死ぬ瞬間
いつも「死」のことを考えている。
悪い意味じゃなくて。
おじいちゃんおばあちゃん
わたしは祖父母と一緒に暮らす三世代家族だった。母方の実家も隣町で、比較的おじいちゃんおばあちゃんと過ごす時間が多かった。
祖父が亡くなった日のことを覚えてる。
夜中、部屋から激しく咳き込む音がして、お母さんが見に行ったんだ。詳しいことはよくわからなかったけど、救急車を呼んで、とにかくみんなバタバタバタバタして、そこからおじいちゃんは帰ってこなかった。
動かなくなったおじいちゃんと、一緒に客間で寝た。10歳ごろだった。
同じ年に、母方の祖母も亡くなった。心筋梗塞だった。
わたしが17歳の頃、1番大好きだったおばあちゃんが死んだ。大好きだった。大好きだったのに、もう90近かったおばあちゃんはボケてきていて、お母さんに呆れられたりいい歳だった私たちともあまり話さなくなって、その頃のおばあちゃんのことを覚えてない。交通事故だった。運ばれた病院に行ったが、耳だけ聞こえてる状態で、今夜が山と言われて一度帰った。それが最後だった。
母方の祖父はわたしが社会人になってから亡くなった。動けなくて食事も取れなかったので病院にいた。軽く抱き抱えられるくらい小さくなっていた。葬儀もせず、火葬だけした。
大学の後輩
大学は寮生活で、平屋にみんなで暮らした。テレビも一つ、お風呂もひとつ、食事当番がいてみんなでそろってごはんを食べた。
その中でも仲のいい後輩がいた。いつもわたしを励ましてくれた。後輩なのに面倒見がよくて、優しくて、でも時々ネガティブで、そんな時は代わりにわたしが支える、いいバランスだった。
わたし4年生の時、1年生だった。
卒業した年、もっと早くに一度でも会えばよかったな。その年の8月に亡くなった。脳卒中だった。まだ22歳だった。
高校の先生
とてもよくしてくれる先生がいた。
他の部活だったけれど、ごはんに連れてってくれたり寮に招いてご馳走してくれたり。
文化祭の終わり、木の下で話していたことが昨日のように思い出せる。
いつも時間をとってわたしの話を聞いてくれたり、アドバイスをしてくれた。
心筋梗塞で亡くなった。43歳だった。
いつも思い出しては泣いていた。
悲しいのかなぁ、後悔なのかなぁ、なんだかよくわからないんだけど。
でもわたしには、「死」がとても身近だった。
怖くはなかった。
わたしも死んだら皆んなに会えるから、だから好きな人は先に逝っちゃうんだなぁ…とも思う。
社会人になって介護の仕事を2年、看護学生の時のバイトを入れると5年していた。
介護もわたしの人生を考えさせてくれる大切な仕事だった。
誰もが小さい頃もっただろう「人は死んだらどうなるんだろう」みたいな疑問が、ずーっと隣り合わせだった。
どうにもならないんだろう。
たぶんそこは無で、何もナイんだろう。
わたしの意志もなにもなくて
じゃあわたしは何のために生きるんだろう?
わたしが死んで何も残らないなら、
せめて周りの人に何か残さなきゃな。
資産とか名誉とかそういうのじゃなくて(あるに越したことはないけど)
幸せだった気持ちとか感情とか、そういうの。
「人のために」っていうキラキラしたやつじゃなくて「自分のために」わたし自身よりも他の人に幸せな時間があってほしい。
それが自分にとって居心地がいいから。
時々、周りの目や感情を優先して自己犠牲してしまうことがあるんだけど、それとはまた混同しないようにしないといけなくて(それは自己否定からくる行動で、自分のためじゃなくて人のためにややっている。ほんとは人のためになんてしたくない)、わたしは自分のために、周りに幸せになってほしい。
死ぬ瞬間、このあと無になると思ったら自分が良かったなーって感じれるのはそこしかない。
自分だけ幸せでも、またゼロだしな…ってなる。
いつも、死ぬ時のことを考えて生きてる。
そこにわたしの人生観があって、前提になっている。