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湯か油さえあれば #私の晩酌セット

大体2週間に一度くらい(いや、1週間に一度くらいか)、「あぁ今日は夕飯作る元気はないな」という時がある。時計の針を見ればもう少しで20時というところだ。

そういう時に少し途方に暮れる。家にいる時間が増えるほど、台所に立つことが時に億劫になることに気付いたのも在宅勤務が当たり前になってからだ。そう考えると、会社に行ってどれだけ疲れて帰ってきても台所に立っていたのは一種のリフレッシュだったんだな、とも思う。

今年は働き方を変えることを余儀なくされた1年だった。在宅勤務が板についたのはいいのだけれど、不思議と時間の感覚も鈍るようで、ひたすらパソコンに向き合っていると気づけばとっぷりと陽は落ちていたり、冒頭の通り20時くらいになっているなんてこともザラだ。

それでも夜になれば腹は空くし、一杯やって1日の締めくくりをしたいのも逃れようのない業のようなものだ。そんな業が顔を出し、頭の中で晩酌の風景が流れ出すと仕事を続けるのは土台無理な話。

作業途中のパソコンを閉じ近くのスーパーまで出かける。スーパーに入ったらまずは野菜コーナーに直行だ。目当ては夏場ならスナップエンドウ、晩秋の今の季節ならブロッコリーだ。

ブロッコリーを買い物籠に入れたら、惣菜1種(大抵揚げ物だ)と刺身(最近はブリ)をチョイスして、会計を済ませてそそくさとスーパーを後にする。

帰宅すればまずは小ぶりの鍋に水をいっぱいにはり火をかける。その間に揚げ物はトースターの中に入れ、刺身はサクであれば切る。

湯が沸けばブロッコリーを放り込み、待つこと数分。茹でたてのブロッコリーをそのまま丸皿に敷き、少しの塩をふりかけ、皿の隅にマヨネーズをしぼれば、週に一度のお手軽晩酌セットの完成だ

惣菜と刺身を皿に盛り付け、テーブルについてビールをプシュッ。ゴクゴクと喉に流し込んだなら熱々のブロッコリーにマヨネーズをたっぷりつけて頬張る。

この瞬間でようやく頭のネジが仕事モードから晩酌モードに切り替わり、ホッと心拍数が落ちていくのがわかる。今宵もいい締めくくりができそうだ。そうほくそ笑んではグラスに手を伸ばす。

はたまたもう少し力がほしい時もある。そういう時は「油」の出番だ。なんて言ったって油はエネルギーの源なのだから。

野菜はじゃがいもとか山芋がいい。根菜は食べると踏ん張る力が湧いてくる気がするのだ(なんとなく)。

ザックリと一口サイズに切ったら160度の油にそっと入れる。頃合いで引き上げ、塩を振れば(気分に合わせて山椒なんかも良い)これまたビールに合う御馳走の完成だ。

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こだわり抜かれたお店の味も、滋味深い家庭料理もいいのだけれど、「あるべき料理の型」を引きずると、同時に疲れも引きずっていってしまうように感じるようになった。

特に在宅勤務が当たり前になり、移動や対面の付き合いが減り、なかば強制的にエネルギー消費が制限され、身体全体が「省エネモード」になった今、これまで通りの食生活では「重たすぎる」のだと思う。

身体全体が「省エネモード」なら、食事も時に「省エネモード」にした方が良いのではないのだろうか。食べることは身体とダイレクトにつながる行為であるわけだし、そんな風に自分の身体の声に素直に従う方が、無理なく健やかに過ごせるような気がする。

そうして僕がたどり着いたのが「水と油」だ。とてもシンプルで、料理とも言えないような「おつまみ」が晩酌を彩り始めるようになってから、いっとう食卓が楽しみになったし、徐々に疲れが取れ始めているようにも感じているのだ。

とは言え、「シンプルでいよう」なんて掛け声をしたいわけではない。豪勢に行きたい時は豪勢に行けばいい。

だって今日は「いいにくの日」だし。今日は焼肉にしようかな。これまたビールと合うんだ。

※冒頭の写真と内容がかけ離れていることをお許しください。シンプルな晩酌の時はほとんどカメラを構えることがないから手元に写真がなかったのです。

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平山高敏
ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。