
思い込みの効用〜自己紹介に代えて
踵を返す(きびすをかえす)。
いつの頃からかこの言葉が頭のどこかに染み付いて、人生のさまざまな局面で事態を打破する判断の拠りどころとなってきました。転職、独立、移住。とりわけ失恋や離婚といった、心が絶望で覆いつくされるような状況で、僕を踏みとどまらせてくれたのがこの言葉です。
正直にいうと、僕は長い間この言葉の意味を履き違えていました。気づいたのはわりと最近のことです。辞書を開くと「あと戻りする」「もと来たほうへ引き返す」といった説明があります。
僕はそれまで、この言葉にもっと強い意志の力を感じていました。「見切りをつける」「うじうじしない」「あとには引けない」などと、むしろ本来の意味とは真逆の解釈をしていたのです。
なぜそうなってしまったのか。
踵(かかと)を返すわけですから、方向転換するというのはわかります。そこから僕は勝手に「頭を切り替える」→「過去にとらわれない」「新しい自分を見出す」というふうに解釈を進めていったのかもしれません。
さらには、その語感の動的な力強さから思いがエスカレートし、「潔く腹を決める」、しまいには「(邪悪なものと)決別する」とまで考えるようになります。ご丁寧に、そのとき僕の脳裏には、コートの襟を立て、厳しい眼差しで寒風に向かって歩き出す男の姿がありありと映っているのです。
滑稽にも思えるこの映像が難局を乗り越える力をくれたのなら、思い込みも悪くない。たぶん僕は20代の頃からこのようにして生きてきたのです。
おりおりの判断が正しかったのかどうかはわかりませんが、少なくともいま新しい環境でまっとうに生きようとしている自分がいる。この先も”踵を返す”シーンが出現するでしょう。そのときは引き返すのではなく、これまでどおり間違った解釈のまま、寒風に向かって進もうと思っています。