見出し画像

ぼんやりとした大晦日に思うこと(年末の挨拶にかえて)

今年は例年よりもぼんやりとしている。年末恒例の一年の振り返りをしようとしてまず思ったことだ。

こういう感覚で大晦日を迎えるのは珍しい。

とは言え、この一年をぼんやりと過ごしていたかと言えばそうでもなくて、ざっと振り返るだけで今年は例年よりも言語化できる出来事はたくさんあった。

本業以外の仕事として眼鏡屋さんでのコラムを始めたこと、父親が他界したこと、転職したこと、その際にお世話になった人への行脚旅として日本一周したこと、ずっと行きたかったラオスに行ったこと、地域関係のお手伝いをさせてもらったこと、同世代の新しい友人ができて交流が深まったこと、などなど。

こうして並べると、単に新しいことを始めるというより、今まで積み上げてきたことを一旦「棚卸し」をした一年とも言える。棚卸しをしていたら自然とやりたいことが目の前に陳列されて「さぁ、改めていっちょ取り掛かろう」となった一年とも言えるかもしれない。

だからなんというか、ぼんやりしている。
棚卸しして、新しく始めたものばかりでまだひとつも「区切れる」ところまで到達していない、という状況だからかもしれない。

片一方で思うのは、ずっとコツコツとやってきたことを、近くで、遠くで見てくれた人たちから声がかかり、新しい形としてリスタートするような、そうゆう偶然というか、手繰り寄せる「何か」のようなものを感じた一年でもあった。

僕の好きな言葉にクラムボンの原田郁子さんの「つづけるをつづける」がある。つづけることをやめなかった人にだけ見える景色がある、ということなのだけれど。

僕自身、そんな景色はまだ見えないのだけれど、周りから声がかかるたびに、「つづけてよかったな」と思うことが多かったから、少しは近付けたのかもしれないな。

さらに言えば、今年はそうゆう「つづけてきた」人に出会う機会に恵まれた。世界一のウイスキーのブレンダーとか、生涯をワインに捧げた人とか。そこまで一本筋ではなくても、今目の前のやれることにフォーカスを当てて頑張っている人の話を聞くことが多かった。

そういう人の眼を見ていると本当に胸を掴まされることがある(あった)。この人のために何かしてあげたい、と思わせる何かが彼らの眼にはある。

あれ。ちょっと熱を帯びてしまった。

周りを見渡すと、焦っている人が多いので言いたくなったのかもしれない。

新しくチャレンジしたいことを宣言して、味方を作りやすい時代になった。そうゆう気運はとても素晴らしいと思う反面、そんな雰囲気を眺めて焦る人がたしかにいる。僕には、私にはやりたいと胸を張って言えるものがない、とか、ああやって共感されて羨ましい、とか。

でもね。

「つづけるをつづける」ことができてはじめて見える景色もあるんじゃないかな。だから周りを見てあたふたするなら、まずは自分の足下に目をやればいいと、僕なんかは思うんです。

「つづけるをつづける」と、地を固めることができる。地を固めていると、それは道になる。道ができると「見通し」がよくなってくる。いつの間にか「見渡し」がよい場所にいることになる。

見渡しがいいということは、「見つけられやすくなる」ということ。そうなると自然と味方(仲間でも同志でもいいけど)は増えてくる。

大袈裟に言えば、人生ってやつはその繰り返しなんだろう、と思うようになったのも今年のような気がしている。

また来年も誰かと同じ景色を見れたら良いな、と思います。この一年関わってくれた皆さん、ありがとうございました。

来年も僕は淡々とつづけていきます。まだ棚卸しはしなくていいや。

これを読んでくれた人の中で、もし来年会うことがあるのなら、「つづけている」話を聞きたいな、なんて思っています。聞かせてください。

書き始めからだいぶ話が脱線したまま終わってしまいました。こんな終わり方ですいません。

こんな僕ですが、来年も引き続きよろしくお願いします。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。