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シェアの輪 [10/17〜10/23の日記]

床暖房をつける季節になりました。
それでは今週の週報。

10/17(土)

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前日の酒を引きずりながら朝から次の物件で打ち合わせ。

今日もまたいくつかのプラン変更。やりたいこととやれることの間を埋めていくのは忍耐力で、つまりは体力と集中力が「ベター」なものへの精度を上げる要素なんだなと改めて思う。

正直僕はあまりその手の力が弱い。これは長年の課題だ。

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昼過ぎから「若い」友人たちと食事。クラフトビールが美味しくて前日のお酒が抜けた(?)。

ほどよい疲労感を伴って帰宅。帰宅後は何をしたか憶えてないほど、泥のように眠った。


10/18(日)

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家具を見に神田まで。ずっと行きたかった「三燈舎」でランチ。酸味と辛味の互助関係。美味しかった。

その後最近なかなか行けてなかった吉祥寺の服のお店に。行けばすぐに懇意にしている店長から名前で呼ばれ「1年ぶりじゃないですか?」と声をかけられる。1年間に何千人と接客しているだろうに、そうやってすぐに声をかけてもらえるのは嬉しい。

その店長の服の話は本当に面白くて、この日も1時間近く滞在して、最近の服の流行とか、おすすめのモノとかを紹介してもらった。

結局Scyeのコートとニットを購入。冬が楽しみになった。

「買い物」という(冷めた)消費活動に一点の温もりと「よい記憶」を残してくれるお店はまた行きたくなる

買い物でも飲食でもいいのだけど、消費者である僕らにできる振る舞いは、全幅の信頼を寄せるに足る「プロ」を見つけることと、見つけたならプロの声を楽しみにしながら耳を傾けることなのではないかと、最近思う。

そんな楽しみを消費者側が持てることを、本来的な意味合いで「ストーリー消費」と呼ぶのではないだろうか。


10/19(月)

せっせと仕事をしていた。

10/20(火)

月曜と同じ。

ベテランの方と食事。何を話したかあまり憶えてないけど、そこにいるだけで皆が安心感を覚えつつも、ちょっとピリッとするような緊張感が漂う空気を持つ人というのはいて。

そのふたつの空気がブレンドした人ほど、年齢を重ねるほどに立ち位置が上がっていくような気がする。

10/21(水)

飼い猫の誕生日。

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とある県が運営しているSNSについて軽く相談を受ける。詳細は書けないけど、とんでもない金額がメディア運営に充てられていて(そしてメディアは見るも無残な状態で)軽く目眩がした。

個人的な経験から言えば、行政のようにダイレクトにそこに住む人と関わる立場の方たちは、その「関わり合い」を活かすことに注力した方がいいと思っている。その関わり合いは一朝一夕でできないアドバンテージだ。

メディアをやるのは見栄えとして良い。でもそれは「関わり合い」を遠ざける行為だと思う。

相談してきた方には、「行政はメディアに投資せずコミュニティに投資すべきです。コミュニティが勝手にメディア化していきますから」と伝えた。うまく伝わるといい。

小学二年生になる甥っ子に誕生日プレゼントが何が欲しいかを聞けば『風の谷のナウシカ』の漫画全巻セットとのこと。昨年まではレゴだったのに…成長を感じて感激してる。全力で送りつけることにする。

10/22(木)

「会うと口が悪い」とよく言われる。それはそれで仕方のないことだと最近は諦めている。

ロードサイド出身のマイルドヤンキーみがでる瞬間だ。

でも口の悪さを面白がる人とは仲が続いている気もするし、そもそも僕自身口が悪くなる相手は大抵信頼している時でもある。我ながらわかりやすいリトマス試験紙だ。


10/23(金)

とても素敵な寄稿をしていただいた方の記事がよくシェアされていた。仕事において最も嬉しい瞬間のひとつだ。

その結果を眺めながら、シェアされるコンテンツってなんだろう?よく読まれるコンテンツってなんだろう?という話を仕事のパートナーとする。以下メモ。

フォロワーの多い人が書けばシェアされるかと言えばそうではなく、コンテンツをシェアされるだけの信頼関係をフォロワーと握っているかの方が大切で、そうゆう「関係値」をもっている人のコンテンツはシェアで広がっていく

その「関係値」を持っている人かどうかを見極めるのは、その人自身がコンテンツをシェアしてもらった時のリアクションを見ればわかる。

そのリアクションのひとつは、シェアされた時にお礼のメンションを飛ばしているかということ。こういうことが自然とできる方の発信はその後もシェアされるコンテンツを出し続けている。

そんな「シェアの輪」が少しずつ違うコミュニティの輪と重なっていった先に小さなバズは起こる。感覚として、TwitterのタイムラインやFacebookで数回流れてくると、「これは見た方がいいのかな」と思ってクリックして見に行くことが多い。

その数回を生み出すのが、先述の「シェアの輪」なのだと思う。

それはそれとして、ひとつのネットカルチャーとしてとてもいいことだと思う反面、テクニックがあってもTwitterをやっていない書き手の読み物が届きづらいという課題が残る。

「シェアの輪」を経ずに広がるコンテンツは、まだまだ未開拓だと思う。時折そういうコンテンツに出会うけれど、そのほとんどは「うまい」というより「味が濃い」。それは口に入れた瞬間は良いけど喉が渇く。塩分が高い読み物は人を「短気」にする。

できればそういうコンテンツは遠ざけたいし、「うまい読み物」を届けることは諦めないでいたい。

うまくまとまらないので猫の写真をあげて今週はしまいとする。

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平山高敏
ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。