顔出しなんてハードルでも壁でもないですよね?
ある文献で、知名度と認知度は異なる指標との内容を拝見したが、前者の知名度を上げたい人というのは、ネット上で頻繁に見かける。(実際にお話しする人の多くも、有名になりたいという目標を掲げている割合は多い)
ネット上で名を馳せたい(知名度を上げたい)という目標がある方は、今すぐ自分の顔写真を公表した方がいいと思う。
顔を晒して、その情報を頼りに本名や個人情報が他人により勝手に公開され、攻撃の的になってしまう。その結果、ありもしない批判を不特定多数の存在から受け、自分の目指していた目標を達成するのに、邪魔が多くなり目標の達成に困難が生じてしまった。そんな事象は頻繁に目撃される。よく、日本語圏のSNSでは「炎上」と呼ばれるこの事象。過度なバッシングにより、それまで通常営業だった活動を、やむなく停止せざるを得ない状態まで至らしめさせられる出来事が起こる。異常なのは、それを引き起こしているのが、何のかかわりのない一般市民(その集合)であることだ。
(それらのトラブルの被害者が、それまで抱いていたであろう潰れた夢や目標は、たかが他人によって潰さて費える程度の夢でしかなかった、というものと気づかなくてはならない)
ネットで顔を晒すのは、強い武器になる。
それは自分の目指すものが屈強であるならば、さらに堅強さを増すだろう。
いくら文章だけであなたの履歴や好みを語ろうと、それを誰が信じてくれるだろうか。
少なくとも僕は1㎜も信じませんよ。
逆にあなたはそれを信じてしまえるだろうか?
私の顔はこんなんです。
まずは見知らぬ人にこんな顔の人間がいます、と知ってもらった方がいいのではないか。
その上で、この顔の人間は、こんなことをしたくて活動しています。こんな夢のために邁進しています。とアピールした方が、初めてあなたの名前をネット上で知った人にとっては、安心する材料となる。美化された自画像や、飼い猫の写真をアバターにしてる(逃げ腰な、よく見られようとしてる)人は、「発信する積極性のない一般人」というレッテルを貼られる。そんな陰険なことをしないほうが、好印象で信頼を持てると思う。
日本という国は、平均的な顔の整い方をしてる人間を「理想」としたがる傾向にある。(間違いなくそれは虚偽である)それこそが美しい、と見事に洗脳された馬鹿な人間が、他人が顔を公開しているのを見て、色々けちをつけたくなるのだ。平均的な顔だちとの差異を無理やりに絞り、マイナスな部分だけを攻撃の武器にして、他者を攻撃の的にして自分の人生に満足しているのだ。
正直言って、そんなちんけな人間の攻撃に竦んでしまい、自分のやりたいことができなくなるなんて、愚の骨頂甚だしい。
そんな人間なんて利の足しにもならなきゃ、自分の成長材料にもならない存在。目指す理想の高いひとほど、その存在にかまう時間も惜しいはずである。
他人に評価されたい。
それは素晴らしいと思う。
それならば、評価してくれる者を自分のフィルタでふるいをかけてみる必要があるだろう。
P.S.顔出しするかしないかが、恥ずかしいか否かってゆう判断からじゃなくて、攻撃されたら怖いかどうかってゆう理由で、しない人が多いっていう国の文化があるらしい。なんとまあ、不自由な文化じゃないかって思うんだがいかがでしょうか。何か思う方はいますでしょうか。意見を募りたいですね。
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