――。
先だっても、公園を通りかかった人間の親子づれが、木の上で遊んでいるボクたちを見つけて、子供に向かってこう言ってたっけ。
「おっかないから、カラスがいない所で遊ばうね」
ボクらのことが嫌いなのは、大人だって同じだろ。
「カラスと目が合っちゃった!朝っぱらからなんて縁起が悪いんだ」だとか、「カラスって真っ黒で不吉だよね」とかなんとか。
それで、さんざん意地悪を言ったあげく、ボクたちのことを横目にしながら、足早に逃げ去っていくなんて、失礼だとは思わないのだろうか。
何を言うやら、そんなのは迷信に決まっているじゃないか。ボクたちは平和主義だし、目が合ったくらいで呪いをかけることなんてできやしない。そんなことができるくらいなら、何の苦労もないではないか。
ボクの親たちは、いつも言うのだ。
「あんなくだらない奴らに関わるな。関わったってろくなことはないぞ」
都会を旅した大人ほど、どうやら人間が嫌いになるようだ。
大人になるとボクたちは、自由に空を飛びまわって旅をする。ボクらのねぐらがある雑木林は都会の外れの小高い丘にあるので、ここから少しだけ遠出すれば、ひとっ飛びでビルの谷間に到着する。そこでは、ボクたちにとってのご馳走を巡って、人間との化かし合いが繰り広げられている。
大人たちは口を揃える。
「あいつら人間は、本当に意地が悪い。お前たちは知らないだろうが都会の人間ほどカラスのことを目の敵する。都会の真ん中にあるゴミ捨て場なんかは、まるで戦争のような騒ぎなんだよ」
ボクたち若造は留守番の間、そんな武勇伝が聞きたくて待ちきれないのだが、詳しく話を聞くにつれ、人間というのは勝手な生き物だ。どこも、かしこも、自分たちだけのねぐらだと思っている。
そんなこと、あるはずがない。都会にだって猫もいればネズミだっているしタヌキだっている。もちろんボクたちだって都会の立派な住民だ。それを無視するなんて、どれだけ偉そうな連中なのだろうか。
でも、いくら威張ったとしても、地面に這いつくばったまま、どこにも旅立つことができないじゃないか。
なんて不自由な生き物なのだ。なんて情けない生き物なのだ。
その点ボクたちは自由だ。
――お前らは地面に這いつくばって生きるがいいさ。悔しかったら、捕まえてみろ。悔しかったら、空を飛んでみろ。
ボクたちはビルの谷間をぬって、あざけりながら飛びまわるのだ。
大人は良いな。旅ができて。ボクもいずれは、この空の向こうまで飛んでいけるだろうか。でも今は、我慢、我慢。ボクは何かにつけて疑うことを知らない、まずまず素直な優等生なのだ。それに旅をしなくても、面白い発見はいくらでもある。なにしろボクは若い盛りで、見るもの聞くもの珍しくてしかたがないのである。
最近のマイブームは、丘のふもとにある人間の町まで遠征をすることだ。都会の外れだけあって、町と言ってもまずまず静かだし、散歩がてら遊ぶのに、ちょうど良い場所なのである。
そこにある、小さな一軒家がボクのお気に入りだ。
「あんな何もない所、面白くもなんともないじゃないか」
仲間はそう言ってバカにするのだが、いやいや、それなりに見どころはあるのだ。
その家の庭には、それは美味しそうな果物が、お日さまの光をいっぱい浴びて実っている。一つ二つどころの騒ぎでない。あれだけたくさんの果物は、仲間と一緒でも、絶対食べきることはできないだろう。
これはボクだけが知っている大発見なんだ。
どうらやら夏みかんという名前の果物らしい。緑に繁る葉っぱの陰に、良い香りのするいくつもの実が見え隠れする姿は、それはみごとと言うしかない。ボクはここに立ち寄るたびに、ホレボレと見入ってしまうのである。
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◇
その家にはおじいさんとおばあさんが暮らしている。
ふたりはとても仲がいい。毎日ふたりで庭を散歩しては、ニコニコと楽しそうに何か話をしている。
おばあさんは少し足が悪いらしく、杖を片手にしながら、おじいさんに手をひかれて、のんびりのんびり庭を散歩する。
なんとも微笑ましいことではないか。おいっちに、おいっちにと歩く姿は、なんだかヒナのようでもある。不覚にも、その仕草すらもボクは、可愛らしく感じられてしまうのだ。
ある日のこと、いつものように屋根の上に止まって庭を見ていると、おばあさんと目が合ってしまった。
嫌われるかと思ったが、おばあさんはにっこりと笑いかけてくれた。おじいさんも釣られて嬉しそうに笑った。
なぜだか、ボクも嬉しくなった。
――意地悪では、なさそうだ。こんな人間も、いるんだな。
でも油断は大敵だ。大人たちからも、いつも言われている。
「人間なんか、ろくな奴らじゃないぞ」
そうだよね。ボクもそう思う。どうせ関わったって、ろくなことなど、ありはしないだろう。でもこの家のふたりは、意地悪をするでもなく、ただただニコニコ笑いかけてくるだけだから、少しは大目に見ても良いのではないかな。
とはいっても仲間の目もあることだ・・・。迷ったあげくにボクは、さしあたって、ふたりのことを静かに見守ろうと考えた。見ている分には問題はないだろう。やんちゃな仲間ならば、がまんするのが難しいだろうが、ボクはけっこう気が長いたちなので飽きはしない。むしろ、観察していること自体が、楽しくて仕方ないのだ。
人間だって、犬や猫を長いこと眺めては、最後の最後に「ああ、可愛いかった!」と満足そうな声を漏らすことがあるよね。あまり変わらないと思うよ。
それからボクは暇を見つけては、この家を訪れるようにしている。ふたりのこともだが、夏みかんのことだって気になるではないか。
ある日のこと、前日に突風が吹き荒れて、庭にたくさんの夏みかんが落ちていた。「シメシメ」と一瞬嬉しくなったが、転がっている夏みかんなんて、どうやって食べろというのさ!いくらくちばしで突っついてみても、ずっとコロコロと転がるばかりで、ストレスがたまるばかりなのだ。
足で無理やり押さえつけてみろって?そのくらい、とっくにやっている。それで口にできたのは、苦くて不味い、分厚い皮だけだったりする。
ねぐらに帰って、そのことの愚痴を言うと、仲間たちから笑われてしまった。
「やめとけよ。目の毒なだけだ。実っている奴を突っついたって、ユラユラ揺れるだけだし、地面に落ちた奴だってコロコロ転がるばかりで、どうにもなりゃしない。結局のところ、骨折り損のくたびれもうけってやつさ」
何のことはない。大発見と思っていたのはボクだけで、皆が皆、夏みかんに夢中になっているボクのことを、陰で笑っていたようなのだ。
バカにされるのは少し悔しいが、まあ、良しとしよう。だって、あの家が仲間うちで人気になってしまったら、屋根の上の特等席を独占できないではないか。
実は自分でも不思議なのだが、あのふたりのことが、最近気になってしかたがないのだ。
おばあさんが庭で転ばないか心配なのは、なぜだろう。おじいさんがおっちょこちょいのなのは、困ったものだ。ふたりが無事家に入るのを見届けると、安心するのは、どうしてなのか――。
気恥ずかしくて仲間には言えなし、大人にばれたらお目玉を食らうに決まっているが、こんな風に思うこと、まんざら悪いことでもないよね‥‥。
ところがついに、念願の夏みかんを食べることができたのだ!
この季節、夏みかんがやたらと豊作だった。庭には丸々とした実が山のように転がっている。ふたりは地面に落ちた実をバケツ一杯に拾ったが、拾いきれずに数が余ってしまった。
すると、ボクがうらやましそうに眺めているのに気がついたのだろう。
「ふたりでは食べきれないので、お前もお食べ」
そう言うとおじいさんは、余った夏みかんをナイフで二つに割って、木の根元近くに並べてくれた。
――果たして、美味しいのかね。
ボクはふたりが家の中に入るのを見届けると、試しに一口食べてみた。
するとなんと美味しいことか!
あの苦い皮の奥に、こんなにも美味しい中身が隠れていたとは! ボクは夢中になって、一つならず二つ三つと、皮だけを残してキレイにたいらげてしまった。
次の日になって、ふたりは皮だけになった夏みかんを見て、驚いていた。「なんともキレイに食べたものだね!」ふたりは嬉しそうにして、次の夏みかんを二つに割ってくれた。ボクはその夏みかんも美味しくいただいた。
夏みかんはたくさん実っている。
――シメシメ、まだまだ楽しめそうだ。
ボクは嬉しくなって、前よりも熱心に、この家へ通うようになった。
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◇
しばらくしたある日の夜、嵐が吹き荒れた。翌朝には、これまでにないほどたくさんの夏みかんが庭に転がっていた。
バケツ一杯どころの騒ぎではない。ふたりは顔を見合わせてニコニコ頷くと、たくさんの夏みかんをセッセと二つに割ってくれた。
木の根本には、甘酸っぱい香りを漂わせながら、二つに割られたいくつもの夏みかんがずらりと並んだ。
――ボクだって、さすがに、こんなには食べきれないな。
そう思って仲間にも声をかけた。皆が皆、半信半疑ではあったのだが、いざ来てみると、 美味しい!美味しい!と大喜びだ!
結局ボクたちは全部を食べきれずに、少し残してしまった。でも、自然というのはよくできたもので、ボクたちが食べ残しても、椋鳥がきてちゃんと後始末をしてくれる。椋鳥の食べ残しはヒヨドリが後始末をする。皮だって虫たちのご馳走になる。
ボクたちが嬉しければ、椋鳥たちも嬉しい。ヒヨドリが嬉しければ、虫も嬉しい。そしてキレイに繰りぬかれた夏みかんを見て、あのふたりもきっと嬉しいに違いない。
しかして、ふたりはすっかり気をよくしたようだ。夏みかんが余るたびに、張り切ってボクたちに分けてくれるようになった。
前にも増してボクたちは、ふたりの下に押しかけるようになった。
でもある日のことだ。大勢の人間たちがふたりを取り囲んでいた。叱られてでもいるのだろうか。ふたりともペコペコとしきりに頭を下げている。
「ボクたちを餌付けしたとかなんとか言われているんじゃないか。おお方、そんなところだろう」
ニヒルな仲間がわけ知り顔で、冷ややかに囁いた。
そうかも知れない。けどね、ボクはとても腹が立っているのだ。あんな良い人たちを叱るなんて許せない。
――そんな奴らに謝るひつようなんてないよ!
ボクは大声を放ったが、通じるはずもない。仲間たちは、「ほっておけ!ほっておけ!」と呆れながら帰ってしまったが、ボクだけはひとり残って、ふたりをいじめる人間たちを思いっきり睨みつけた。
しかし、ふたりはこのことで、すっかり恐縮してしまったようだ。
「あんまり友達は連れてこないでおくれ」
騒ぎが収まったあと、ボクに向かってそう言うと、ふたりは夏みかんを申し訳なさそうに一つだけ割ってくれた。
それからというもの、仲間たちはすっかりシラけてしまい、この家に寄り付かなくなった。
ボクはというと、相変わらず暇を見つけては、特等席からふたりの様子を見守り続けている。
けれどボクにもカラスとしての生活がある。恋の季節だって、すぐそこに来ている。そのあとは、いよいよ旅立ちのシーズンだ。
ふたりのことは相変わらず心配だし、決してここが飽きたわけでもないのだが、ボクの足はだんだんと遠のいていった。
◇
その日ボクは、旅で疲れた羽を、ねぐらでゆっくりと休めていた。
今度の旅も、なかなか大変だった。都会は今も昔も、かつて大人から聞いた通りの有り様である。人間というのは本当に勝手な生き物だ。
何度か旅を経験して、ボクもすっかり大人になっていた。その間、たくさんの恋もした。子供たちも立派に巣立っていった。まずまず満足のいく暮らし向きではないだろうか。
久しぶりにねぐらに帰ったせいか、ボクはしみじみとした気分に包まれていた。すると、留守番役の若い仲間が近寄ってきて、妙な話を教えてくれた。それは、あの夏みかんの家のことだった。
なんでもボクが今度の旅に出てから少しして、サイレンを鳴らしながら車が家の前に止まると、誰かが運ばれていったそうなのだ。
その車のことは、たぶんだが知っている。赤い光を放ちながら、けたたましく走る、あの車のことだろう。以前のことだ。面白がって、空の上から追っかけたことがある。確か最後は、病院とかいう場所にたどり着いたように思う。
何かあったのだろうか。ボクは久々に、あのふたりのことが心配になった。都会の意地悪な人間たちとやりあったすぐあとでもあり、意地悪とは無縁のふたりの柔和な笑顔が思い出されてならなかった。
ボクは次の朝、懐かしいあの家の様子を見に行った。
季節柄なのか実りこそ少ないが、そこには夏みかんの木が前と変わらず堂々と葉を繁らせていた。
家にも変わりはなさそうだ。ボクはまずは胸を撫で下ろした。
ところが待てど暮らせど、誰も外へ出てこない。
――こういうことも、たまにはあるさ。
ボクは待ちくたびれて、ねぐらに引き上げた。
しかし次の日も同じだった。その次の日も、そのまた次の日も。
そしてボクの心配が募り始めたある日、おじいさんがようやくと庭に姿を見せた!
だが、どうしたことか、おばあさんの姿がない。しかも、おじいさんは散歩をするでもなく、外まわりの用事をひとしきり済ませると、とっとと家に戻ってしまった。
ボクは大人になったことで、若造の時みたいに遊び惚けるわけにはいかない。群れでそれなりの役目も負っている。しかし、心配でたまらない。ボクはそれからも、暇を見つけては様子を見にくるのだが、たいていは誰に会えるわけでもなく、珍しく会えたとしても、それは決まっておじいさんだけだった。
しかし、何かが変だった。
そういえば、まったくもって元気がない。歩き方だって、弱々しい。背中も小さく見える。それに、すぐに家に戻ってしまうのは、どうしたことだろう。まるで散歩をするのを避けているようではないか。
そんなことが続いたある日、おじいさんが庭を散歩する姿を見かけた。ボクはほっとした半面、やはりおばあさんがいないことが気になった。
するとおじいさんは、花壇の前で足を止めて、花を摘み始めた。おばあさんが大切にしている花壇である。春おばあさんが撒いた種が、ようやくと花開いたのだろう。美しい花が今を盛りに咲き誇っている。
しかしおじいさんの様子がおかしい。花を摘む手が止まると、背中を震わせたまま動かなくなったではないか。そして突然、むせぶような嗚咽を漏らながら、大きく泣き崩れた。ボクの元に伝わり続けるのは、聞くものの胸を締め付けるような、悲しい声だった・・・。
◇
ボクがおじいさんの姿を見たのは、それが最後だったかもしれない。もちろん、あれからもボクはあの家のことを忘れたわけではない。何度も何度も飛んでいき、事あるごとにあの家を見守り続けた。
しかし、おじいさんは一向に姿を見せず、外まわりの世話をするのも、落ちた夏みかんを拾うのも、知らない人間ばかりになった。
当然ながら誰かが夏みかんを二つに割ってくれるわけもない。ボクはついに、あの家を見守ることを諦めてしまった。
やがてボクは年老いた。羽ばたく力は衰えて、自慢だった羽の艶も昔に比べるべくもない。あと何回、旅ができることだろうか。もしかすると次の旅の途中で力尽きるかもしれない。しかし、それも悪くないのかもしれない。心残りは、ほとんどない。あるとすれば、それは何だろうか。
ボクには懐かしい光景がある。
初めて見た、大空、夕日、あかね雲。仲間との水浴び、恋の相手。初めての旅で、ビル風に乗りながら見た景色。
そして、あの夏みかんの家と可愛らしいあのふたり――。思い出せば出すほどきりがないのだが、どれもが若いころ好きだった光景である。
あの家はどうなっただろうか。風の噂には、すっかり人影が絶えたと聞いている。
いずれ飛べなくなる前に、自分の目で確かめてみたかった。なぜだか、そう思われてならなかった。
ボクは衰えた体で、ねぐらを飛び立った。ほどなくして、眼下に懐かしい夏みかんの木が見えてきた。夏の終わりというのに、枝には美しい果実が残っている。
この木はこれからも、たくさんの実をつけるのだろうか。そうあって欲しかった。
ボクは懐かしい思いを胸に、あの家の屋根に降り立とうとした。しかしそこには、あるべき屋根も、家もなかった。
空中で向きを変え、昔のように電信柱の上に止まりながら、沈みゆく晩夏の夕日と並んで、今は何もない空き地を、ボクは静かに見守っていた。