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「あたりまえ」は「ありがたい」なんだと思う。


ぼんやりとした記憶。
小学生くらいからだろうか、

「感謝しなさい!」と言われるたびに
「は?感謝ってのは湧き上がるもんで、強制されるもんじゃねぇだろ?」
なんて、アウトローおやじみたいな思考が浮かび上がるようになっていた。
もちろん「ありがとうございます。」と言うのだが、なんだかひっかかる。
「おれはこころのそこからありがとうといいたいんだ」
なんて思っていた気がする。

いま思えば、やはり「がきんちょ」なのである。
そんな考え方じゃ、幸福が周りをぶんぶん飛びまわていたとしても、まったく気づけやしない。

確かに、感謝ってのは心の底から湧き上がってくるもんなんだけど、目の前の事象が「とってもありがたいことなんだなぁ」という理解ができないと、キョトーンどころかなんの感情も沸かないという痛々しい場面が爆誕してしまう。南無。

例えば、よく言われる「空気」
無いと死んじゃうくらいありがた~いものなんだけど、あるのが当たり前すぎてだいたいの人はなんの感謝も湧いてこない。
ところが、窒息しそうになると、そのありがたさがとてつもなく良くわかる。

風邪をひけば「健康」のありがたさ
けがをすれば「普通に動ける」ありがたさ
誰かがいなくなればその「人」のありがたさ

失う前に気が付ければラッキーだけど、失ってから気づくことの方が多い。
「あたりまえ」は「ありがたい」に変換した方が身のためだと思う。


そして、ひとは忘れる生き物。
ぼくは何度かのどに物を詰まらせて空気のありがたさは経験済みなんだけど、しょっちゅう「空気、ありがてぇ」とは思えていない。
なので、最近は意識するようにしている。

そんなこんなで最近は、自分が感謝の足りない人間だという自覚が芽生えている。オギャー。

そして、「感謝ってのは、幸福そのもののことなんだろうな」と思うようになってきた。
だって、感謝してる時って幸せじゃない?

忘れていたとしても思い出せるなら、
失った後だとしても気づけるなら、
きっと幸せになれる。
間違いない。





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